| 1 | 地震情報の伝達と住民の反応 | 1978-12-01 | 地震 | 下田市、沼津市 | 岡部慶三、三上俊治、水野博介、池田謙一 | 地震予知情報に関する住民アンケート調査 | アンケート <br />(静岡県下田市、沼津市) | 地震 | I 下田・沼津両市における留置き調査、II 沼津市香貫地区における個人面接調査、III 『余震情報』に関する広報文、IV いわゆる『余震パニック』に関する新聞報道 | 詳細ページへ | 地震情報の伝達と住民の反応<br>-いわゆる「余震情報パニック」(静岡県)に関する事例研究 | saigairep001.pdf | youyaku001.pdf |
| 2 | 地震予知情報への対応 | 1979-08-01 | 地震 | 清水市、袋井市 | 池田謙一、岡部慶三、鈴木裕久、竹内郁郎、田崎篤郎、仲田誠、廣井脩、 松村健生、三上俊治、水野博介 | 地震予知情報の対応に関する調査研究 | アンケート<br />(清水市、袋井市) | 地震 | スケジュール変数の組合<br /> 2票査調(住民調査用)<br /> 3票査調(事業所等調査用) | <b>① 災害の概要:想定される東海大地震</b><br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>住民アンケート調査:</b>調査地域:清水市・袋井市、調査対象及び標本数:20才~69才の男女、1,650、標本抽出法:選挙人名簿より確率比例抽出法、調査方法:個人別面接調査法、調査期間:昭和54年2月21日~2月26日、回収数及び回収率:清水市897(回収率90.6%)、袋井市585(回収率88.6%)、<br /> <b>企業アンケート:</b>調査対象:清水市で47施設,袋井市で21施設。その他,静岡市,浜松市の関連施設がそれぞれ1ケ所、有効回収率は84.3%,<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>住民の対応:</b><br /> <b>地震の知識,地震予知への信頼度:</b>マグニチュードと震度については、約7割の人びとが正しく回答した。警戒宣言・震度階・判定会などのことを正しく理解しているひとは3割程度である<br /> <b>余地情報への対応:</b>判定会が開催されたということで、過半数の人が地震が切迫していると受け取る傾向がある。警戒宣言が発令された場合、9割以上の人が何らかの行動を開始し、また、約7割の人が移動(帰宅、家族を迎えに行く、非難など)を開始するだろうと回答した。<br /> <b>地震への不安、被害予想:</b>約4割の人が地震に対して不安を感じており、半数近くの人は自分の家屋や家族にある程度被害が及ぶと予想しているが、若い人ほどこの傾向が強い。<br /> <b>地震に対する日ごろの備え:</b>地震について、6割程度の人は家族内で話し合わない。過半数の住民は懐中電灯など災害時の必需品の準備や、預金通帳などの非常持ち出し品の整理をしている。<br /> <b>行政への要望:</b>車の使用や非難などについて概ね半数以上の人々が規制すべきだと考えている。地震の知識や備えなどについて行政の情報提供が不十分であると感じている人が多い。<br /> <b>事業所の対応:</b><br /> <b>病院:</b>「大規模地震対策特別措置法」に基づいて「地震防災応急計画」の作成が義務づけられていることを認知しているが、これの策定は不十分であり、警戒宣言が発令されたときに対応についても明確になっている病院は少ない。<br /> <b>百貨店・スーパー:</b>「不特定かつ多数が出入りする施設」として位置づけられ、客の非難などについてマニュアルが整備されつつあり、避難訓練なども行われつつある。<br /> <b>危険物を取り扱う事業所:</b>大規模な事業所では、地震時について明確に取決め訓練もされており警戒宣言発令時の情報伝達や社員対応も準備されているが、小規模な事業所は対応が遅れている。<br /> <b>交通機関:</b>「地方鉄道業その他一般旅客に関する事業」に指定されており、概ね「特措法」に基づいて防災計画、防災訓練、地震時の対応などが整備されている。<br /> <b>教育・福祉施設:</b>「特措法」について認知度は低く、防災計画も「特措法」以前からのものを踏襲している。防災訓練なども行われているが、大規模地震を意識している施設は多くない。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・予想される東海大地震について住民の意識は高く、不安を感じている人は準備をしているといえるが、実際の対策や行動について情報不足を感じている。<br /> ・行政の広報が不足しているというより、手法に工夫が必要である。<br /> ・各事業所において防災に対する意識は高くなっているが、経営に余裕がない事業所での地震対策は遅れている。<br /> | 地震予知情報への対応 | saigairep002.pdf | youyaku002.pdf |
| 3 | 続・地震予知情報への対応 | 1980-12-01 | 地震 | 清水市 | 池田謙一、仲田誠、廣井脩 | 報告書 | アンケート(清水市) | 地震 | 単純集計結果 | <b>① 災害の概要:予想される東海大地震</b><br /> <b>② 調査の内容:</b>調査地域:清水市、調査対象および標本数:清水市内に居住する20才~69才の成年男女、1,250名、標本抽出法:選挙人名簿より確立比例抽出法、調査方法:個別面接調査法、調査機関:昭和55年2月22日~2月29日、回収数および回収率:1,137名(回収率91.0%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>地震に対する態度:</b><br /> <b>地震への関心:</b>住民の地震への関心はかなり高く、この情報をニュース報道より取得している。<br /> <b>余地と防災への期待:</b>東海大地震説に対して多数の住民がこれを信用している。<br /> <b>地震への不安:</b>地震への住民の不安は強く、過半数の人々が不安を感じている。<br /> <b>被害予想:</b>過半数の人が自分の「家が殆ど壊れてしまう」と予想しており、3~4割の人は大火災、津波、危険物の爆発などの危険を予想している。<br /> <b>地震予知システムに関する知識:</b>「判定会」について8%程度の人しか知らなかったる。「警戒宣言」については前回の22%から45%まで増加しており、一年間のマスコミの効果があった。<br /> <b>災害準備:</b>地震時の持ち出し品などを準備している人は6割程度いるが、家族と落ち合う場所を決めるなどの話し合いをしている人は少ない。<br /> <b>地震予知情報への対応行動:</b><br /> <b>判定会召集情報への対応:</b>判定会召集情報に接した場合8割以上の人がテレビ・ラジオを聞くなど情報行動をとり、これに自宅で接した場合は次に火元確認・持ち出し品準備など防災行動とるが、勤務先や外出先で接した場合は帰宅など移動行動を行うと回答した。<br /> <b>警戒宣言への対応:</b>警戒宣言に接した場合、情報行動を取る人は7割程度になり、自宅にいる人はまず防災行動を、勤務先など外出さきにいる人は避難など移動行動をとる人が8割以上になる。<br /> <b>対応行動間の比較:</b>判定会召集情報の場合あいは、次の行動決定のための情報取得がまず優先され、警戒宣言の場合は安全確認や避難などが優先される。<br /> <b>対応行動の優先順位:</b>自宅で情報に接した場合はまず情報取得を行った後に防災行動・移動行動を行傾向にある。勤務先または外出先で情報に接した場合は、移動行動が優先される傾向に有る。<br /> <b>予想される対応行動II:</b>警戒宣言が発令された後、様々な制限がある中での行動パターンのポイントになるのは家族である。家族と連絡が取れなかった場合、連絡が取れるまで待つひとと、出向いて確認する人がそれぞれ4割いる。交通機関が使えなくなったときに8割の人が歩いてでも帰宅すると答えている。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>判定会招集情報への対応行動を規定する要因:</b>家庭内に子供、老人、身心障害者を抱えている人達は、「家族に電話する」とか「職場に電話する」とかの情報連絡行動や、「子供を学校,保育園などに迎えに行く」行動をとる。<br /> <b>警戒宣言への対応行動を規定する要因:</b>火災や津波の危険ありと思っている人々は,「市役所や警察などに電話する」人達が多い。<br /> <b>判定会招集情報を聞いて移動する人々:</b>招集情報を「家で聞く」人のなかでは,男性より女性,子供や老人のいる人,地震への不安が高い人,津波の危険があると思っている人,に移動行動が多くなっている。<br /> <b>警戒宣言を聞いて移動する人々:</b>警戒宣言を「自宅で聞く」グループは,津波の危険ありと思っている人に移勤行動が多い。「勤務先で聞く」グループでは,子供,老人などがいる人々,東海大地震説を信じている人々に,移動行勤が多い。「外出先で聞く」グループでは,東海大地震説を信じる人々に移動行動が多い。<br /> | 続・地震予知情報への対応 | saigairep003.pdf | youyaku003.pdf |
| 4 | 災害警報と住民の対応 | 1981-01-01 | 火災 | 愛知県大府市 | 岡部慶三、仲田誠、池田謙一、橋元良明 | 住民対応の調査 | アンケート<br />(愛知県大府市) | 火災と有害ガス災害 | 避難行動に関する調査事件の経緯、大府市の概要 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1980年10月1日,愛知県大府市において倉庫火災が発生し,その消火作業の過程では猛毒の青酸ガスが発生する危険が生じた。そのため大府市災害対策本部は周辺2,000戸,約8,000人の住民に対し避難命令を発令したが、避難してきた住民は最大で410名であったという。<br /> <b>② 調査の内容:</b>調査対象:火災現場より半径1㎞以内に在住する家庭の主婦、調査地区総世帯数:約2,000戸、標本数:1,134サンプル、有効回収票:713票(回収率62.9%)、調査方法:電話によるアンケート調査、調査期日:1980年10月8日~10月14日<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>避難の指示をめぐる問題点:</b>毒劇物は「消防法」の対象外であり「毒物及び劇物取締法」からも倉庫業・保管業は化学薬品規制の対象にはいっておらず,管理が不十分であった。会社側が運輸省に対して危険物倉庫の届け出をせず,5年間も一般倉庫と称して報告をしていた。出火時に消火栓が機能しなかった。倉庫が2重に転貸され管理責任の所在が不明であり,直接原因の雨どい工事自体監督する立場の者が不在であった。<br /> <b>広報車の走行区域:</b>避難指示区域と、広報車の走行区域に食い違いがあった<br /> <b>避難場所の問題:</b>避難対象者は4,000人程度であったが、指定された避難場所の収容人員は100人程度であった。風向きが変わった後の避難者への移動も混乱した。<br /> <b>広報車による住民への広報:</b>広報車の広報を9割近くの住民が聞き、避難率は4割弱であった。<br /> <b>マス・コミへの広報:</b>非難勧告が出されたときにNHKが「住民に"避難命令"」というテロップを流したが、用語に微妙な齟齬があった。<br /> <b>避難場所:</b>避難した人びとのうち,市が指定した避難場所に避難した人びとは32%であり,親戚や知人の宅へ避灘した人びとは59.6%の多くにのぼっている。<br /> <b>避難した時刻:</b>倉庫火災の発生時刻は午後12時10分であり,15時30分に「避難勧告」出され、18時には「避難命令」に格上げされたが、18時過ぎになってから避難する住民が多数いる。<br /> <b>誰と避難したか:</b>90%以上の人が家族と非難し、9割弱の人が自家用車で非難している。<br /> <b>避難場所にいつまで留まったか:</b>避難命令が解除されたのは翌日の午前6時半であったが、それ以前に独自の判断で避難場所5割以上の人が去った。<br /> <b>避難の決め手は何であったか:</b>避難の一番大きな決め手として「煙りや臭いが流れてきた」ことを挙げている人たちが53.5%に達し,過半数に及んでいる。<br /> <b>警報をきいた人びと:</b>市や警察の「避難して下さい」という警報(指示)を聞いた人々は,総数の64.1%(調査サンプルでいえば457名)にのぼっている。指示はほとんど自宅で聞かれている。<br /> <b>警報内容の理解:</b>指示を聞いた人のうち「有毒ガス」「避難場所」「すぐ避難するように」と3つ全部について聞いたと答えた人は11%となり,指示をまともに聞いた人はかなり少なかった。。<br /> <b>情報源について:</b>「避難して下さい」という指示の情報源の第1は広報車またはパトカーによる広報であり,指示を聞いた人々の86.5%がこれから聞いている。<br /> <b>避難しなかった人々:</b>自分自身の判断で避難しなかった場合が最も多い。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・今回の避難命令によって実際に避難した人びとは,該当地域の32%にとどまり68%の住民は避難しなかった。避難率を少しでも高める努力が必要である。<br /> ・行政の発令する避難指示をもっと明確に伝わるようにし、危険性を周知させて非難を促すような工夫が必要である。<br /> ・また、避難場所の整備や住民防災組織などの整備を行っておくことが必要である。<br /> <br /> | 災害警報と住民の対応 | saigairep004.pdf | youyaku004.pdf |
| 5 | 東京駅八重洲地下街の通行量及び地下街利用者の実態 | 1981-02-01 | 災害調査以外 | 東京駅八重洲 | 岡部慶三 | 地下街利用者のパニックに関するアンケート調査 | アンケート<br />(東京駅八重洲地下街) | 火災・地震等 | 地下街利用者アンケート調査票 | <b>① 災害の概要</b><br /> 昭和55年8月18日午前9時56分、静岡駅前の地下街でガス操発による大事故が発生した。その25分ほど前最初の小さなガス爆発があり、通報によって消防・警察などが現場に急行し、直ちに地下街に対しては避難の指示を出したが、野次馬等も集まりかえって群衆の数を増したところへ2回目の大爆発がおこり、人身の被害は死者が14名、重軽傷者199名にも及ぶ大惨事となった。巨大都市東京においても、極度の人口集中と地価の高騰からビルの高層化が進むと同時に地下街が発展しつつあり、現在では総面積約10万9000m2に及ぶ。静岡駅前地下道のガス殊発と同様の事故がそこで発生したならば、その惨禍はまさに戦慄すべきものになると考えられる。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 東京駅八重洲地下衝を対象とし、通行量調査(東京都やエス地下街出入り口総人数のカウントによる、54.4万人)と地下街利用者に対するアンケート調査(対象者のランダム選択、アンケート記入依頼による、839名)を実施した。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>通行量調査:</b>通行量総数は、平日の8月29日で約24万7千、土曜日には約18万5千、日曜日には約11万2千人であった。平日の通行量の最も多い出入口は八重洲中央口、次いで八重洲南口、八重洲北口、日本稚通り越前屋ビル側という順となった。金曜日は通行量のピークが1日のうち3回あり、8:30-9:00、12:30-1:00、5:30-6:00の時間帯がそれである。ところが土確日には8:30-9:00と12:30~1:00の2回のピークがあるだけで、夕方の時間帯にピークはない。日曜日には、1日を通じて通行量がほぼ平均している。地下街利用者を性別にみると女性よりも男性が多く、金、土の男女比はお上そ2:1、日は女性がやや増え、男女比は3:2となっている。通行量は昭和46年よりも明らかに減少している。通行量の総数においても減少しており、ほとんどの出入口においても減少している。<br /> <b>アンケート調査</b><br /> 関東大震災級の地震におそわれた場合、地下街でどのような被害が生じるかは地下街の中にいる人々がとる行動の仕方によって影響される。地下街自体は無事であったとしても、人々が極度の混乱状態に陥った場合、何らかの大きな被害が発生する可能性があり。<br /> 「大地震が発生した時には、この地下街はあぶない」と感じている人が調査対象者全体の8割近くにも達しているなど、地下街に対する利用者の潜在的な不安感(危険予想)はかなり深刻と考えられる。不安感の増大という現象は、東海地震を含めた地震全般に対する社会的な関心がここ数年来一般に強まりつつあるという事情によるものとも考えられる。<br /> 男性と比較して女性では、「(この地下街を)安全だと思う」と答えた人の割合が低く、反対に「危険だと思う」と答えた人の割合は男性よりも明らかに高い。男性よりもとくに女性の方が地下街に対して不安を感じる傾向にある。また、年齢と不安感との間の相関関係をみると、一般に若い年代の人々は、年配の人々にくらべて不安感(地下街に対する危険意識)の感じ方が強い。予想される危険について、「火災が発生し煙にまかれること」をあげている人が最も多く70%以上もの人が火災が危険だと答えている。次いで2番目に人々が心配しているのが「人々が我先に出口へ殺到しパニックが起こること」である。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 自己の行動の予想として、災害が突如発生したというような緊急事態で、自分は一体どう行動するだろうかについて最も多いのが「しばらくその場で様子をみる」という人が33%で最も多く、また、「階段を探す」という人が21%、「階段を上って地上に出る」という人が26%あり、階段から外へ脱出しようとする人々が半数近くいる。自分自身はしばらくその場で様子をみるような人々をパニック的な同調行動に導かないためには、彼らを担当者の指示に従って行動させることが必要となる。そのためには、担当者の誘導訓練が必要であるばかりではなく、日頃から、通行人に、災害時には担当者の指示に従って行動するようアピールし、「指示に従う」という人を増加するように努力せねばならないと考えられる。<br /> | 東京駅八重洲地下街の通行量及び地下街利用者の実態 | saigairep005.pdf | youyaku005.pdf |
| 6 | 災害常襲地域における住民の災害観に関する調査報告その1 | 1982-03-01 | 災害調査以外 | 大船渡市 | 遠藤洋一、大畑裕嗣、後藤将之、仲田誠、廣井脩、宮田加久子 | 住民対応の調査 | アンケート(大船渡市) | 津波災害 | アンケート調査票(調査実施地域別単純集計結果) | <b>① 災害の概要</b><br /> 大船渡市は明治29年・昭和8年・昭和35年と三度にわたって津波による大被害を受けた三陸沿岸に位置し特に昭和35年のチリ地震津波では52名という三陸最大の人的被害を受けている。これ以外に小規模な津波に襲われている津波危険地域である。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>聞き取り調査:</b>調査対象者:地理地震津波体験者12名(男10名、女2名)、調査期間:昭和56年7月26日~29日<br /> <b>標本調査:</b>調査対象者:および標本数:大船渡市在住の20~69才の男女800名、標本抽出法:選挙人名簿より層化二段確率比例抽出法、調査方法:個別面接法、d.調査期間:昭和56年9月19日~24日、回収数:628(回収率:78.5%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>チリ地震津波:</b>昭和35年5月のチリ地震津波は、1)震源地が遠方であるにもかかわらず津波の規模が大きかった、2)被害は湾奥部に入るにしたがって大きかった、3)V字型の湾は被害が少くU字型のしかも深く屈曲した湾ほど被害が大きかった、という特性を持っていた。<br /> <b>チリ地震津波の問題点:</b>a)前例,縫験,予想を超えた津波であった。b)気象関係庁からの事前通報が全くなかった。c)〔大船渡地区〕転入者の多い新開商業地区であり,朝が遅い(津波襲来は朝4時)。d)〔大船渡地区〕津波警報のサイレソが,火災もしくは魚類水湯のサイレンと誤認された。e)〔大船渡地区〕避難経路が,一度低地帯を経由しなくてはならず,避難が間にあわなかった地域もある。f)〔赤崎地区〕比較的原住者・津波経験者が多くかき養殖業を主体としている関係上,午前3時半頃には海岸に出ていた人々により津波の来襲が予知されていた。g)〔赤崎地区〕消防車に拡声装置があったため,津波の襲来を周知徹底せしめた。<br /> <b>「チリ地震津波」以後:</b>津波後の復興計画によって、湾口に大規模な防波堤が設置された。<br /> <b>大船渡市民の災害観,災害意識,および自然観・運命観:</b>大災害に出会った経験者が非常に多い。55%の人が津波への不安を持っている。多くの人が中程度の被害を予想している。40%の人が津波を防ぐことは出来ないと考えている。多くの人が、自信と津波は自然災害であり、運がよければ災害から回避できると考えている。<br /> <b>災害間とデモグラフィック変数:</b>災害観変数と属性の関連の見出されたものについてだけ考えれば,概して女の方が男よりも,又,低学歴者の方が高学歴者よりも,高年令者の方が低年令者よりも,われわれが調査した「災害観」を持っているといえるようだ。<br /> <b>災害観と自然観・運命観:</b>「災害観」と「自然観・運命観」の間にはかなり強い相関がある。災害全般に関して人々が日頃抱いている漠然たるイメージは,人々の持つ人生観,世界観,哲学によって強く影響されているという発想が本調査を支える重要な柱の一つとなっている。<br /> ④ 提言・結論</b><br /> ・ 天謎論,運命論,精神主義といった災害観が現代日本人の意識のなかに存在しているのか、にっいては,大船渡市民の意識のなかに災害観が一定程度存在している。<br /> ・ 災害観の内部構造はいかなるものなのか三類型は互いにどのような関係にあるのかについては,災害観の三類型は互いに密接に関連しているといえる。<br /> ・ 災害観は,人々の社会的属性,災害意識,災害時の対応行動・および自然観や運命観どどのような関係にあるのかについていえば,災害観は自然観や運命観などいわゆる「世界観」と密接に関連するが,性,年令,職業などの社会的属性や災害体験とはあまり関連がないようである。<br /> | 災害常襲地域における住民の災害観に関する調査報告その1 | saigairep006.pdf | youyaku006.pdf |
| 7 | 誤報「警戒宣言」と平塚市民 | 1982-08-01 | 地震 | 平塚市 | 岡部慶三、廣井脩、広瀬弘忠、松村健生、三上俊治、山本康正、池田謙一、宮田加久子 | 住民対応の調査 | アンケート(平塚市) | 誤報(地震警戒宣言) | 対応行動の因果モデルとその検証<br>引用文献、調査票・回答の単純集計結果 | <b>① 災害の概要</b><br /> 昭和56年10月31日の夜、神奈川県平塚市では市内45ケ所の同報無線の屋外スピーカーか、「警戒宣言が発令された」という内容の放送が誤って流されるという事件が起こった。<br /> <b>② 調査の内容:</b>調査対象地区:平塚市、調査方法:調査票による個別面接法、調査時期:昭和56年11月19日~11月29日、有効回収数:1,803票、有効回収率:75.1%<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>防災行政用無線導入の経緯:</b>平塚市では、すでに昭和39年に一般行政用無線局を開設し、昭和54年には防災行政用無線局に改局し、災害時の情報伝達手.段としての機能も果たすようになった。<br /> <b>誤放送の原因:</b>誤放送は機械操作の誤りによるが、原因は特定されていない。<br /> <b>情報管理上の問題:</b>情報管理上の問題点としては(1)録音テープの使用と保管上の問題、(2)非常用放送設備の装置と機械操作上の問題、(3)放送施設の管理上の問題、という3点に集約できる。<br /> <b>警戒宣言」への接触:</b>実際に「警戒宣言」をこのスピーカーから直接聞いた市民は約7人に1人の割合しかいなかった。「聞こえなかつた」が全回答者の4分の1を占めている。約20%の人たちは誤放送を聞いたが、内容を性格に聞き取った人の率は低かった。<br /> <b>同報無線の有効性について:</b>同報無線の屋外スピーカー(子局)の設置数が少ないため、音声が物理的に届かない地域がかなりあった。サイレンが鳴らなかったため市民の注意を引かなかった。<br /> <b>「警戒宣言」の信用度:</b>本当に警戒宣言が出たと思った人は2割にも満たない。警報を信用しなかった人びとが44.8%と半数近くに達している。<br /> <b>市民の対応行動:</b>「警戒宣言」の誤放送が訂正されるまでの20分あまりのうちに、かなりの人々が何らかの対応行動を採った。事態の確認をとろうとしてマス・メディア等に注意する行動を行なった人がかなりの率を占めた。<br /> <b>誤報の訂正放送とその効果:</b>平場市では誤放送があってから約20分後に同報無線を通じて誤報の訂正放送を3回繰り返し流した。パトカー12台が「先ほどの警戒宣言は誤報でした」という訂正放送を流した。消防本部では、消防分甲庁舎(19カ所)・分団長宅・および無線受信機の設置されている自治会会長宅(201軒)に電話をかけ.誤報の訂正とお詫びを伝えた。<br /> <b>10自主防災組織がとった行動:</b>誤報に接した人達は大部分が活発な情報確認行動、情報伝達行動を採っており、同時に家庭内での防災行動も7例で行われている。<br /> <b>教訓と問題点:</b>情報伝達のルールをよく理解していない自治会もあった。「警戒宣言」発令後の行動も明確にマニュアル化されていなかった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・ 本調査のように、誤報とはいえ実際に警戒宣言が伝達された実体験に基づく事例を研究することができた。<br /> ・ 多くの人びとは警戒宣言を、情報確認によってその信頼性をチェッグしていること、対応行動は全体として冷静かつ適切に行われ、パニック的な移動行動はほとんど生じなかった。<br /> ・ 同報無線の情報伝達能力には大きな限界があることがわかり、有効な伝達を妨げる物理的、状況的な諸要因も同時に明らかにされた。<br /> ・ 今回の事例では同報無線からの放送内容をはっきりと聞き取れた人が少なく、「警戒宣言が出た」「地震が来る」「冷静に行動して下さい」といった程度の内容しか伝わらなかった。<br /> ・ 平塚市の事例では実際に警戒宣言は発令されていなかったので、防災機関が応急防災対策を講じたりしていなかった点に留意する必要がある。<br /> | 誤報「警戒宣言」と平塚市民 | saigairep007.pdf | youyaku007.pdf |
| 8 | 1982年 浦河沖地震と住民の対応 | 1982-11-01 | 地震 | 北海道浦河町 | 岡部慶三、廣井脩、三上俊治、松村健生、池田謙一、宮田加久子 | 住民対応の調査 | アンケート(北海道浦河町) | 地震 | スケール作成方法一覧<br />住民へのインタビューの概要<br />調査票と単純集計結果 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1982年3月21日(日)午前11時32分、北海道浦河沖に推定マグニチュード7.3の地震が発生した。帯広、小樽札幌、倶知安などで震度4の揺れを記録し、日高郡浦河町は震度6の「烈震」であった。浦河町では重軽傷者89名、住家の全壊6棟、半壊18棟などの被害を出している。<br /> <b>② 調査の内容:</b>調査対象者:浦河町内に居住する男女1,100名。標本抽出法:層化=二段確率比例抽出法、調査方法:個別面接法、調査期間:1982年4月24日~30日、有効回収数:有効回収数は652名であった、有効回収率:74.0%<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>地震時の心理的反応:</b>地震の最中「冷静だった」が「あわてた」を若干上回っているが8割以上の人が身の危険を感じ、また7割以上が不安を感じている。<br /> <b>地震時の対応行動:</b>地震時のとっさの対応行動としては,「火の始末」(50.9%)、「ガスの元栓を締めた」(20.9%)、「家具や壊れ物を押えた」(21.9%)、「子供や老人を保護した」(19.0%)等人的・物的被害軽減のための防災行動や、「戸・窓などを開けた」(21.6%)、「屋外に飛び出した」(13.2%)等、避難準備ないし避難行動が多かった。<br /> <b>建造物等の被害:</b>家屋、へい、宅地等の被害は比較的軽微である<br /> <b>情報ニーズと有効な情報源:</b>地震当日知りたかった情報としては、「余震の情報」(82.4%)、「復旧の見通し」(69.5%)、「家族や知人の安否」(40.6%)などが多い。<br /> <b>ライフライン等の被害:</b>住民が最も難渋したのは水であり、9割に近い人が「断水」に困ったと答えている。「電話使用不能」が第2位にあがっている(66.1%)、「停電」(34.8%)、「交通困難」(12.9%)、「食料不足」(9.3%)、「ガス使用不能」(4.0%)を大きく上回わっている。<br /> <b>援助行動:</b>被災者を援助した人は30.4%、他人から援助を'受けた人は61.2%である。<br /> <b>災害症候群:</b>地震後1週間のうちに、頭痛、吐き気など身の変調を感じた人24.4%、不眠いらいらなど精神的ストレスを感じた人48.8%にのぼった。なお、地震後約1カ月の調査時点では、身体的変調5.8%、精神的ストレス9.7%に下がっている。<br /> <b>流言の伝播:</b>大地震再来の流言を聞いた人は多く、回答者の7割(70.2%)に達している。<br /> <b>流言の内容:</b>流言の内容は「近々大地震」と発生時期を明示していないものが最も多く(33.8%)、次に特定の月を指定している「5月に大地震」(31.0%)が多かった。<br /> <b>流言の伝達者:</b>その話を誰から聞いたかという問いに対しては、「近所の人」(51.5%)、「友人・職場の同僚」(34.3%)が圧倒的に多く、この種の流言が日常的なパーソナル・コミュニケーション・ネットワークを通じて伝達されることを示している。<br /> <b>流言に対する心理的反応:</b>流言を聞いた人のなかでは、「半信半疑」が最も多く(64.4%)、第2は「信じなかった」(27.3%)であり、「信じた」人は8.3%と少ない。<br /> <b>流言への対応行動:</b>流言に接した人の対応行動としては、防災行動〔「家の中の家具、品物の固定・整理」(42.4%)〕、情報行動〔「テレビやラジオに注意)(30.6%)〕、および避難準備行動〔「非常食等の用意」(20.3%)、「いつでも避難できるよう準備」(17.0%)〕などが多数を占めている。<br /> <b>日頃の地震対策:</b>浦河町において特に徹底していると思われるのは、「家の中の倒れやすい家具の固定」(48.8%)、および「耐震装置つきの石油ストーブの使用」(78.5%)である。<br /> <b>地震時の行動習慣:</b>地震の際の行動習慣としては、「火の始末」が圧倒的に多い(94.6%)。第2位は「すぐ窓や戸を開ける」(70.6%)であり、以下「あわてて外に飛び出さない」(44.0%)、「家具や壊れ物を手で押える」(43.3%)と続いている。<br /> | 1982年 浦河沖地震と住民の対応 | saigairep008.pdf | youyaku008.pdf |
| 9 | 誤報「警戒宣言サイレン」と三島市民 | 1982-12-01 | 火山 | 三島市 | 岡部慶三、廣井脩、三上俊治、池田謙一、橋元良明、宮田加久子 | 住民対応の調査 | アンケート(三島市) | 誤報 | アンケート調査票(調査実施地域別単純集計結果) | <b>① 災害の概要</b><br /> 昭和57年5月29日(土)午前3時2分、静岡県三島市内6ケ所から、東海地震の警戒宣言が発令されたことを知らせるサイレン(「地震防災信号」)が約5分間にわたって鳴るという事件が起こった。幸いにして警戒宣言サイレンの誤作動は市民の間に大きな混乱を引き起こさなかった。<br /> <b>② 調査の内容:</b>調査対象地域:サイレンの可聴地域、調査対象者:調査対象地域に居住する主婦1、240名、標本抽出法:電話帳より無作為抽出法、調査期間:昭和57年5月31日~6月3日の4日間、調査方法:調査表による電話調査、回収数および回収率:611名(49.3%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>サイレンの聴取実態:</b>警戒宣言発令を知らせるサイレンが聞こえた人54.1%だった。住居地域がサイレンから1,000mをこえると気づかなかった人の方が聞いた人より多くなっている。<br /> <b>同報無線が聞こえた人:</b>警戒宣言サイレンが鳴った直後市内113ヵ所に設置してある同報無線から訂正放送が聞こえた人は当夜市内にいた人の36.9%、聞こえなかった人は63.1%であった。<br /> <b>内容の理解:</b>訂正放送の内容のわかった人は20.7%、わからなかった人は16.3%であった。<br /> <b>サイレンの音の理解:</b>その場で警戒宣言発令を知らせだとわかった人は53人(16.6%)であった。本当に警戒宣言が出たと思った人は20%強にすぎない。これに対して半信半疑だった人が最も多く約半数を占めており、また3分の1の人々は全く信じていなかった。<br /> <b>サイレン聴取者の対応行動:</b>当夜警戒宣言のサイレンを聞いた人の約4割の人が何らかの行動をしたと答えた。住民が実行した対応行動のなかでは、「窓を開けて様子を見た」が最も多く、半数以上に達している。<br /> <b>日頃からの地震不安:</b>東海地震ついて回答者の5分の1が日頃から強い不安を感じている。<br /> <b>警戒宣言に関する知識:</b>警戒宣言という言葉の知識は、知識のある人が9割弱と圧倒的多数を占めている。また、警戒宣言が出るとサイレンが鳴ることを知っている人が8割弱と、きわめて多い。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>聴取実態:</b>当夜サイレンの音が聞こえた人は、当夜市内にいた590人のうち、319人(54.1%)、聞こえなかった人は271人(45.9%)であった。サイレンを聞ける人を増やすためには、サイレンの数を増加すること、およびサイレンの配置を工夫する必要がある。また、緊急放送システムの早期実用化を促進することが必要である。警戒宣言以前の判定会段階で何らかの公的情報を住民に伝達する方策を講じるも考えられる。<br /> <b>住民の心理的反応:</b>サイレンの音を聞いた人(319人)のうちそれが警戒宣言のサイレンだとわかった人は、53人(16.6%)であった。そのうち、以前から警戒宣言のサイレンの鳴り方を知っていたのは35人(11.0%)、残りは家族等から聞いたと答えている。警戒宣言が出たと信じた人があげた理由は、「サイレンが鳴ったからには地震が来ると思った」・「日頃地震につい.て気にかけているので」など。サイレンの音は聞こえたが、警戒宣言の合図だとわからなかった人は266人(83.4%)であった。この中では、「火事だと思った」人が圧倒的に多かった(181人)。<br /> <b>住民の対応行動:</b>サイレンを聞いた319人のうち、対応行動をとったのは134人(42.0%)、何もしなかった(寝てしまった等)のは185人(58.0%)であった。対応行動のなかでは「窓をあけて様子を見た」が最も多く(95人)、二番目は「寝ていた家族をおこした」(30人)であった。避難行動はゼロであった。<br /> <b>警戒宣言に関する知識:</b>調査対象者611人のうち、事件の前から「警戒宣言」という言葉を知っていた人は542人(88.7%)、知らなかった人は69人(11.3%)であった。警戒宣言発令時にサイレンが鳴るという事実を知っていた人は476人(77.9%)、知らなかった人は135人(22.1%)であった。<br /> | 誤報「警戒宣言サイレン」と三島市民 | saigairep009.pdf | youyaku009.pdf |
| 10 | 1982年7月長崎水害における組織の対応 | 1983-06-01 | 水害 | 長崎市 | 岡部慶三、廣井脩、三上俊治、松村健生、山本康正、池田謙一、池田加久子 | 各種機関への聞き取り調査 | アンケート(長崎市) | 水害 | | <b>① 災害の概要:</b>昭和57年7月23日に発生した局地的豪雨は長崎市を直撃し甚大な被害を与えた。3時間雨量315ミリの「記録的な短時間弾雨」であった。このため長崎市内では、ガケ崩れ、山崩れ、山津波が41ケ所、河川増水による流失が20ケ所で発生した。死者・行方不明者は262人、流失全壊世帯は463、床上浸水世帯は16,174の惨事となった。<br /> <b>② 調査の内容:</b>「1982年7月長崎水害」時における各種組織(防災機関、報道機関、ライフライン機関)の対応を、組織内および組織間コミュニケーシンに焦点をあわせて実施した。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>被害拡大の要因:</b>長崎では、都市化の進展とともに災害に対する脆弱性は増大していた。また、長崎市が集中豪雨に脆弱な地形的条件を備えていた。<br /> <b>長崎海洋気象台の対応:</b>23日の夕刻から集中豪雨が襲いかかった。厳原測候所は午後2時20分、大雨洪水警報を発表した。長崎海洋気象台は3時25分に大雨洪水強風雷雨臆報に切り換えた。<br /> <b>市役所の対応:</b>大雨・洪水警報は総務部企画課に伝達され災害警戒本部が設置された。8時30分に災害対策本部が設置され、翌日以降の避難所の開設と管理、罹災者の救援、台風13号への対応、観光業への影響とその対策など対応を行った。<br /> <b>消防:</b>大雨洪水警報受信と同時に災害対策本部を設置したが当日の夜は、情報が殺到し続け、十分な対応行えなかった。消防隊は出動を開始し住民の救出・救助・避難誘導等の活動を行なった。<br /> <b>警察:</b>7月23日午後県警本部は「災害警備連絡室」を設置し、「警報」発表とともに警備本部に切り替えられた。現場での避難勧告、指示、誘導は各警察署単位で行なわれた。1,713名を主要災害現場に派遣して救助活動に当たらせた。<br /> <b>自衛隊:</b>7月23日午後県知事の派遣要請を受けて、午後9時45分出動準備命令が出された。長崎での捜索活動・救援活動は、県知事からの撤退要請のあった7月31日まで続けられた。<br /> <b>NHK長崎放送:</b>4時56分には警報発令のテロップをテレビで放送し、以後10分から20分間隔でそれを繰り返し、テレビ(スーパー)、ラジオで「避難勧告」が何度か繰り返された。<br /> <b>長崎放送(NBC)の対応:</b>8.時31分からラジオでは以後21時間も連続して水害ニュースだけを伝えることになった。テレビでは午後8時55分のフラッシュニュースに濁流のシーンを送った。<br /> <b>テレビ長崎(KTN):</b> 9時55分には最初の「災害情報番組」を放送した。24日午前零時5分から30分間現場中継を含む災害特別番組を組み込んだ。KTNでは明け方4時まで放送を続けた。<br /> <b>長崎新聞:</b>長崎新聞は、大被害発生の事実を知りながら発災直後は社内からの電話取材が唯の活動であり、他の形での取材は全く不可能だった。災害翌日以降は災害報道では、かなり成果をあげた<br /> <b>水害時の電話輻輳:</b>長崎市では7月23日の午後8時頃から電話網の輻輳が始まり深夜まで続いた。翌日は夜明けと共に電話の呼が急増しその日一杯輻輳状態が続いた。<br /> <b>九州電力:</b>午後7時頃から九州電力の電力供給に支障が出はじめ24日の午前0時にはそのピークに達し、長崎市内で計62,000戸が停電し、停電率は30.4%に達した。<br /> <b>西部ガス長崎支店:</b>10時10分には現地災害対策本部が設置された。24日午前零時30分に八千代町の製造工場より南の41,700戸のガス供給を停止した。ガス復旧作業は8月2日に完了した。<br /> <b>長崎市水道局:</b>7月23日深夜には長崎市の中央水系では断水率が61.4%に達した。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 長崎市防災会議は、58年3月末、水害時の経験を反省し、その「地域防災計画」の見直しに関する基本方針を発表し、組織上の問題点として、(1)防災意識の啓蒙、(2)情報の収集及び伝達、(3)避難の勧告、避難誘導、(4)災害直後における応急対策、の四つを指摘している。<br /> | 1982年7月長崎水害における組織の対応 | saigairep010.pdf | youyaku010.pdf |
| 11 | 1982年7月長崎水害における住民の対応 | 1984-03-01 | 水害 | 長崎市22町 | 岡部慶三、廣井脩、三上俊治、山本康正、池田謙一、宮田加久子 | 住民対応の調査 | アンケート(長崎市22町) | 水害 | 長崎市民標本調査票および単純集計結果 | <b>① 災害の概要</b><br /> 昭和57年7月23日発生した局地的豪雨は3時間雨量315ミリと「記録的な短時間弾雨」であった。長崎市内ではケ崩れ、山崩れ、山津波が41ケ所、河川増水による流失が20ケ所に発生した。死者・行方不明者は262人、流失全壊世帯は463、床上浸水世帯は実に16,174の惨事となった。<br /> <b>② 調査の内容:</b>調査対象地域:中島川周辺で50㎝以上の浸水被害があったと想定される22町、調査対象者:自宅が実際に浸水した20歳以上69歳以下の男女1000名、標本抽出法:選挙人名簿より層化二段確率比例抽出法、調査期間:1982年11月19日~24日、有効回収数:770票、回収率:77.0%<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>浸水の実態:</b>7月23日長崎市では7~8時には時間雨量100ミリを超える大豪雨となり8時までには8割以上の人々が自宅に浸水したことを知り気づいたときには、水はすでに数十センチの深さまで達していたという人が過半数を占めている。<br /> <b>住民の心理反応:</b>浸水に気づいた際身の危険を感じた人は5割に満たない。浸水当初は、中島川周辺の住民はまださほど危険を感じていなかったといえよう。<br /> <b>ライフラインの被害と生活困難感:</b> 24日午前零時現在、市内の停電戸数は62,000戸、断水戸数は91,000戸、ガス供給停止戸数は42,000戸にものぼった。<br /> <b>水害時の情報ニーズ:</b>長崎市民が水害当夜から翌朝にかけて最も知りたかった情報は、電気・水道・ガスなどの復旧の見通しに関する情報であった。<br /> <b>ラジオ・テレビの安否放送に対する評価:</b>水害当夜、テレビやラジオから安否放送を聞いた人は全体の50.8%と約半数に達している。そして、放送を聞いた人のうち、実に96.4%と全員近くが安否放送について「よかった」という好意的な評価を与えているのである。<br /> <b>災害後の流言:</b>長崎水害のあと、「ダムが決壊した」という流言が発生したが「ダム決壊」流言を直接・間接に聞いた人は全体の3割弱にとどまっている。<br /> <b>災害症候群:</b>長崎水害が起こってから1週間のうちに、頭痛・吐きけ・肩こり・腰痛・便泌・胃の痛み等のからだの変調が43.1%の人々が「あった」と答えた。<br /> <b>被災当日の警報の聴取:</b>水害前に警報を聞いた人が24%、水害後に聞いた人が11%、まったく聞かなかった人が66%となっている。<br /> <b>災害観:</b>「自然の仕返し論」共感度は6割を超えている。運命論に対する共感度は5割を超えていた。神仏依存的態度の強い人々が7割5分に達している。<br /> <b>防災対策の有効性感覚:</b>防災対策の有効性について長崎市民の意見をたずねたところ、「やはり大きな被害はでる」と考える人が35%、「大きな被害はくいとめられる」とする人が64%であった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・ 今後検討すべき課題として、今回のような突発的災害において、市民がいかにして危険の性質と規模を正しく把握し、これに的確に対処することができるか、という問題である。<br /> ・ また、消防局が119番通報を手掛りとして、緊急の人命救出を必要とする家屋倒壊・生き埋め事故の現場をいかにして迅速かつ的確に探知することができるか、という問題がある。<br /> ・ 今後の課題としては、警察との緊密な情報交換、がけ崩れ危険地域の事前調査と住民への周知、警報発表後すぐに危険地域へ消防隊を警戒出動させること、消防局と現場との緊急連絡手段を十分に確保すること、などを指摘することができよう。<br /> | 1982年7月長崎水害における住民の対応 | saigairep011.pdf | youyaku011.pdf |
| 12 | 『災害警報の伝達とその効果に関する研究』,(文部省科学研究費 自然災害特別研究 研究成果報告書) | 1984-11-01 | 災害情報 | 全国、東京、焼津市、北海道 | 岡部慶三、廣井脩、村松健生、田崎篤郎、三上俊治、土方正夫、山本康正、鈴木裕久、池田謙一、風間亮一、相田勇、広瀬弘志、橋元良明 | 災害警報の伝達とその効果に関するアンケート調査 | アンケート(全国、東京、焼津市、北海道) | 地震 | 事例研究 | <b>① 災害の概要</b><br /> 災害情報は危険の発生を告げると共に、危険を回避すべく緊急の防止措置を講ずるよう指示を与える情報である。しかし、その意図した効果を達成できず、時には意図しなかった逆機能をもたらす可能性もある。警報を特性の違いに応じてタイプわけし、そのタイプごとに警報伝達と警報の効果に関連する要因を分析する考察が必要である。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>災害警報の伝達体制ならびにメディア特性に関する研究:</b>地震防災対策強化地域に指定された6県170市町村の防災担当センターセクション、郵送によるアンケート調査、1990年2月22日~2月28日<br /> <b>地域住民の警報に対する反応傾向の分析:</b>東京都、焼津市に在住の20~69歳の男女各地域1,000名、郵送法におけるアンケート調査、1982年12月16日~12月24日<br /> <b>焼津市の自主防災組織に関するアンケート調査:</b>焼津市の地震防災対策地域に指定された市町村の自主防災組織会長23名、総代268名、留め置き調査、1990年3月~4月末日<br /> <b>津波警報の伝達と住民の反応:</b>地震防災対策強化地域に指定された北海道浦河町、浜中町、新潟県村上市、計2,271名、聞き取り調査<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>行政組織における情報伝達体制の研究:</b>地震警戒宣言については、多くの市町村では同報無線、サイレン、広報車などをミックスして住民に周知する計画である。但し、これを住民に伝達するための広報文を既に決めている市町村は47%、その放送担当者を決めているのは64%であった。<br /> <b>地域住民の警報に対する反応傾向の分析:</b>東海地震に対する東京都民の関心が強く、「東海地震説」を信じているものも多く、マスメディアの地震関連報道への接触度も比較的高い。しかし、東海地震に関する知識は不十分であり、東京都が被る被害についても過大に予想している。焼津市における同報無線の聴取度はかなり低く、放送内容が理解できた人は回答者の12%にすぎす、声だけ聞こえた人が38%、声も聞こえなかった人は50%に上っていた。放送が聴取できなかった理由としては、同報無線の「こだま現象」を上げた人が28%、声が割れるというのが20%であった。<br /> <b>地震予知情報に対する焼津市民の対応:</b>焼津市民は東海地震に関し、地震そのものよりもこれに伴う津波に対し強い不安感を持っており、津波による建物の浸水・流出の危険をとりわけ重視している。市の指定避難場所について正確な知識を持っている人は少なく、一時集合場所を指定避難場所と混同している人もかなり多い。<br /> <b>焼津市の自主防災組織:</b>自主的な訓練や市主催の訓練への参加度は高い。参加の質についてみれば、市主催の防災訓練にほぼ全世帯から参加した場合が多いが、自主的に開催する防災訓練の場合には、役職者と役付班員または特に熱心な人のみという形が多い。<br /> <b>災害警報の伝達と住民の対応に関する事例研究:</b>1982年浦河沖地震、1983年日本海中部地震における津波警報は、気象庁の警報発令後30分経過しても、末端の地域住民のうち約5割程度にしか伝わらなかった。警報に関する情報に接した後、すぐに海岸線から遠ざかる避難行動をとった人は一人もいなかった。多くが身の安全よりも財産(船)保全を優先させる選択肢を選んだ。火山情報に対する住民の対応は、被害経験をもっているにもかかわらず概して火山情報に関する知識が十分でなく、日常的な防災準備も十分ではなかった。<br /> <b>④ 提言・結論 </b><br /> 地震予知情報の伝達に関しては、その伝達体制の現状分析、伝達過程に関し確実性、正確性、迅速性などを促進したり妨げたりする要因に関するきめ細かい研究が要求される。同報無線は災害警報の伝達メディアとして極めて有効な役割を果たすことが期待される。その聴取度をできるだけ高めるため、地域特性を勘案した上で、同報無線の増設や配置の工夫、個別受信機の導入、運用面での工夫などの措置を講じることが必要である。過去の経験や伝聞による予備知識の集積により、各人の津波に関して形成している知識枠が、諸処の津波指標に対して人々が取る行動に最も大きな影響を及ぼす。警報を十分に機能させるため、具体的な行動指針を含ませ、迅速、的確な対応行動を取りうるような災害情報システムの伝達システムの確立が必要である、<br /> | 災害警報の伝達とその効果に関する研究 | saigairep012.pdf | youyaku012.pdf |
| 13 | 1983年10月三宅島噴火における組織と住民の対応 | 1985-02-01 | 火山 | 三宅島 | 岡部慶三、田崎篤郎、廣井脩、三上俊治、山本康正、大畑裕嗣、田中敦、後藤嘉宏 | 住民対応の調査 | アンケート(三宅島) | 噴火 | 三宅高等学校インタビュー、阿古中学校生徒の避難行動、避難住民調査単純集計結果、阿古・坪田地区住民調査単純集計結果、バス運転手調査質問票、小・中学生アンケート調査結果 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1983年10月3日、三宅島は62年8月24日以来21年ぶりに噴火した。阿古地区に向かった溶岩は集落に至り、焼失・埋没による全壊家屋340棟、溶岩流のため出入不能となった家屋190棟、文教施設の全壊2校7棟、歯科診療所1棟を数える被害を生じた。また、マグマ水蒸気爆発により噴出した大量の噴石と火山灰が農作物等に大きな被害を生じた。噴火による罹災世帯は総計510世帯(三宅村全世帯の11.6%)、被害総額は推定217億1800万円にのぼっている。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>避難住民調査:</b>1983年10月26日~29日、避難所にいた一般成人、調査方法:調査票を配布<br /> <b>阿古・坪田地区住民調査:</b>在住の20歳以上の男女1200名、昭和59年1月12~17日<br /> <b>バス運転手調査:</b>噴火当日住民の輸送にあたった運転手11、昭和59年2月<br /> <b>阿古小・中学校調査:</b>阿古小学校90名、阿古中学校58名、昭和59年3月1日<br /> <b>集団面接調査:</b>阿古小学校児童5名、坪田中学校児童13名、昭和59年3月1日<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>三宅島測候所:</b>10月3日午後2時地震計は無感の火山性地震を記録し始め2時46分所長は村長代理に電話連絡した。3時30分頃突然サイレンが鳴り、同報無線から噴火の放送が聞こえてきた。<br /> <b>三宅村役場:</b>三宅村役場では、午後3時40分、「三宅村災害対策本部」に移行し、阿古地区に対し避難指示を発令するとともに、避難先を伊豆地区に決定し、午後3時50分阿古地区10ケ所の固定子局を通じて避難指示を行った。避難ため村営バスの出動を決定した。<br /> <b>三宅島警察署:</b>「甲号三宅島現場警備本部」を設置し、雄山の監視、本部への状況把握、異常発生時における住民の避難誘導、を指示した。<br /> <b>三宅村消防本部・三宅村消防団:</b>午後3時40分、村役場災対本部が設置されると、消防本部では直ちに警鐘によって各分団の分団員254名の招集を指示した。<br /> <b>三宅島噴火における住民の対応:</b>噴火当日の10月3日の避難者は1,774人、4日は713人、5~10日は600人台となっている。島外避難も少なくなく延べ859人となっている。<br /> <b>阿古・坪田地区住民の対応:</b>噴火の数ケ月前からさまざまな異常現象に気づいたという人が少なくなかった。噴火当時自宅以外にいた人が阿古地区46%、坪田地区52%、また、仕事に従事していた人が阿古地区60%、坪田地区55%と最も多くなっている。<br /> <b>小・中学生の対応行動:</b>阿古小中の生徒達の実に64.2%は、自宅から離れていたものは家に向かい、あるものは避難の準備をはじめ、阿古小中学校に行くといった避難行動をとっていた。<br /> <b>バス避難の実行:</b>噴火時の避難手段として両地区とも乗用車を使った人、阿古地区では59%、坪田地区では52%に達していた。阿古地区では村営バスで避難した人が第二位を占め、26%もあった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>防災機関の対応の特徴:</b>人的被害はきわめて少なかったのは.噴火直後の防災機関の対応が迅速だったため。避難誘導活動が適切であった。噴火の1ケ月半前に総合防災訓練を実施していた。<br /> <b>情報伝達・連絡体制の問題:</b>噴火当日は放送がこだまして聞き取りにくかった地域があり同報無線の使用マニュアルをきちんと作っておくことが必要である。移動系無線機の電源点検と確保の問題は、今後の重要な課題であろう。<br /> | 1983年10月三宅島噴火における組織と住民の対応 | saigairep013.pdf | youyaku013.pdf |
| 14 | 1983年5月日本海中部地震における災害情報の伝達と住民の対応 | 1985-03-01 | 地震 | 秋田県能代市 | 池田謙一、岡部慶三、後藤将之、後藤嘉宏、橋元良明、廣井脩、三上俊治 | 住民対応の調査 | アンケート(秋田県能代市) | 地震 | 若美町における同報無線放送の内容、飯田川町における有線放送の内容、日本海中部地震におけるNHK秋田放送局の放送記録、ABS秋田放送の災害放送の内容、能代調査の単純集計、八森港におけるインタビューの概要 | <b>① 災害の概要</b><br /> 昭和58年5月26日に発生した日本海中部地震は、東北北海道を中心に家屋の全半壊、道路の決壊、ガス・水道施設など各種の被害を与えたが、特に日本海沿岸に来襲した津波による被害は甚大であり、死者104人のうち100人がその犠牲となった。とりわけ秋田県の人的被害は大きく、港湾作業員40人、遠足中の児童13人など、県内死者総計82人、うち津波による人的被害は79人にのぼっている。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>秋田県能代市民の対応:</b>能代市旧市内、20歳~69歳の男女1,000名、1983年7月15日~22日<br /> <b>秋田県八森港における住民の反応:</b>津波被害に遭った住民20名、1983年7月12日~16日<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>日本海中部地震における津波警報の発令:</b>日本海中部地震は1983年5月26日12時00分に発生したが、その10数分後、日本海沿岸各地に津波警報あるいは津波注意報が発令された。<br /> <b>行政機関による津波警報の伝達:</b>仙台管区気象台が発令した津波警報は、秋田県では、秋田地方気象台、各種関係機関を経て住民に伝達された。各市町村は、津波警報についての広報を速やかに行い、各放送局も津波警報の発令を放送した。<br /> <b>津波警報に対する住民の対応:</b>能代市全体では津波警報で避難した人は36%にすぎなかった。青森県では2町2村に避難指示が発令され対象者総数26,753人のうち18,717人が避難している。秋田県では1市2町に避難指示が発令され対象者数18,300人のうち避難者は931人と5.1%である。<br /> <b>災害放送の実態:</b>「地震・津波の規模、発生場所、今後の見通し」などの災害因情報については、どの局も気象台を主たる情報源として利用している。<br /> <b>情報別にみた報道活動の実態:</b>NHK秋田放送局では、地震当日も翌日以降も、テレビ、ラジオとも「地震・津波の被害」および「行方不明者の救出捜索状況」を最重点に報道したと答えている。秋田放送では当日のラジオを除くと、「行方不明者の救出・捜索状況」の報道に最も大きな重点が置かれ、「地震・津波の被害」がこれに次ぐ。<br /> <b>災害放送と住民の情報ニーズ:</b>日本海中部地震の当日に能代市民が知りたかった情報で最も多かったのは「余震や津波の今後の見通しについて」(54.8%)で、以下、「水道・ガス・電気の復旧の見通しについて」(53.3%)、「地震・津:波の規模や発生場所について」(42.5%)、[家族や知人の安否について」(40.9%)、「地震・津波の被害について」(34.3%)と続いている。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>津波警報の早期発令:</b>仙台管区気象台が地震発生後14分で津波警報を発令したが、青森県深浦町では津波警報が発令される以前に津波の第一波が来襲した。できるだけ速く警報を発令できるよう、地震の震源確定から津波警報発令までの迅速化、および所要時間の短縮をはかる必要がある。<br /> <b>津波警報文の再検討:</b>秋田地方気象台から関係機関に通知されたのは、「ゴクオオツナミ」という略文であり、分かりにくかった。津波警報をだれにも理解できるものに変える必要がある。<br /> <b>住民への警報伝達体制の整備:</b>能代市や男鹿市では、住民に津波警報を伝達するのに広報車を使用し広報車から津波警報を知ったという人はわずか2パーセントしかおらず、改善が必要である。<br /> <b>津波意識の啓蒙:</b>能代市では「大地震の後は津波に注意する」という一般的知識をもちかつ津波を警戒していた人は9.4%であり、地震が発生したら津波に注意するという意識の徹底や避難訓練の実行など、住民の津波意識の啓蒙が必要といえる。<br /> | 1983年5月日本海中部地震における災害情報の伝達と住民の対応 | saigairep014.pdf | youyaku014.pdf |
| 15 | 東京都民の地震予知情報への対応 | 1985-03-01 | 地震 | 23区及び多摩南西部 | 田崎篤郎、廣井脩、三上俊治、田中敦、池田謙一 | 地震予知情報対応 | アンケート(多摩南西部) | 地震 | スケールの構成法とスケール間の関連調査票(単純集計結果付) | <b>① 災害の概要</b><br /> 予想される東海地震<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>調査対象地域:</b>本調査は23区と多摩南西部3市とで実施した。<br /> <b>調査対象地域:</b>東京都23区および多摩南西部(町田市、多摩市、稲城市)<br /> <b>調査対象者および標本数:</b>対象地域内に居住する20歳以上69歳以下の男女1,000名(東京都23区800名、多摩200名)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>地震への不安:</b>東京都民の約半数は、大地震がいつおこるかも知れないと不安に感じている。<br /> <b>地震による被害予想:</b>自宅の被害についてみると、「家がほとんど壊れてしまう」と予想する人は23区で23.3%、多摩南西部では23.1%、「家の一部が壊れると思う」人は23区で62.2%、多摩南西部では65.4%に達している。<br /> <b>防災対策・制度に関する知識:</b>東海地震の予知判定をする公的組織を「知っている」と回答した人は、23区、多摩南西部とも46%である。しかし、「地震防災対策強化地域判定会」という正式名称を正しく知っている人はきわめて少ない(23区:3.4%、多摩南西部:1.3%)。<br /> <b>日頃の災害準備:</b><br /> <b>家庭内防災対策:</b>回答者が日頃から実施している対策は、「懐中電灯の準備・整備」(23区75.5%、多摩南西部62.2%)「トランジスタラジオの準備・整備」(23区65.8%、多摩南西部48.7%)、「非常用食糧・飲料水などの用意」(23区48.9%、多摩南西部43.6%)などとなっている。<br /> <b>指定避難場所の知識:</b>どの程度の都民が自分の避難すべき指定避難場所を知っている人が23区85.1%、多摩南西部73.1%と圧倒的に多かった。<br /> <b>東海地震時の家族間の連絡方法と落ち合い先:</b>東海地震が発生したときの家族間の連絡方法を決めている東京都民は、23区で35.1%、多摩南西部で28.8%とかなり少なく、また落ち合い先を決めている人は23区40.6%、多摩南西部で33.3%といずれも半数に達していない。<br /> <b>自主防災組織への加入・防災訓練への参加・地震保険への加入:</b>自主防災組織へ加入していると答えた人が23区で12.6%、多摩南西部で15.4%だった。過去1年間の地震防災訓練へ参加した人が23区28.2%、多摩南西部24.4%、さらに地震保険へ加入している人が23区30.2%、多摩南西部22.4%となっている。<br /> <b>予想される対応行動:</b><br /> <b>判定会を知る場所:</b>判定会の開催のニュースが平日の午後2時頃だとしたら、自宅で知る人は4割前後、勤務先で知る人は約5割、外出先で知る人は1割前後である<br /> <b>警戒宣言への対応:</b>警戒宣言が出た後の行動について「テレビやラジオに注意する」という回答で6割から7割の人が「すぐする」と答え、「その後にする」行動でさらに1割の人がこれを実行するのである。次いで多いのが「家族と電話で連絡をとる」行動である。5割をこえる人がこの行動に言及している。また、「火の始末をしたり、ガスの元栓を締める」といった防災行動も多く、6割前後の人がこれを行なうと答えている。帰宅や貴重品などの持ち出し準備は、それぞれ2割から3割弱の人が「すぐする」と答えている。これらは「その後にする」行動としてもかなりの頻度を示している。最初に「安全な場所に避難する」と答える人が23区で14%、多摩南西部で17%、さらに二番目の行動で「(避難)する」人が23区で19%、多摩南西部で17%もいる。<br /> | 東京都民の地震予知情報への対応 | saigairep015.pdf | youyaku015.pdf |
| 16 | 1984年9月長野県西部地震における災害情報の伝達と住民の対応 | 1985-09-01 | 地震 | 長野県王滝村 | 岡部慶三、廣井脩、三上俊治、池田謙一、橋元良明、池田加久子、後藤将之、後藤嘉宏 | 住民対応の調査 | アンケート(長野県王滝村) | 地震 | 長野県西部地震に関する調査(調査票および単純集計) | <b>① 災害の概要</b><br /> 1984年9月14長野県木曽郡御岳山附近を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生した。木曽郡王滝村は推定震度6の揺れに襲われ、規模な崩落が発生し死者29名、重軽症者5名、全壊住家14棟,半壊73棟,一部破損340棟、被害総額は230億5000万円に達した。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>おける住民アンケート:</b>昭和59年12月~60年1月、王滝村に在住する20歳以上の男女、無作為抽出、留置自記式、回収数:529名中355名、回収率:67.1%<br /> <b>非難行動面接調査:</b>発震当時に滝越地区に在住していた成人男性6名,女性8名の合計14名、昭和60年3月20日から21日合計6名集団面接。昭和60年4月住民11名個別面接<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>地震当日の避難指示の伝達:</b>長野県西部地震は9月14日午前8時48分に発生したが,王滝村では地震当日「王滝村災害対策本部」を設置し、午前9時10分住民に避難の勧告・指示を決定した。避難指示の伝達は主として,消防団による伝達,および村役場職員による伝達,の2ルートで行なわれた。滝越地区が外部とはじめて連絡がとれたのは午前11時頃のことであり木曽福島のアマチア無線と交信し王滝村と連絡をとってもらった。<br /> <b>行政間情報連絡の混乱:</b>都道府県防災行政用無線が輻輳のため使用不能になった。重要加入電話は関係者や報道機関からひっきりなしに問合せや取材が続き、重要加入電話としての機能を果たさなかった。初期の情報連絡にはもっぱら孤立防止用無線電話機が活用された。無線の周波数が互いに近かったため、著しい混信が起こったという。信越放送が「王滝村臨時放送局」を設置し有線放送の内容がそのまま信越放送の放送として流した。<br /> <b>避難準備指示の発令:</b>避難準備指示を避難指示と誤解し混乱が起こった。<br /> <b>長野県西部地震におけるマス・メディアの対応:</b>王滝村で被害の取材は、マス・メディアは全て情報源が長野の公的機関だった。今回の地震の取材は、取材記者の無神経なマナーやルール違反により民のマスコミ拒否の姿勢が強まった。<br /> <b>長野県西南部地震に関する新聞記事の分析:</b>発災期には被害報道が最も多く,捜索期では行方不明者の捜索救出状況の情報が最も多かった。復旧期においては、情報ニーズの高いライフラインの復旧状況の記事が少ない。<br /> <b>長野県西部地震における住民の対応:</b>当日の地震は,「あまりにも揺れが激しく,非常に危険だと思った」人が過半数に達し(56%),また「無我夢中で何も考えられなかった」人も21%あった。屋内の家具等の被害は72%であった。避難指示を聞いた人は住民の65%。自宅を離れて避難した人は全体の71%であった。9月17日の避難準備指示を23%が「避唯指示」を聞いたと答えている。9月17日流言を聞いた住民は46%であった。地震の当日困ったものは、水道71%、電話65%、交通の便56%、食料や飲料水54%であった。<br /> <b>孤立地域における住民の非難行動:</b>集団非難は,地区住民の側に,日常的な連帯意識と暗黙の合意および自律性が存するために可能となった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>孤立危険地域への情報伝逢手段の設置:</b>王滝村では,滝越地区等は交通が途絶するとともに,情報からも孤立した。こうした孤立危険地域への情報伝達手段を設置することは意義がある。<br /> <b>情報伝達手段の耐震化:</b>情報伝達手段があっても,局舎の耐震化あるいは非常用電源の確保がなければ,緊急時にこれを使用することができない。したがって情報伝達手段の整備にあたっては,その耐震化と非常用電源の配備まで考慮した計画が必要であろう。<br /> <b>情報伝達手段の効果的利用(重要加入電話,都道府県防災行政用無糾など):</b>王滝村では,発災後,都道府県防災行政用無線や重要加入電話が有効に使用できなかった。運用面で輻輳を減少させる工夫も必要となろう。<br /> | 1984年9月長野県西部地震における災害情報の伝達と住民の対応 | saigairep016.pdf | youyaku016.pdf |
| 17 | 東海地震と清水市民 | 1986-03-01 | 地震 | 清水市 | 岡部慶三、廣井脩、池田謙一、橋元良明、宮田加久子 | 現地調査報告書 | アンケート(清水市) | 地震 | 「清水市民の防災意識についての調査」単純集計結果 | <b>① 災害の概要:</b>予想される東海地震<br /> <b>② 調査の内容:</b>静岡県清水市、上記地域内に在住する20歳以上の男女800名、選挙人各簿より層化二段抽出法、個別面接調査法、昭和60年8月22日~30日、回収数(回収率)712票(89.0%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>東海地震への関心:</b>東海地震に一番関心がある人が36.7%、2番目が14.3%となっており清水市民の半数はかなり強い関心をもっていた。10年前にくらべて東海地震への関心が強くなったと答えた人が28.2%、逆に弱くなったと答えた人が19.8%で全体として地震関心は強くなっている。<br /> <b>東海地震説への信頼:</b>「近い将来東海地域でマグニチュード8程度の大地震が起こる可能性がある」という東海地震説を現在も信じている人は13.5%、ある程度信じている人は63.9%にのぼる。<br /> <b>東海地震への不安:</b>東海地震について47.7%が不安を感じていた。それほど不安を感じていない人が47.6%、まったく平気だという人が3.5%おり、不安を感じていない人がいくぶん多かった。<br /> <b>日頃の防災対策:</b>建物・塀などを補強・改修している人は16.6%、していない人は82.2%である。家具類の固定・整理をしている人は27%、していない人は73%だった。ヘルメットや防災頭巾を用意している人が47.2%、用意していない人が52.8%となっている。非常持ち出し袋を用意している人は62.5%、用意していない人は37.2%だった。<br /> <b>防災訓練への参加:</b>過去1年間に地震防災訓練に以前よりも熱心に参加している人は10.5%以前と同じという人が55.5%、以前よりも参加しなくなった人が9.4%、以前も今も参加していないと答えた人が24.6%であった。<br /> <b>警戒宜言への信頼度と意見:</b>警戒宣言の防災効果を高く評価する人が70.6%、悲観的な人が14.0%、否定的な人が12.6%であり、圧倒的に多くの住民が警戒宣言の防災効果を積極的に評価していた。警戒宣言の空振りの可能性をたずねたところ、これを全面的に信頼している人が14.5%、必ずしも全面的ではないがかなりの信頼を置いている住民が59.6%、比較的信頼度の低い人が24.6%となっており4人に1人が空振りの可能性があると考えている。<br /> <b>空振りに対する意見とその後の対応:</b>①「警戒宣言は空振りを恐れず積極的に出すべきだ」、②「警戒宣言は地震が起こる見通しが確かになるまで出すべきではない」という意見のどちらに賛成するかをたずねると、①に賛成の人が70.9%、②が17.6%と、空振り容認派が多数を占めていた。<br /> <b>緊急警報放送システム:</b>「よく知っている」人は11.5%ときわめて少なく、「聞いたことはある」人が17.6%であり、「知らなかった」という人が70.6%と大多数を占めていた。<br /> <b>受信機購入意図:</b>緊急警報放送システムの受信機をすぐにでも買いたいという人は12.9%と比較的少なく、圧倒的多数(68.0%)の住民はしばらく様子をみてから買いたいと答えている。<br /> <b>地震後の生活:</b>東海地震によって自宅が居住不能となりかつライフラインが回復するまでに相当長期間がかかるという前提でその後の暮しをどうするかについて質問したところ、これを機に清水市から移転するという人が3.4%、親もとや郷里に一時疎開する人が11.2%、そして県や市に依頼して疎開先を探す人が4.1%であり、清水市から移転ないし疎開すると答えた人をあわせると19.7%となった。残りは残留意志のある人であるが、このうち、県や市が設ける避難所にとどまる人が24.3%、焼けあとにバラックを建てて暮す人が20.2%となっていた。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 昭和51年に東海地震説が初めて社会的にも公にされて以来10年に近い歳月が経過した。以後、「大規模地震対策特別措置法」にもとづき、東海地域を中心とする地域住民の防災意識は非常に高揚されたように見える。しかし、その後も平穏無事な日々が続き、東海地震を予感させるような前兆現象もほとんど認められていない。地域住民は当初に比べて心理的緊張が弛緩し、東海地震に備える対策において後退がみられるのであれば今後の対応策を考える必要がある。<br /> | 東海地震と清水市民 | saigairep017.pdf | youyaku017.pdf |
| 18 | 災害の及ぼす社会的影響 -長崎水害・久慈火災・日本海中部地震・三宅島噴火の比較研究- | 1986-03-01 | 災害調査以外 | 長崎市、岩手県久慈市、秋田県八森町、東京都三宅村 | 廣井脩、三上俊治、田崎篤朗、松村健生、山本康正、五十嵐之雄、土方正夫、池田謙一、橋元良明 | 研究成果報告書 | アンケート(長崎) | 長崎水害、久慈火災、日本海中部地震、三宅島噴火 | 住民アンケート調査票<br />災害関連新聞記事の見出し | <b>① 災害の概要</b><br /> <b>長崎水害:</b>昭和57年7月23日集中豪雨が発生し、長崎県一帯に被害を及ぼした。長崎市の死者・行方不明者総数は262人、負傷者は重傷13人、軽傷741人<br /> <b>久慈火災:</b>昭和58年4月27日久慈市長内町の林野から、火災が発生し、死者・行方不明者はゼロ、負傷者4名。山林被害7億円、漁業被害が6億円、建物被害が5億円被害総額は21億4千万円。<br /> <b>日本海中部地震:</b>昭和58年5月26日秋田県沖西方90キロを震源とするマグニチュード7.7の地震が発生した。この地震は東北・北海道に被害を与えたが、津波が日本海沿岸に来襲し100人の死者を生じた。被害総額が35億9,917万円にのぼる。<br /> <b>三宅島噴火:</b>旺和58年10月3三宅島雄山が突然噴火した。流れ出した溶岩は阿古地区集落に至った。マグマ水蒸気爆発が起こり被害総額は255億円にのぼった。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 基本的に定量分析が可能な資料の収集に努め、市町村役場などへの聞き取り調査と資料収集を実施し、各種統計資料の分析を行ない、各地区の被害地区でアンケート調査を実施した。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>長崎水害:</b>調査対象世帯のほぼ半分が家屋被害を受けており被害額は平均524万円であった。42%が水害後仕事や営業を休んでおり、再開までに要した期間は平均65.3日であった。水害後の収入は以前と変わらない世帯が40%、以前より減った世帯が15%であった。水害が商工業に与えた影響はきわめて大きく水害後売上が減少した商店は61%、水害後の経営状態が減益になった商店が66%、水害後1年間の決算が赤字の商店が62%となっている。<br /> <b>久慈火災:</b>火災による家屋被害は被害世帯の20%であり、被害世帯が要した再建費用は平均1、204万円となっていた。火災による家屋以外の被害額は平均660万円であった。被害を総合して被災世帯1世帯あたりの被害額を算出すると平均961万円であった。火災後仕事を休んだ世帯は59%で、仕事を再開するまでに要した期間は平均126日であった。火災後の収入の変化は、以前と変わらないという世帯が51%、以前より減少した世帯が28%だった。<br /> <b>日本海中部地震:</b>11%が家屋被害を受け、住宅再建費用は平均585万円であった。商品・漁具・自動車などの被害は平均676万円であり、これらの被害を総合し被災世帯1世帯あたりの被害額を算定すると平均778.4万円となっていた。日本海中部地震の後の休業期間は調査対象世帯のうち地震後仕事や営業を休んだ世帯が35%でありまた仕事を再開するまでに要した期間は平均452日である。地震後の世帯収入が増えた世帯はゼロ、減った世帯が29%変わらない世帯が38%である。<br /> <b>三宅島噴火:</b>三宅島噴火の家屋被害は、住宅全壊世帯が56%、一部破損世帯が1%と半数以上が被害を受けている。建築費用と家屋以外の被害を合わせ1世帯あたりの被害総額を算出すると平均1、831.9万円となった。調査対象世帯のうち噴火後仕事や営業を休んだ世帯は41%であるが、営業再開までに要した期間は平均148日となっていた。三宅島噴火後の世帯収入の変化については変わらないという世帯が最も多く41%を占めているが、減少した世帯も28%にのぼっていた。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・ これらの災害を比較すると経済的・社会心理的影響は大きいほうから三宅島噴火〉長崎水害〉日本海中部地震〉久慈火災の順になっている。<br /> ・ 三宅村や長崎市では市町村内に占める被災者および被災事業所の比率は、八森町、久慈市にくらべて相対的に多く、しかも被害の程度が大きかったため、このことが社会的影響を深刻なものにしている。<br /> | 自然災害特別研究研究成果<br /> 災害の及ぼす社会的影響 | saigairep018.pdf | youyaku018.pdf |
| 19 | 都市災害の情報問題 ―その1- | 1987-03-01 | 災害情報 | 江戸時代の災害、関東大震災 | 北原糸子、廣井脩 | 研究報告書 | 過去調査からの考察(江戸時代の災害、関東大震災) | 過去の地震 | 震災彙報-東京版、神奈川版<br />東京朝日新聞見出し(9月12日~18日) | <b>① 災害の概要</b><br /> <b>安政大地震:</b>安政2年(1855)10月2日江戸を襲った地震はM6.9の直下型地震で発生した地点が江戸であったために社会的影響の極めて大きいものであった。<br /> <b>関東大地震:</b>大正12年9月1日北緯35.2度東経139.3度の海底で、マグニチュード7.9の地震が突然発生し、関東の1府6県が被害を受けたが東京および横浜の被害は壊滅的だった。横浜市は死者・行方不明2万3000人、全壊・全焼世帯7万2000という被害を生じた。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> アンケート調査とは異なったアプローチをとって、過去の都市災害において情報問題に焦点をあてそのいくつかの側面を考察してみた。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>江戸時代における災害情報の伝播過程:</b><br /> <b>情報伝播過程にみられる地域性:</b>江戸を中心に拡散する情報の波は江戸を離れれば離れる程日数を要する。江戸以東および北陸方面に向う波は江戸との距離の遠近にほぼ見合った弧を描くが、中部・東海道周辺の地点では地震情報の遅速の入乱れが目につき大阪以西の各地点では江戸との距離と情報の遅速にはっきりとした相関を認めがたくなっている。<br /> <b>情報伝播の社会的特性:</b>江戸時代は緊急情報すら制度化された情報として位置付けされる成熟した社会であった。<br /> <b>情報行動にみられる階層性:</b>江戸時代は突発的な災害情報でさえ情報伝播の仕組が制度化されている社会だった。このような社会では、情報の制度的体系に真っ向から対抗するような動きは起こりにくい。<br /> <b>関東大震災における情報問題:</b><br /> <b>避難と避難生活:</b>地震直後から火災が発生し燃え拡がったため、多くの市民が避難したが確かな情報がないからただやみくもに逃げ回るばかりで幸運な人々だけが生き残った。避難者の総数は30万人にのぼっている。「臨時震災救護事務局」は東京府や東京市に委任し罹災者収容のためのバラックを建築させ10月中旬までに16万3千人を収容したバラック街ができあがった。<br /> <b>安否をたずねる人々:</b>家族と離れ離れになった多くの罹災者は,張り紙やノボリなど,きわめて原始的な手段によって,その安否をたずねることになったのである。<br /> <b>新聞広告欄の安否情報:</b>災害直後には罹災者には貼り紙やノボリに探し求める相手の氏名や年齢を書いたのであった。しかし、日が経つにつれ新聞が復刊されると新聞の広告欄が利用されるようになっていく。いくつかの公的・私的機関では「尋ね人探し」を行なっている。<br /> <b>「震災彙報」の分析:</b><br /> <b>臨時震災救護事務局:</b>震災直後の9月2日、政府は罹災者救護と被害の応急復旧を迅速に行なう目的をもって,「臨時震災救護事務局」を設置した。震災地の救助に必要な食料や資機材の「非常徴発令」を公布し、約6,500石の米を徴発・購入し被災者に供給した。<br /> <b>情報部と震災彙報の発行:</b>臨時震災救護事務局の情報部は新聞が全滅し各種の流言輩語がひろがったため、震災についての確実な情報を迅速に伝達する必要を認め9月2日「震災彙報第1号」を発行したのである。内容は、「政府の措置」、応急救護措置」、「復旧・復興状況」、住民への注意・禁止の呼びかけ、被害状況、などが報道された。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 都市防災は、わが国の防災対策のなかで基本的に重要な位置を占めている。都市災害を考える場合、過去の都市災害を振り返り,そこで顕在化した諸問題を洗い出す作業も必要であろう。<br /> | 都市災害の情報問題 ―その1- | saigairep019.pdf | youyaku019.pdf |
| 20 | チリにおける地震に関する調査 | 1987-03-01 | 地震 | チリ地震 | 岡部慶三、鈴木裕久、廣井脩、三上俊治 | 調査報告 | ヒアリング(チリ) | 地震 | 1986年調査質問票 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1985年3月3日(日曜)南米大陸西海岸のチリ共和国の約20㎞沖の海底15㎞の地点を震央としてマクニチュード7.8の大地震が発生した。チリ内務省防災局(ONEMI)の公式発表によれば被害は死者179名、負傷者約992,500名、全壊家屋約73,000戸、半壊家屋約148,000戸に達している。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>地震前後の状況に関する調査:</b>調査票を用いた個別面接調査(調査実施機関Gallup Chile)、ヒアリング、SANANTONIO市に居住する18歳以上の男女252名、1985年3月29日~4月3日<br /> <b>災害に対する態度の調査:</b>調査票を用いた個別面接調査(調査実施機関Gallup Chile)、18歳異以上のSANTIAGO市民から900名を抽出、1986年5月19日より約2週間。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>地震前後の状況に関する調査:</b><br /> <b>地震発生までの状況:</b>チリは世界有数の地震多発国であり、約70%の人びとが過去に大地震を経験し、関心は当然非常に高かった。3月3日の大地震発生の前に50%の人びとが「大きな地震が発生するかもしれない」という不安を抱いていた。地方自治体レベルでは地震発生時に食料・水・医薬品・衣料などが備蓄されていた様子はなかったし、住民の防災訓練もおこなわれたことはなかったらしい。住民の地震や防災に関する知識のレベルも決して高いものではなかった。<br /> <b>地震発生時の心理・行動:</b>地震が発生したとき人びとは非常に強い恐怖をおぼえたという。「揺れているときどのように行動したか」を質問したところ、もっとも多い行動は「子供や老人病人を助けに行ったり家族を落ちつかせ面倒をみた」26%、次いで「すぐに家から外にとび出した」で14%、「何がおこったかじっと様子をみていた」11%,「頑丈なものにつかまって身を支えた」7%,「安全な場所にかくれた」7%などとなっている。<br /> <b>持続的影響:</b>地震発生後約1ヶ月経過した時点でも,大地震の恐怖がいまだ消えさることなく持続的な影響を及ぼしている。3月3日の地震が極めて強いものであったことにもよるしその後引続き発生した余震によって恐怖が強化されたことにもよるのであろう。<br /> <b>流言:</b>SANANTONIOのサンプルの88%が流言らしきものを耳にしている。流言の内容は津波に関するものがほとんどである。<br /> <b>役に立った情報とメディア:</b>「地震直後に不安を鎮めるのに役に立った情報」としてあげられたものをみると全体として安否情報といわれるものが強く求められていることがわかる。チリでもラジオが安否情報を積極的に流し評価されたという。<br /> <b>災害に対する態度の調査:</b><br /> <b>1985年3月3日のとっさの対応行動:</b>「ドアのところに立った」という人が16%と最も多く、「揺れのおさまるまで待っていた」(13%),「家族を探しに外出したり家族と一緒にいたりした」(11%),「庭に飛び出した」(11%),「道路や広場に飛び出した」(9%),「家族のために安全な場所を探したり家族を落ち着かせたりした」(8%)と続いていた。<br /> <b>環境上の危険の認知:</b>近隣環境の中でもっとも危険の認知度が高いのは交通量の多いハイウェーや通りである。建物の密集やこわれやすさ狭い街路なども比較的認知が高い。<br /> <b>大地震への不安:</b>「大地震がまた起こるのではないかと思うことがあるか」と尋ね「ある」と答えた人は88%,「ない」と答えた人は12%だった。移転したいと思う人が34%となっている。<br /> <b>地震でこわい場所:</b>サンチアゴでは地震でこわい場所として「エレベーター」という回答が15%でもっとも多くなっているが東京では5%にすぎない。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> チリは日本と同じく世界有数の地震頻発国でありながら、社会科学的災害研究は皆無であるので、これらの調査が同国におけるこの領域の研究の今後の発展に対して寄与することを願っている。<br /> | チリにおける地震に関する調査 | saigairep020.pdf | youyaku020.pdf |
| 21 | 巨大地震と東京都民 | 1987-03-01 | 地震 | 新宿サブナード地下街 | 廣井 脩、田崎 篤郎 | 現地調査報告書 | アンケート<br />(新宿サブナード地下街) | 地震 | 地震についての調査単純集計結果<br />新宿駅地下街利用者アンケート調査結果<br />事業所の種類別結果 | <b>① 災害の概要:</b>予想される東京大地震<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>巨大地震時における東京都民の対応:</b>東京23区内および多摩地区の1200名、調査員による個別面接法、昭和60年3月7日~14日、回収数(回収率):23区内771人(77.1%)、多摩159人(79.5%)<br /> <b>新宿地下街利用者の対応:</b>地下街通行量調査、アンケー卜調査、新宿サブナード地下街、通行中の成人男女226人、面接・他記式、昭和61年3月23日、24日<br /> <b>都内大企業の防災対策:</b>東京都内の700社、回答234社、郵送法、昭和61年2月1日~10日<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>巨大地震時における東京都民の対応:</b><br /> <b>地震への関心:</b>「地震」の相対的関心度は東京23区で第5位、多摩南西部では第6位であった。<br /> <b>大地震に関する情報接触:</b>大地震についての情報源は、「テレビ・ラジオ」や「新聞」といったマス・メディアが多く、次いで「県や市の広報紙・防災の手引き」となっている。<br /> <b>地震への不安:</b>東京に大地震が発生するかもしれないと不安を抱いている人は6割弱である。<br /> <b>地震時に危惧する災害:</b>第1位は「火災」であり23区内87%、多摩南西部83%に達していた。<br /> <b>地震時にこわい場所:</b>「地下街」をあげる人が最も多く「地下鉄」、「エレベータ」も多かった。<br /> <b>日頃の防災対策:</b>非常持ち出し品を「用意している」家庭が半数を超えていた。用意した非常持出し品は「壊中電灯」「救急医薬品」「乾パン・ミルク・缶詰など」となっていた。<br /> <b>東京大地震時における新宿地下街利用者の対応:</b><br /> <b>通行量調査:</b>新宿サブナードの出入りを合わせた総通行量は、3月23日(日)は217千人、24日(月)は82千人であり、23日のほうが136千人も多く、2.6倍となっている。<br /> <b>地下街の地理習熟度:</b>地下街の利用経験であるが、この地下街に来たのは「はじめて」という人は13%であり86%が「はじめてではない」と答えている。「ときどき来る」人が71%「ほとんど毎日くる」人が16%「1・2度来たことがある」人が12%となっていた。<br /> <b>利用目的:</b>「買物」39%、「通り抜け」25%、「その他」12%、「仕事」11%。<br /> <b>地下街の危険性:</b>関東大震災クラスの大地震が起こった場合、地下街の安全性を信頼している人は28%にすぎず逆に危惧している人が70%と圧倒的多数を占めていた。<br /> <b>都内大企業の防災対策:</b><br /> <b>事業所の災害環境:</b>調査対象の事業所の過半数は「都心のビル密集地」に、約3割が「住宅とビルの混在地」に立地している。「都心の繁華街」にある事業所も1割弱で全体の9割が建物密集地帯に所在している。<br /> <b>防災体制・地震対策:</b>防火計画(対策)を文書化している事業所は全体の約8割で、文書化されてはいないが防災計画を持つ事業所を含めると9割の事業所には防災計画が整っている。これまでに地震防災訓練を実施したことがある事業所は80.8%で、 2割の事業所では実施していない。<br /> <b>災害情報の伝達体制:</b>「社内放送設備を利用し一斉放送で」伝達するという事業所が83%と圧倒的に多い。外来者(顧客や見学者など)対策としては、「避難させる」という事業所が73%とかなり多いが「決めていない」という事業所も23%いる。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・ 事業所として地域の自主防災組織に加入しているところは47%であった。<br /> ・ 自社の防災対策が十分であると自信を持つ事業所は37%で、半数の事業所は防災対策になんらかの欠点なり不安を抱いている。<br /> | 巨大地震と東京都民 | saigairep021.pdf | youyaku021.pdf |
| 22 | 1986年伊豆大島噴火における災害情報の伝達と住民の対応 | 1988-01-01 | 火山 | 伊豆大島 | 田崎篤郎、廣井脩、三上俊治、吉井博明、田中淳、後藤嘉宏、北後明彦 | 災害情報の伝達と住民の対応 | アンケート(伊豆大島) | 噴火 | 住民アンケート調査-単純集計<br />住民避難の実態-聞き取り調査<br />質問項目および地区別集計結果 | <b>① 災害の概要</b><br /> 昭和61年11月21日伊豆大島は200年ぶりの大噴火に見舞われわずか12時間で1万人を超える住民が島外避難を余儀なくされた。61年12月19日から22日にかけてほぼ全員が帰島した。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>伊豆大島噴火における住民の対応:</b>大島町に在住する20歳以上の男女1000名、選挙人名簿により無作為抽出、調査員による個別面接聴取法、昭和62年2月1日~7日、改修数:807票(80.7%)<br /> <b>伊豆大島噴火後の観光客意識調査:</b>東京(竹芝)、熱海から船で伊豆大島へ行く観光客、1987年2月19~22日、2月26日~3月1日、竹芝(東京)、熱海からの乗船客から515名を有為抽出<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>伊豆大島噴火における防災機関の対応と情報伝達:</b><br /> <b>東京都の対応:</b>1986年11月15日の第1回噴火後は東京都も警戒体制をとり災害対策部職員を2班(A班とB班)に分け本部に2人が泊まり込みをするなど非常時の出動体制をとった。最初の避難指示は21日午後5時に温泉ホテルの宿泊者、従業員に対してなされた。<br /> <b>大島町の対応:</b>15日の噴火直後、大島町は同報無線を通じて通行規制と住民への注意事項を放送した。21日大島町役場では噴火の直前から住民避難にいたるまで、様々な情報を流している。<br /> <b>伊豆大島噴火における住民の対応:</b><br /> <b>噴火前の対応:</b>噴火時の防災対策をしていた人も少なく、「何もしなかった」人は73.2%いた。<br /> <b>11月21日の噴火時にいた場所と住民の行動:</b>85%強の住民が自宅ないしその周辺にいた。住民が噴火を最初に知ったきっかけとしては、直接目や耳で知った人が圧倒的に多い。<br /> <b>避難指示の聴取:</b>噴火の当日避難準備指示を聞いた住民は半数程度であった。「町の防災無線の放送(有線放送)で聞いた」人が67%、また「消防団の人から聞いた」人が29%となっていた。<br /> <b>住民の避難行動:</b>噴火当日、自宅を離れてどこかに避難した人は99%ときわめて多かった。<br /> <b>島外避難について:</b>噴火当日に過半数が島外避難を始めている。避難途中で、ひょっとしたら島外避難という事態もあると感じていた人(50%)とそうは思わなかった人(49%)である。<br /> <b>行政への要望:</b>国や東京都に対して要望することは「避難港の整備や避難船の準備」(63%)、「情報連絡体制の充実」(58%)「避難所や避難道路の整備」(43%)など避難関連の要望が多かった。<br /> <b>伊豆大島噴火後の観光客意識調査:</b><br /> <b>再噴火への不安と危険予想:</b>全体として不安を感じている人が少ない。ほぼ半数の入が前回と同様ないしはそれ以上の噴火を予想している。<br /> <b>噴火前の対応行動予測:</b>「もしあなたが大島滞在中に大噴火が起きた場合、あなたはどうしますか」という質問に対して「避難命令が出るまでしばらく様子をみる」が42%で最も多い。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>噴火時の情報収集・伝達上の問題点:</b>同報無線は住民広報用の手段であるが移動系無線は行政連絡用のメディアとしてきわめて有効であり、双方向性をもつため災害現場と対策本部との相互通信が可能であるとともに本部の指示が瞬時に各現場に伝わるという利点もある。大島ではハードの設備が整っていながらソフト面でこれを活用できなかった。今後、中継局の増設、職員の使用訓練の実施、無線局の増設などの措置が必要であろう。また、未確認情報をもう一度確認しなおすというシステムをつくっておくことが望ましいと思われる。火山噴火災害の発生直後には、観光客対策を十分にとっておく必要があると思われる。<br /> | 1986年伊豆大島噴火における災害情報の伝達と住民の対応 | saigairep022.pdf | youyaku022.pdf |
| 23 | 地域情報化政策の現状と課題 | 1988-03-01 | 災害調査以外 | 全国自治体 | 船津衛、廣井脩、田崎篤郎、清原徹二 | 地域情報化政策に関する研究報告 | アンケート(全国の自治体) | 地域情報化による災害情報伝達の円滑化 | 1.調査票及び単純集計結果<br />2.地域場ほか政策と取組体制 | <b>① 災害の概要</b><br /> 地域情報化は高度情報化の第2段階であるといわれる。情報化は「拠点的展開」から「面的展開」に向かい、社会のあらゆる側面において進行してきている。そこで利用されるメディアは高度化され「ニューメディア」が多く導入されるようになってきている。「地域情報化」には、地域産業、地域生活、地域文化そして行政サービスの情報化が含まれ、OA機器の導入が行なわれ、また、システム化やネットワーク化あるいはオンライン化が推し進められている。地域情報化は、何よりもまず、地域社会における産業のおくれを取り戻し、中央との経済格差を是正するものと期待される。<br /> しかしながら、地域情報化に関する具体策が現在のところ、かなりあいまいである。それはきわめて内容の乏しいものとなり、とりわけ、長期的展望を持たず、場当たり的なものでしかない場合が少なくない。しかも、その計画作成に当たって、住民のニーズをあらかじめ十分に汲み取っていないことが多い。そのため.地域情報化の展開が上すべりのものとなり、地域に密着した情報化とは必ずしもなっていない。<br /> <b>② 調査の内容:</b>調査票郵送によるアンケート調査、全国の自治体(都道府県および人口5万以上の市すべて)463、昭和62年3月16日~31日、調査対象数:463、回収数:264、回収率:57%<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> 地域の情報化が地域の活性化にどのように役立つかについて、各自治体にアンケート調査を行った結果において、全体では「大いに役立つ」が34.8%、・「まあ役立つ」が35.4%で、あわせて7割と高くなっている。都道府県レベルでは、「大いに役立つ」が51.7%と高く、「まあ役立つ」の34.5%とあわせると8割8分にも達している。市レベルでは「大いに役立つ」が32.4%とやや低いが、「まあ役立つ」の35.6%をあわせると6割8分となっている。<br /> 地域別では、中・四国地方において「役立つ」とする比率が高く91.3%になっている。次に高いのは九州地方の77.3%と北海道・東北地方の73.9%である。これに対して、関東地方では.「役立つ」とするものが50.7%と低く一またわからない」も39.0%と多くなっている。<br /> 人口規模別では、50万以上都市の85.7%、20万~50万(未)都市の84.8%が「役立つ」と答え、その比率か高くなっている。これに対して、10万~20万(未)都市では62.6%、10万未満都市では62.9%とやや低い。そして、10万~20万(未)都市では「わからない」とするものの比率が34.4%と高く、また、10万未満都市では「あまり役に立たない」と答えたものが10.2%と目立っている。<br /> 総じて、地域情報化による地域産業の活性化について多く述べられており、そこにおける情報化の果たす役割について大きな期待がかけられている。地域情報化の当面の意義はこの地域産業面に見い出される。しかし、これに比べて、地域生活や地域文化の面での活発化に関する貢献はやや少なく、具休的なイメージがいまなお明確化されていないといえる。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 現在、国に対していくつかの要望が存在している。全体において最も多いのは「費用の援助を」であり、70.2%と他をひき離して多くあげられている。次に多いのは、「人材の育成を」の32.2%、「明確な方針を」の30.2%、そして、「情報を多く」の24.4%である。都道府県レベルでは、「費用の援助を」が96.7%と圧倒的に多くなっている。次いで「人材の育成を」50.0%、「明確な方針を」が36.7%となっている。市レベルでは、「費用の援助を」が66.7%で一番多く、ほかに、「人材の育成を」が29.8%、「明確な方針を」が29.4%、そして「情報を多く」が25.4%となっている。<br /> 「情報を多く」の内容は、「情報をもっと多く」、「具体的事例を知らせてほしい」、「他市町村の動向を知りたい」などである。「費用の援肋を」の内容は、「情報基盤整備の財政援助」「補助金、融資制度の整備」などがあげられている。「人材育成を」の内容は、「情報化に必要な人材供給」「人材の派遣」、「専門家養成のための教育機関」などである。<br /> | 地域情報化政策の現状と課題 | saigairep023.pdf | youyaku023.pdf |
| 24 | 情報化の地域間格差と情報行動 政策の現状と課題 | 1989-01-01 | 災害調査以外 | 新潟市、和歌山市、熊本市 | 田崎篤郎、石井健一、船津衛、三上俊治、橋元良明、鈴木裕久、清原徹二、廣井 脩 | 情報化の地域間比較の調査 | アンケート<br />(新潟市、和歌山市、熊本市) | 地域の情報格差による災害情報伝達の状況 | 調査票(地域別結果付き) | <b>① 災害の概要</b><br /> 情報化社会の時代を迎えようとしている現時点において、情報化の進行状況を、個人の情報行動のレベルで把握するため、ニューメディアが個人の着生活領域にどの程度まで浸透しているのか、ニューメディアの出現や普及が従来までの情報行動にどのような影響を与えつつあるのか、また、情報化の進行状況の地域間格差の状況などが調査された。地域の情報化が、電気通信メディアの普及と有効利用によって経済的・文化的地域差の解消を計ろうとするものでありながら、現実には、地域情報化の不均等進展により、情報環境の地域間格差は一層拡大することが予想される。<br /> <b>② 調査の内容:</b>新潟市、和歌山市、熊本市、15歳-64歳までの男女、各市300人、住民登録票より無作為抽出、個別面接法、昭和62年3月6日-14日、回収数(回収率):新潟市247(80%)、和歌山市229(76%)、熊本市237(79%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> 東京より「進んでいる」という評価が高かったのは「地域の交流がさかんなこと」(28%)というコミュニティ・コミュニケーションにかかわるものだけであり、逆に、「だいぶ遅れている」という評価が高かったのは、「いろいろな大孝や専門学校の教育が受けられること」(58%)、「催しものやコンサート、演劇・展覧会などがたくさんあること」(56%)、「専門的な知識や情報をもっている人がたくさんいること」(35%)などの専門的・文化的情報であった。<br /> 新潟・和歌山・熊本の3市の住民は、「アクセス格差」、「情報コスト格差」、「情報内容格差」、「地域情報格差」のいずれについても東京より遅れていると考えていることがわかった。とくに、情報の「アクセス」面にもっとも大きな格差を感じている。次いで、格差感が大きかった順にいうと、「情報内容格差」「情報コスト格差」「地域情報格差」となっていた。これら3地域の住民の情報格差感は、各種の情報接触の機会がないことにもっともはっきりと現われ、情報コストに関してはさほど大きな格差を感じていないといえよう。<br /> この情報格差感を地域別にみると、かなり大きな相違があった。すなわち一般的傾向として、格差感はいずれの項目についても和歌山〉熊本〉新潟となっており、和歌山市民の格差感がもっとも大きくなっていた。このことは、情報格差感を生み出す要因は大都市からの距離(この点では熊本市がもっとも遠い)というよりも、むしろ当該地域の情報化への取組みの遅れ(和歌山市がもっとも遅れている)にあることを示唆するものと考えられる。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 到来する情報化社会が、各種ニューメディアの大いに普及した社会であるとするならば、個人の行動のレベルでの情報化とは、ニューメディアを利用した情報行動が一般的になるということであると考えられる。本調査研究の対象地域である新潟市、和歌山市、熊本市は、地域の情報化に対する自治休の姿勢の遠いから、現在においても、情報環境にかなりの格差が生じているが、このことは、人々の情報行動にもかなりの影書を与えつつあることが明かにされた。例えば、ニューメディアへの知名度や使用経験、情報機器の所有状況は、地域情報化の進展状況を反映しているし、ニューメディアや新しい情報提供システムへの利用希望も、地域情報化の最も進んでいる熊本市において高く、地域情報化後進県の和歌山市で最も低くなっている。<br /> 情報環境の地域間格差が一層拡大されるにつれ、個人の情報行動の情報化も、地域差がますます大きくなると思われる。個人の情報行動が、直接面談型の第Ⅰ種情報行動から従来のメディア利用の第Ⅱ種情報行動へ、第Ⅱ種情報行動からニューメディア利用の第Ⅲ種情報行動へと移行していくという想定は、余りにも単純すぎるものであろう。調査結果の一部から判断すると、第Ⅰ種と第Ⅱ種の情報行動でさえ、相互に代替的というよりも補完的ないし相乗的な関係にある場合が少なからずみられ、行動領域によって第Ⅰ種と第Ⅱ種の情報行動が使い分けられたり、あるいは両者とも使われるという場合も多いこうした関係は、第Ⅰ種、第Ⅱ種情報行動と、第皿種情報行動との閤にも予想されることであり、この3種類の情報行動間の関係を明らかにすることが、今後の課題として残されている。<br /> | 情報化の地域間格差と情報行動 | saigairep024.pdf | youyaku024.pdf |
| 25 | 1987年千葉県東方沖地震における災害情報の伝達と市町村・住民の対応 | 1989-01-01 | 地震 | 都内80市町村防災担当 | 廣井 脩 | 論文 | アンケート(都内80市町村防災担当) | 地震 | 千葉県内住民調査 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1987年12月17日関東地方南部に強い地震が襲った。「千葉県東方沖地震」である。銚子・勝浦・千葉で震度5を記録しとくに千葉県では死者2名、住家の全壊16棟、半壊102棟、一部破損71,212棟、道路の損壊1,832ケ所、河川の損壊176ケ所などとなっている<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>千葉県東方沖地震における千葉県内市町村の対応:</b>昭和63年4月、80市町村の防災担当者に対し郵送法によって実施したものである。回収率は57(回収率71.3%)であった。<br /> <b>千葉県東方沖地震における千葉県民の心理と行動:</b>61年12月末,市原市・長生郡長南町・同郡長生村の3地域,調査対象者は地震時に当該地域にいた成人男女300名ずつの計900名。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>千葉県東方沖地震における災害情報の伝達:</b><br /> <b>都道府県防災行政無線の輻輳:</b>都道府県と市町村の間には「都道府県防災無線」があり、情報伝達にこれが活用されているが周波数がかぎられているため混雑してしばしば輻輳が生じる。<br /> <b>一般加入電話の輻輳:</b>人々が一斉に電話に殺倒したことによる異常輻輳が問題で、千葉県内の電話局では地震発生直後から輻輳が発生しその状況が長期間継続した。<br /> <b>ラジオの効用:</b>地震直後から千葉県内の21の配電用変電所が送電をストップしたため茂原市などおよそ30万世帯が一時的に停電したが、ラジオへの依存が強くなっていた。<br /> <b>千葉県東方沖地震における千葉県内市町村の対応:</b><br /> <b>災害対策本部の設置:</b>今回の地震において「災害対策本部」を設置した市町村は21%とほぼ5分の1であった。<br /> <b>地震時の情報収集:</b>地震情報や津波注意報など気象官署が発令する情報は本来都道府県を経由して伝達されることになっているがもっとも早く入手した経路は地震情報の場合には「NHKテレビ」が51%と圧倒的に多く次いで「NHKラジオ」(23%),「千葉県」(19%)の順になっていた。<br /> <b>地震時の通信手段:</b>地震時に使用した通信手段は、一般加入電話(91%)と都道府県防災行政無線(83%)の使用率が圧倒的に高く、市町村防災行政無線移動系(58%),職員の口頭伝達(51%),市町村防災行政無線固定系(49%)の順になっていた。<br /> <b>地震時の広報活動:</b>地震当日、住民への広報活動を行った市町村は70%と非常に多数だった。広報活動の内容としては,気象官署から通知された「地震情報・余震情報」(60%)や「津波注意報」(58%)の広報がもっとも多く、次いで「火の始末などの呼びかけ」(53%)や「山崩れ・ガケ崩れへの注意」(28%)など二次災害の防止広報となっていた。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>千葉県東方沖地震時の災害情報:</b>特徴的な問題として、都道府県防災行政無線の輻輳、一般加入電話の不通、災害時優先電話の通話困難、ラジオの効用、の4点をあげることがでる。<br /> <b>防災対策の問題点:</b>情報関連の反省点が多く「防災行政無線など通信機器の整備」、「情報収集体制や広報体制の整備」、「輻鞍対策」、「夜間や休日の通信連絡体制の確立」、「職員の情報通信訓練」など非常に多岐に及んでいた。<br /> <b>国や県への要望:</b>「液状化対策」や「ブロック塀対策」など今回の地震被害と密接にかかわる要望、とくに市町村が防災対策を実施するうえで必要な補助金などの増額を求める意見が多かった。<br /> | 1987年千葉県東方沖地震における災害情報の伝達と市町村・住民の対応 | saigairep025.pdf | youyaku025.pdf |
| 26 | 噴火と防災-伊豆大島噴火後の防災対策と住民心理- | 1989-03-01 | 火山 | 伊豆大島 | 廣井脩、田崎篤郎 | 論文 | アンケート(伊豆大島) | 噴火 | 伊豆大島噴火についてのアンケート調査<br />伊豆大島町役場1988年1月11日聞き取り調査概要 | <b>① 災害の概要</b><br /> 昭和61年11月21日伊豆大島は大噴火に見舞われ、12時間のあいだに1万人を超える住民が島外避難を余儀なくされた。これらの人々は12月19日から22日にかけてほぼ全員が帰島した。<br /> <b>② 調査の内容:</b>昭和62年2月調査(1,000名)のうち住所・氏名を特定できた750人、留め置き自記式、昭和63年2月25日~3月15日、回収数:577票、回収率:76.9%<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>61年11月21日の大噴火後の生活:</b><br /> <b>島外避難した場所と帰島した時期:</b>島外避難してから大島に戻るまでのあいだもっとも長くいた所は「公共の避難施設」という回答がもっとも多く59%と過半数を占めている。<br /> <b>島外避難中の収入減:</b>この約1ケ月にわたった島外避難のため、7割近い島民が収入減を訴えている。<br /> <b>帰島後1年間の収入減:</b>帰島後の1年間の収入は約半数(50%)が「変わらない」と答えているが、37%の島民は「収入が減った」としている。<br /> <b>収入減への噴火の影響:</b>帰島後の1年間の収入が噴火以前の年間収入とくらべてどの程度減ったかでは、「50万円未満」という人が21.3%で最も多かった。<br /> <b>大島全体の地域経済の変化:</b>伊豆大島の地域経済が噴火後変わったかどうかでは、7割近くが地域経済の悪化を認めている。<br /> <b>再噴火への不安:</b><br /> <b>再噴火への不安:</b>不安を感じている人は37%となっていた。<br /> <b>再噴火の可能性:</b>61年と同規模以上の噴火が起こると思っている人は16%にすぎず、73%もの圧倒的多数が噴火があっても61年の噴火より大きくならないだろうと答えた。<br /> <b>噴火予知への信頼:</b><br /> <b>噴火予知一般への信頼:</b>現在の科学技術の水準で大噴火の発生を「かなり正確に予知できる」という人は1%、「噴火の危険性は予測できると思う」人が59%、「予知はもちろん危険性の予測も難しい」が36%となっていた。<br /> <b>三原山噴火予知への信頼:</b>「噴火の危険性は予測できると思う」人は61%、「予知はもちろん危険性の予測も難しい」という人が32%となっていた。<br /> <b>予知情報に対する評価:</b>「予知情報は空振りを恐れず積極的に出すべきだ」と「噴火の見通しが確かになるまで出すべきではない」のどちらに賛成をたずねたが前者の「予知積極論」が45%後者の「予知消極論」が32%となっており予知積極論が多数を占めていた。<br /> <b>行政の防災対策への評価:</b>大噴火以後再噴火に備え「観測体制」の整備のほか行政が一体となって、通報体制の整備、情報連絡体制の強化、避難誘導体制の整備などの防災対策を実施してきた。もっとも高い評価を受けているのは「情報伝達体制の整備」で81%の人が評価した。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 大噴火からほぼ1年が経過したが伊豆大島では危険な状態が継続しており再噴火が発生している。しかし、身体に感じられるような大噴火の兆候はほとんどなく住民にはもう噴火は起こらないのではないか、噴火があってもそう大きくならないのではないか、という希望的観測が拡がっていることも事実である。大災害を経騒した直後には、住民の防災意識と防災対策がいちじるしく向上しふたたび大災害の危険がある場合にとりわけその傾向が強いが、災害から時間が経過するにつれ危険の兆候があまり感じられない場合にはそうした防災意識がしだいに低下していく。<br /> | 噴火と防災-伊豆大島噴火後の防災対策と住民心理- | saigairep026.pdf | youyaku026.pdf |
| 27 | 1988(昭和63)7月「浜田水害」と住民の対応 | 1990-01-01 | 水害 | 島根県浜田市牛市町・紺屋町・錦町・下府町 | 廣井 脩 | 論文 | アンケート(浜田市、相生町、朝日町、宇野町、竹迫町、大辻町、三階町) | 水害 | 住民アンケート調査単純集計、現地聞取調査の抜粋 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1988年7月14日から15日にかけて島根県浜田市に集中豪雨が襲った。浜田市は過去にもしばしば集中豪雨に見舞われてきたが15日の日雨量は394.5ミリに達し1912年に浜田測候所が開設されて以来最大の記録となった。15日明け方には浜田市内を流れる浜田川などの河川が氾濫し、多くの住家が全半壊・床上浸水などの被害を受けた。また山間部ではがけ崩れが多発し、とくに三階町や後野町の被害がいちじるしかった。浜田市の被害は死者2人、行方不明3人、重軽傷27人、住家の全壊61世帯、半壊65世帯、床上浸水1640世帯、被害総額494億5800万円にのぼった。<br /> <b>② 調査の内容:</b>島根県浜田市牛市町・紺屋町・錦町・下府町の全世帯、平成元年3月、留め置き自記式、世帯数:910、有効回収数:734、有効回収率:81%<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>被害の概要:</b>床上浸水住宅は,避難命令の発令された牛市町・紺屋町・錦町のほうが,下府町より住宅被害が多少多くなっていた(牛市町・紺屋町・錦町28.7%,下府町15.9%)。「家財道具に被害を受けた」人は両地域ともほぼ2割程度だったが「商品被害」、「設備・機械被害」、「戸や壁の被害」などは牛市町・紺屋町・錦町のほうが多かった。<br /> <b>大雨洪水警報の認知と信頼:</b>松江地方気象台が7月14日午前発令た「(大雨洪水警報を)水害の起こる前から知っていた」という人は、牛市町・紺屋町・錦町で49%,下府町で37%である。大雨洪水警報の情報源は両地区とも「テレビ」が圧倒的に多い(牛市町・紺屋町・錦町75.2%,下府町78.9%)。「警報どおり大雨や洪水が起こるかもしれないと思った」人は牛市町・紺屋町・錦町のほうが多く、「雨はかなり降ると思ったが災害が起こるとは思わなかった」人は下府町のほうが多くなっていた。<br /> <b>避難した人々の対応:</b>「避難しなかった」人が牛市町・紺屋町・錦町で9割、下府町で7割であった。少数の避難者があげた避難の理由は「雨が激しくなったので家族と相談して」(牛市町・紺屋町・錦町53.3%,下府町43.3%)だった。<br /> <b>避難しなかった人々の対応:</b>避難しなかった人の半数近くの人が「2階に逃げればいい」「避難の必要はないと」と考えていた。<br /> <b>水害時の情報ニーズと情報行動:</b>65%の人が「気象情報」、48%の人が「災害情報」のニーズを強く感じていた。同報無線が理解できた人は半数程度であり、そのうちの4割程度の人は同報無線が有効であったと思っている。<br /> <b>避難命令への対応:</b>6時15分に避難命令が出たが、それを受け取った人は3分の1程度であった。「市の防災無線」から聞いた人はそのうちの6割程度で、3割程度は「広報車」から聞いている。避難命令を聞いても、9割弱のひとは避難しなかった。同胞無線から避難命令を聞いた人のうち内容がよく理解できた人は2割弱であった。<br /> <b>個別受信機の導入について:</b>半数近くの人が全世帯に個別受信機の設置を望んでいる。自己負担で導入を望む人は3割程度で2万円程度なら許容できるひとが大半である。<br /> <b>日頃の防災対策とその効果:</b>日頃の防災対策を何もしていない人は1割程度で、大半の人が何らかの防災対策(情報行動:6割程度、保険に加入:4割程度、非常持ち出し品:3割程度、貴重品を高所に保管2割前後)を行っており、半数近くが有効であったと考えている。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 今回の水害では、物的被害は1983年の水害と相違がないのに人的被害がいちじるしく少なくなっていた。その理由はいくつかあるが、住民の水害への防災意識が高まったこと、および災害情報システム(同報無線)が導入されたことによって今回は住民の早期避難が可能になったといえる。<br /> | 1988(昭和63)7月「浜田水害」と住民の対応 | saigairep027.pdf | youyaku027.pdf |
| 28 | 重点領域研究成果 災害多発地域における災害文化の研究 | 1990-03-01 | 災害調査以外 | 鹿児島市東桜島支所、鹿児島具郡桜島町 | 五十嵐之雄、船津衛、廣井脩、田崎篤郎、三上俊治、仲田誠、橋本良明 | 地域社会における災害意識に関する調査 | アンケート(鹿児島市東桜島支所、鹿児島郡桜島町) | 火山噴火、津波、台風 | 地域別単純集計結果付き調査票 | <b>①災害の概要</b><br /> 地震・津波・台風などの自然災害の多発地帯には、災害発生の兆候や災害時の対処法などに関して独自の知識や技術が発達しており、こうした防災の知恵は、「災害文化」と呼ばれる。一般に災害文化は、被害を軽減させるうえでは非常に有効であるが、数百年一度といったサイクルの大災害には無力であり、場合によってはかえって被害を拡大するようなケースもないとはいえない。<br /> <b>②調査の内容</b><br /> <b>桜島噴火に対する住民の対応:</b>鹿児島市東桜島支所内から500名、鹿児島郡桜島町から1000名、世帯主またはそれにかわる人、1988年3月、留置・自己記入法、回収数(率)950(63%)<br /> <b>三陸地方の津波災害文化に関する研究:</b>回答者266名(男性208名、女性58名)<br /> <b>災害意識と災害感(1988年高知市・土佐市調査報告):</b>1988年2月中旬から3月中旬まで、高知県高知市および土佐市在住の成人男女、高知市148名、土佐市130名、アンケート調査票を配布、回収。<br /> <b>③主な結果</b><br /> <b>桜島噴火に対する住民の対応:</b>「狭義の天譴論」に対しては、共感する人が、桜島・東桜島地区とも1割程度、また「自然の仕返し論」は2割弱であり、逆に「災害自然現象論」に共感する人は、桜島町77%、東桜島地区78%といずれの地区も8割の高率だった。「運命論」への共感度は比較的高かく、「災害にあって生きるか死ぬかは、一人一人の定められた運命によって決まっている」という意見に共感する人は、桜島で44%、東桜島地区で55%のぼった。<br /> <b>三陸地方の津波災害文化に関する研究:</b>三陸津波史の教訓として、津波は周期的に来週する、津波を伴う大地震の前年は常に大漁である、津波は大地震後20~30分でくる、津波来襲の前に大引潮があり大音響を伴う、大漁後の大地震には高所に避難する、高所に住居を設くる、海岸に樹木を植える、引潮に注意する、早く避難し物に執着せざること、などが記されている。それ以後の教訓、地震はなくとも津波は生ずる、大引潮がなくとも津波は襲来する、などを付け加える必要がある。田老町の「津波に対する日常心得」でも同様の項目をあげている。津波警報の伝達、津波応急対策などについても町のシステムは整っており、避難の勧告や指示についても対応策は十分なようである。田老町にあっては津波災害の経験は津波文化として、施設とか設備面にわたって現実化されているといえる。<br /> <b>災害意識と災害感(1988年高知市・土佐市調査報告:</b>今回の調査では.「天譴論」への共感の数字は10%を越える数字になっている。また「災害自然現象論」に共感しない人がかなりの割合で存在する。「運命論」への共感は35%という値になっている。「1981年大船渡調査」では、「運命論」に対して肯定的な見方をしている人の割合は、64%という数字になっており、「運命論」への共感の強さは特定の地域における特殊な現象であるとは考えにくい。<br /> <b>④提言・結論</b><br /> 災害に対処するためには、冷静にものを見る目と合理的な姿勢・意識が必要とされる。災害意識・災害対応行動に関して非合理的、「神話的」側面を強調しすぎるのは問題である。だが、一方で、そのような側面を全く無視するのも、また誤りである。過去の災害の歴史と現在の状況を冷静に分析してみるならば、そこに数多くの非合理的で常識的にほ理解不可能な現象・出来事を見出すであろう。また、深刻な災害経験がすぐに過去の出来事として忘れ去られてしまうことも不思議な話である。さらに、災害の危険性が認識されつつも、それの対応が積極的にすすめられていないという状況がみられるのも、不可解である。災害と人々との関わりあいについてその実情を正確にとらるならば、いま述べた二つの側面を同時におさえる必要があろう。その意味では、「災害観」に関する研究・調査は大いに重要視されてしかるべきはずである。「災害観」の構造・実態が明らかにされ、人々の災害意識・災害対応行動全般との関わりについて多くの事がわかるようになれば、研究上の意味においても、また防災対策上の観点からしても、我々は大いに前進することになる。研究・調査のデータ・成果の蓄積がこの後も絶えることなく進められていくべきである。<br /> | 災害多発地域における災害文化の研究 | saigairep028.pdf | youyaku028.pdf |
| 29 | 「自然災害の予測と防災力」研究成果 社会組織の防災力に関する研究 | 1990-03-01 | 災害調査以外 | 秋田ほか10都県の地方自治体 | 水野欽司、廣井脩、吉井博明、倉林義正、 宮崎益輝、宮村忠、山本康正、大町達夫 | 報告書のタイプ:各地域の災害対策の現状調査 | アンケート(秋田、宮城、島根、長崎、熊本、静岡、東京、神奈川、兵庫、群馬) | 火山噴火、地震、水害等 | | <b>① 災害の概要:</b>本調査は自然災害の被災地域を選び、被災前計画と実際のずれなどを調べたものであり、伊豆大島噴火における公共機関の防災対応、千葉県東方沖地震の市町村の対応、日本海中部地震後の学校防災の実状、自主防災組織(ボランタリー集団など)の活動状況、水害にみる都市型(長崎)と農村型(小見川)の差異と水防組織の問題などを取り扱っている。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>地方自治体における防災対策の実態調査:</b>各市町村の地域防災の方針・経費・防災要点の実状、情報メディアの整備など。10都県の全市町村。全数調査、質問紙郵送方式、質問紙配布数:716、回収数377(回収率52%)<br /> <b>小・中学校調査:</b>上記区市町村の中から、学校を抽出し、その防災対策の実情を調査した。標本調査、質問紙郵送方式、質問紙配布数615校、回収数298校(48.5%)<br /> <b>民間企業調査。</b>各種企業体の災害時危険物などの配慮の現状。また、地域住民援助活動について民間企業の対処ついて調査。有意抽出、質問紙郵送方式、質問紙配布数644、回収数205(回収率31%)<br /> <b>災害時のデータベース保護に関する企業調査:</b>民間企業のデータの災害保護対処について、東京証券取引所1部および2部上場企業を対象に実施。標本詞査、質問紙郵送方式、質問紙配布数820、回収数395、回収率48%<br /> <b>③ 主な結果。</b><br /> <b>行政組織の防災力-市町村調査にみる実情と課題:</b>調査対象とした市町村の防災機関の防災力は、資源構造、組織の体制とも都市規模が大きくなるにつれて充実する傾向があるが、総合的にみれば大都市のほうが危険である。また災害経験市町村の多くは、災害多発地域なかにあり、その防災力が高くても必ずしも災害に強いとはいえない。<br /> <b>行政組織の防災力-ケース研究の観点から:</b>伊豆大島噴火などに対し行政機関が実施してきた対策のうち、情報伝達体制の整備の結果、前に比べて町からの情報が「ほとんど聞こえる」が65%、聞こえないほうが多いという回答も32%あり、より一層の整備が必要である。全島で結成された防災市民組織が「役立つと思う」人が73%にのぼる。<br /> <b>防災関係法令の制定過程と防災力向上のメカニズム:</b>大災害が発生・予知の段階で地域住民・事業所からの要求がでて、地方公共団体が、政府に法令の制定または修正を働きかけることになる。災害対策に関する要求集約は既存の政治・行政システムの中でかなりうまく実現し、現在ある防災関係法令の体系が成立したと言える。<br /> <b>アンケート調査に観る自然災害に対する企業のデータ・ベース保護:</b>「東海および相模湾地震などの広域災害」に対して情報処理施設の移転等の対応「計画がない」企業は82%にのぼり、データ・ベースの保護に対する企業全般の対応はすこぶる憂慮すべさ状態にあると言わなくてはならない。<br /> <b>学校防災体制の現状とその課題:</b>本棚や頭上照明器具などの固定、避難路や避難場所を掲示するなどが実施されている学校は、せいぜい半数程度である。地方部の学校では防災体制の整備が全般に遅れている。学校の防災体制は、都道府県単位で実施されている防災指導の内容を強く反映している。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>防災関係法令の制定過程と防止力向上のメカニズムに関して:</b>大都市における地震防災対策、とりわけ大震火災対策の充実があげられる。防災、特に災害予学報等の情報面において国の役割が増大するにつれて、地方公共団体の情報疎外が深刻化しており、何らかの対策が必要とされる。最後に、防災関係法令の整備が全体として、行政の防災力を向上させた結果、住民あるいは地域住民組織の防災力が著しく低下している点が問題と言えよう。住民の自助努力を促す方策を充実させる必要がある。<br /> <b>民間企業の災害防備の実態に関して:</b>企業体の自覚的な取り組みの強化を期待するとともに、それを群発する自治体等の積極的な行政指導の強化を促したい。広域災害に対する防災計画の内容の充実とあわせ、ソフト対策の強化をはかる必要がある。地域防災における公共と民間の分担関係を明確にし、また、協力関係を促進することが望まれる。<br /> | 「自然災害の予測と防災力」研究成果 社会組織の防災力に関する研究 | saigairep029.pdf | youyaku029.pdf |
| 30 | 津波注意報・警報の対する自治体及び住民の対応 ―1989年11月2日三陸沖地震― | 1990-10-01 | 津波 | 岩手県 | 田崎篤郎、吉井博明、船津衛、田中淳 | 報告書 | アンケート(岩手県) | 津波 | 1自治体調査票<br />2住民調査調査票 | <b>①災害の概要:</b>津波<br /> <b>②調査の内容</b><br /> <b>市町村調査:</b>調査地域:津波警報および津波注意報が出された千葉県から北海道にかけての太平洋沿岸及び東北地方の日本海沿岸の178市町村、標本抽出法:全数調査、調査方法:郵送調査法、調査期間:平成2年3月5日~3月20日、回収数および回収率:136(回収率70.4%)<br /> <b>住民調査:</b>調査地域:宮城県志津川町、岩手県田老町・岩泉町・宮古町・陸前高田町・大船渡市の20歳以上の男女3,000名、標本抽出法:選挙人名簿から無作為抽出法、調査方法:留置調査法(大船渡市)、郵送調査法、調査期間:平成元年12月19日~平成2年1月8日、回収数および回収率:2,098(69.9%)<br /> <b>③主な結果</b><br /> <b>岩手県の10月29日津波注意報への対応と11月2日津波警報発令までの対応:</b><br /> 県の対応は(i)職員の非常参集、(ii)津波注意報の入手と伝達、(iii)警戒本部の設置、(iv)その後、初動体制についての確認、をした。<br /> <b>岩手県の11月2日午前3時25分の地震に伴う津波警報への対応:</b><br /> 県の対応は(i)職員の非常参集、(ii)津波警報の入手と伝達、(iii)災害対策本部の設置、(iv)沿岸市町村の対応状況などの入手、であった。 <br /> <b>11月2日津波警報・注意報対象市町村の津波対策と応急対応実態:</b><br /> 地震発生直後に職員を非常招集したのは23%、揺れが大きく津波意識の高い市町村では43%と高かった。最初の情報源は「道県の防災行政無線」の54%が最も多く、次に「テレビ・ラジオの放送」であった。入手後に非常招集を新たに行ったり、招集範囲を拡大したのは約3割、災害対策本部または災害警戒本部を設置したのは2割であった。広報をした市町村は41%、伝達手段は防災行政無線と広報車が6割以上と多い。<br /> <b>津波警報への住民の対応:</b><br /> 津波警報を聞いて避難の必要性があると考えていた層では、実際の避難率も高くなっている。家族全員で避難した人が6割、指定避難場所に避難した人は4割程度であった。避難しなかった人で「避難はしなかったが準備はした」人が43%、「避難も準備もしなかった」人と合せて約7割に達する。市町村の避難の呼びかけについては「少しでも津波の危険があれば空振りを恐れず、、積極的に避難を呼びかけるべきだ」という考え方が住民の4分の3と圧倒的に多い。<br /> <b>④提言・結論</b><br /> (ア) 最も大きな教訓は津波予報に伴う対応措置が地域防災計画で定められていたにもかかわらず、そのとおり実行したところが少なかった点である。<br /> (イ) 津波情報伝達面では、判断をしやすくする環境の整備が求められる。ソフト面では予警報の広報基準の明確化が必要となる。ハード面では広報しやすい施設の整備が必要である。<br /> (ウ) 避難の呼びかけは積極的に行うべきである。<br /> (エ) 市町村が地震発生や津波警報の発表の都度避難の呼びかけをするかどうか検討するのでは時間的に間に合わないので、事前に明確な対応を決め、担当者に訓練などを通じて徹底しておく必要がある。<br /> (オ) 現在、市町村の避難呼びかけを躊躇させている主な原因の一つは、既往オオツナミの浸水域を避難対象としているため、範囲が広すぎる点である。そのため、避難対象地区の階層化を計る必要がある。<br /> (カ) 放送機関の津波に関する報道は、沿岸住民の避難行動への影響をよく考慮してなされるべきである。災害時の情報伝達はできるだけあいまいな表現を避け、適切な評価ができるような情報を強調しておくことである。<br /> | 津波注意報・警報の対する自治体及び住民の対応 <br />―1989年11月2日三陸沖地震― | saigairep030.pdf | youyaku030.pdf |
| 31 | 1988年12月の十勝岳噴火をめぐる自治体・住民の対応 | 1990-12-01 | 水害 | 上富良野町 | 三上俊治、橋元良明、野田隆、水野博介 | 住民アンケート調査 | アンケート<br />(千葉県茂原市) | 集中豪雨 | 調査票、単純集計 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1989年7月31日夜から8月1日にかけて、千葉県南部を集中豪雨が襲った。総雨量217mmに達し、茂原市では市内中心部を流れる一宮川や豊田川で氾濫、730戸が床上浸水、1,641戸が床下浸水、道路・がけ崩れなどが110箇所、下水処理場などの公共施設にも大きな被害をもたらした。総被害額は73億7千万円に上った。茂原市地域防災計画の基準に基づいて、大雨洪水警報が発令され、市役所では防災行政無線を通じて市内全域に警報発令を広報した。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 調査時期 1990年2月22日~2月28日<br /> 調査地域 千葉県茂原市<br /> 標本抽出法 茂原市役所が調査した浸水地域の被害者リストの中から一段無作為抽出法<br /> 調査対象 抽出された主婦350名<br /> 調査方法 個人面談調査法<br /> 有効回収数 270(回収率77.1%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>警報への接触、不安、対応行動:</b><br /> 朝7時ごろ大雨・洪水警報を「聞いた」人は全体の過半数程度であり、発令後一時間以内に「聞いた」人は圧倒的に「テレビ・ラジオのニュースから」と答えており、マスメディアのの即効性が認められた。「午前中に」聞いた人はテレビ・ラジオ、防災無線、市役所の広報車を通じてが、ほぼ同程度に挙げられている。「家から外の様子を見た」、「外に出て回りの様子を確かめた」など状況再定義に関わる情報行動が中心だった。警報受容後、過半数の人は誰とも連絡を取らず、誰からも連絡を受けていない。<br /> <b>浸水時の心理と避難行動:</b><br /> 浸水し始めたとき、自宅には回答者本人自身の95%がいた他、夫がいた家は48.1%、子供がいた家は50.6%などとなっていた。浸水に気がついたときの身の危険を「強く感じた」人と「やや感じた」人で半数強を占める。6割近い人が「家財道具や店の商品などを高いところに上げた」と回答し、浸水に伴う財産保全行動を取っていた。「外に出て回りの様子を確かめた」という情報探索行動を取った人も約3人に1人の割合でいた。全体として浸水時のコミュニケーションはそれほど活発に行われていたとは言えない。伝達先で最も多かったのは「外出中の家族」であり、「実家・親族」がこれに次ぐ。<br /> <b>避難指示と避難行動:</b><br /> 茂原市の対応は迅速であった。住民に対する茂原市の避難指示の伝達方法は、(1)防災行政無線、(2)広報車(市、警察、消防各機関)、(3)市、警察、消防職員及び水防団員からなる伝達、の3通りであった。調査対象者の8割が避難指示を聞いており、情報源として最も有効だったのが広報車であった。「隣近所の人」、「市役所の職員」が多く、ほとんどが直に伝えられたものであり、電話の占める比率は低い。自宅にいた半数が避難し、その約半数強が「指定された避難場所」に避難し、全体の7割が「徒歩」で避難している。避難した要因は、警報を聞いたときに身の危険を感じた程度、浸水の被害程度、浸水に気づいたときに身の危険を感じた程度、水害当日の特定の家族構成、が主なものである。 <br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> (ア) パーソナルな情報ネットワークからの受容と対応行動との関連が認められた。災害が日中起こった場合、主婦を中心としたネットワークという形で情報連絡は生じやすいので、隣近所という小さなネットワークごとに適切な行動指示情報を投入することが重要な課題となる。<br /> (イ) 被災経験が対応行動に及ぼす影響力はかなり複雑であり、被災経験の質にまで踏み込んだ分析が今後必要となる。避難するか否かの決定に災害対応システム側はほとんど関与せず、誰とも相談せずに世帯ごとに孤立的に非避難の決定がなされていたと見なすことができる。<br /> | 水害時の避難と情報行動 <br /> -1989年茂原水害に関する調査報告 | saigairep031.pdf | youyaku031.pdf |
| 32 | 1988年12月の十勝岳噴火をめぐる自治体・住民の対応 | 1990-12-01 | 火山 | 上富良野町 | 田崎篤朗、風間亮一 | 火山噴火災害の住民対応の現地調査 | アンケート<br />(北海道上富良野町) | 噴火災害 | 火山活動の推移と地元役場の対応、調査票及び地区別結果 | <b>① 災害の概要</b><br /><br /> 昭和63年(1988年)末に十勝岳が噴火した山麓下の一部地域で住民の避難が行われたが、直接的には人的・物的被害をもたらしてはいない。しかし、昭和37年(1962年)6月の噴火では、硫黄採掘作業員が5名死亡、11人負傷という惨事を生んだ。1989年4月末以降、その活動は静かである。3カ月余も避難生活を強いられた白金温泉地区住民への避難命令も解除され、地元の住民生活は一応平常に復している。<br /> <b>② 調査の内容:</b>上富良野町日新、草分・日の出地区の緊急避難地域及びその周辺地域、上記地域の120世帯の世帯主、1989年2月20日、調査員による個別面接法、回収数(回収率):112(99%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> 今回の十勝岳噴火で上富良野町と美瑛町は・地域防災計画の修正・充実や,災害予測図を住民に公表した。災害予測図の作成・公表は、防災計画以外にも副次的効果をもたらすことが町・住民の対応から明かになった。その一つは,自治休や住民の災害に対する関心を高めるということであり、自治体の側は防災対策に一層責任感を強くし,住民の側も防災への関心が高まるものと考えられる。「緊急避難図」の公表には93%の住民が賛成し、賛成の理由として「噴火のときにどうしたらよいかわかる」を上げた人が75%いると同時に,「防災への関心が高まる」と回答している人が50%いる。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 十勝岳噴火は、1988年末から今日までの町や住民の対応は、全ての防災対策にとって貴重な教訓を残すものといってよい。十勝岳は,集落から25キロも離れた場所にあり、気象条件から麓から観察することもできず、町や住民の噴火時の対応はまさに「見えない危機」との戦いであった。教訓の第一は,災害に備えての事前の防災対策の重要性である。今回の十勝岳噴火で渦中におかれた上富良野町と美瑛町は・地域防災計画の修正・充実や、災害予測図を住民に公表した点などから、「火山防災先進地域」といわれた。このような町であればこそ,昨年末からの具体的な対応が可能であったということができる。<br /> 両町の地域防災計画や災害予測図は、今回の噴火でいくつかの欠陥があることが明らかになった。被害想定や災害予測図は、防災計画を立案する上で不可欠のものである。今回の十勝岳噴火では,町と住民が一体となって災害に対処し状況に応じて町職員や住民からの提言を即座に実行に移していった。欠陥がはっきりした最初の「緊急避難図」の修正と,新しい「緊急避難図」の配布は,職員の提言後3日で実行したとか、避難者カードの作成・配布などの対応はかなり素早いものであった。昨年末の避難命令が,結果的には「空振り」に終わったにもかかわらず、大多数の住民は好意的に評価している。上富良野,美瑛の両町が,住民への情報伝達にきわめて積極的であったことも,「住民参加型」の防災対策を作り出したともいえる。<br /> 十勝岳噴火に対して町や住民がやるべきことは既に尽くされたといってよく、今後に残された課題は,より抜本的な防災対策であると考えられる。上富良野町と美瑛町は、「活動火山対策特別措置法に基づく避難施設緊急整備地域の指定」「火山噴火観測体制の強化」「泥流監視装置の充実」「防災行政無線の整備」「十勝岳火山砂防事業の促進」等を含む8つの要望書を国に対して提出した。これらはいずれも、財政規模の小さい地方自治体では解決できない問題であり国の火山対策に待つところが大きい。<br /> さらに今後の検討課題として「避難命令」は,災害対策基本法60条に基づいて市町村長が「指示することができる」避難勧告や避難指示であるが,それに従わないものに対する強制力がないにもかかわらず、発令解除も同条で法的に定められ、発令者の責任のみが強く問われるためその発令が躊躇される場合が少なくない。今回の十勝岳噴火でも、「避難命令」が両町長からだされたが、その後数次にわたって火山活動情報が気象台から発表されたにもかかわらず、「避難準備指示」とか「待機指示」とかの法的根拠のない警報が出されただけであった。避難の意志決定は住民主体であるべきという立場からすると、発令者の責任が問われるような「避難命令」の考え方は検討すべきではないかと思われる。市町村行政の最高責任者である市町村長は,防災行政にも責任を持つことはいうまでもないが、その責任があるが故に発令が躊躇されるような「避難命令」の考え方は、現実の災害時にはマイナスに働くこともありえる。もう少し自由に避難勧告・指示が出せるような合意が、防災行政の中で醸成されていくことが必要ではないかと考えられる。<br /> | 1988年12月の十勝岳噴火をめぐる自治体・住民の対応 -「見えない」危機との戦い- | saigairep032.pdf | youyaku032.pdf |
| 33 | 地下空間と人間行動 | 1991-03-01 | 災害調査以外 | 東京駅八重洲、新宿サブナード | 廣井脩、木村拓郎、稲葉哲郎 | 災害時の地下空間における人間行動の調査 | アンケート(東京駅八重洲口地下街、新宿サブナード地下街) | 地下空間における火災等 | アンケート調査票 | <b>① 災害の概要</b><br /> 大深度地下における防災対策については、自治省消防庁の「地下空間における消防防災対策に関する調査研究委員会」、運輸省の「大深度地下鉄道の防災に関する調査研究委員会」、東京消防庁の「大深度地下空間消防対策検討委貝会」などでも検討されているとおり、大深度地下の利用を考える場合には防災的な観点がきわめて重要である。例えば地下空間で火災が生じた場合、排煙設備や消火設備、警報設備はどうあるべきかなどハードな観点ばかりでなく、閉ざされた空間における人間の心理と行動の特徴(閉じこめられたことへの恐れ、暗闇への恐れなど)をふまえて、地下空間ではどんな形態の社会的混乱が発生しやすいのか、地下災害時の避難はどうあるべきかなど、ソフトな観点からの考案が不可欠になり、周到な防災対策が必要になると考えられる。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 調査対象地として、八重洲地下街と新宿サブナードを選定し、個別面接調査を行ったものである。<br /> 調査時期 1990年2月7日(水)1990年2月11日(日)<br /> 訴査地域 東京駅八重洲地下街新宿サブナード<br /> 標本抽出法 無作為抽出<br /> 調査対象 上記地下街を通行中の16歳以上の男女<br /> 調査方法 個別面接調査法<br /> 有効回収数 720人(各地下街・平日・休日180人)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> 地下街通行者に対し、大深度地下開発の是非、および大深度地下利用の意図について質問した結果、 大深度地下開発の是非については、八重洲地下街、新宿サブナードともに、「東京は土地が狭く人口が多いので、安全が確保できれば積極的に地下を開発し有効に利用すべきだ」という積極的推進派がほぼ2割(八重洲地下街18.3%、新宿サブナード22.8%)であった。また、「本来は人口や資産を地方に分散することが望ましいが、なかなかむずかしいので、安全を確保しながら利用するのなら地下開発もやむを得ない」というやや消極的是認派が6割(八重洲地下街58.3%、新宿サブナード56.4%)弱であり、これらを合わせると大深度地下開発については、ほぼ5人に4人がこれを認めているという結果が得られた。他方、「地下開発は安全性にも問題があり、人間の生理と心理にも良い影響を与えないので反対である」という開発反対派もおよそ2割(八重洲地下街22.3%、新宿サブナード19.7%)いた。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 調査の結果、大深度地下の利用意図をみると、住居空間やビジネス空間として利用してもよいという人は少なかった。 とくに、大深度地下を居住空間として認める人は、2つの地下街で4~5%ときわめて少数で、90%以上の人が居住空間にはしたくないと答えていた(「絶対住みたくない」+「出来れば住みたくない」の比率は八重洲地下街が95.5%、新宿サブナードが95.3%)。 また、ビジネス空間としての利用も同じような傾向があったが、こちらは「仕事場にしてもよい」という人が5人に1人(八重洲地下街23.3%、新宿サブナード23.9%)、仕事場にしたくないという人(「絶対仕事場にしたくない」+「できれは仕事場にしたくない」)が4人に3人(八重洲地下街76.6%、新宿サブナード76.1%)の割合にのぼっていた。<br /> 一方、大深度地下をショッピング空間、あるいは通過空間として認める人はかなり多かった。すなわち、買物や食事などで大深産地下を「利用してもよい」という人は八重洲地下街で80.0%、新宿サブナードで78.3%、また地下鉄として「利用してもよい」という人は八重洲地下街で79.7%、新宿サブナードで79.4%であり、利用派が圧倒的に多い。以上のように本アンケート調査によれば、多くの人は大深度地下開発構想を肯定しているが、これを利用するのはショッピング空間、あるいは通過空間としてであって、住居空間、およびビジネス空間としての利用にはかなりの抵抗をもっているという結果が出た。<br /> | 地下空間と人間行動 | saigairep033.pdf | youyaku033.pdf |
| 34 | 1989年伊東沖海底噴火と災害情報の伝達 | 1991-03-01 | 火山 | 伊東市宇佐美地区 | 廣井脩、小田勝利、阿部潔、中村功 | 研究報告書 | アンケート(伊東市宇佐美地区) | 噴火 | 聞き取り調査の結果(抜粋)<br />アンケート調査の単純集計 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1989年6月末から7月はじめにかけて伊豆半島東方沖に激しい群発地震が発生し、地震回数が多く震源の深さも5キロ程度と浅かったため、伊東市では激しい揺れとなった。7月9日マグニチュード5.5の地震が発生し震度6を記録し、負傷者22名、7ヵ所のガス漏れ、2400世帯の停電、屋根・外壁など1445件の家屋被害を生じた。予定を早めて帰宅する宿泊客が続出し、旅館の予約をキャンセルの数も急増した。伊東温泉では8日(土曜日)宿泊客の3分の2にあたる10,000人が解約し群発地震発生以来のキャンセル数は53,000にのぼったという。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 調査は、1989年9月から10月にかけて、伊東市宇佐美地区の1007世帯を対象に留め置き法により実施した。回収数は859、回収率は86%である。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>伊東沖海底噴火と災害情報の伝達:</b><br /> <b>群発地震から連続微動へ:</b>7月3日には震度2が2回、4日には急増して震度2が68回、震度3が56回、震度4が11回、震度5が4回と総計138回の有感地震があった。<br /> <b>マスコミの取材と報道:</b>伊東市には最盛期は500人を越える報道関係者が殺到して観光客がいなくなった旅館やホテルにはかれらの姿ばかりがめだつという状態になった。強引な取材を行い市当局の防災活動を阻害しり無神経な取材をして住民から反発を受けたりしたという。<br /> <b>災害流言の発生:</b>伊東市内では、地震の発生、噴火、津波などの流言が飛び交い7割近くの人は信用しなかったが、行政当局は対応に追われた。<br /> <b>「津波情報さわぎ」の発生:</b>7月15日午後4時の海底再噴火により、伊東市が「同報無線」で津波に対する注意を喚起したが、津波が発生したと誤解した市民が避難などの行動をおこした。<br /> <b>「余震情報パニック」と「避難準備指示パニック」:</b>津波騒ぎは行政機関の流した情報が誤解されて混乱が生じたケースで、県の発表文の「最悪の場合、M6程度の余震が起こる」という表現が「PM6時に大地震が起こる」と誤解されたようである。<br /> <b>伊東沖海底噴火と住民の対応:</b><br /> <b>群発地震に対する心理と行動:</b>8割の人が過去の群発地震と比較して、今回の地震は今までと違うと感じていた。群発地震時のとっさの行動は「動けなかった」17%、「様子をみた」51%、「火元を止めた」44%である。<br /> <b>連続微動発生時の心理と行動:</b>連続微動を「実際に自分で感じた」人は61%であり、そのうち「くい打ち機や大太鼓のような音」を聞いた人は8割である。<br /> <b>流言の聴取とその信用度:</b>地震微動の後、7割近く人が何らかの流言を聞きそれを信用した人は2割程度であったが、8割のひとが不安を感じた。<br /> <b>海底噴火時の心理と行動:</b>宇佐美地区の住民が海底噴火を知ったのは、マスコミ情報:37%、音を聞いた:23%、目撃した:15%であった。<br /> <b>伊東市民の防災対策:</b>今後の噴火について4割程度の人が不安を感じているが、防災対策を強化した家庭は多くない。宇佐美地区では防災対策をしていない人が15%程度いる。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 1989年7月に発生した伊東沖噴火は,高度情報社会における災害情報の問題,とくに予知情報と情報メディアの問題点を,まさに象徴的に示したものであった。そこにはこうした社会がもつ可能性と現実の断絶が投影されているといってもけっして過言ではない。ややおおげさではあるが,このケースの分析を通じて情報社会の「光」と「影」がみえてくるともいえるのではないか。<br /> | 1989年伊東沖海底噴火と災害情報の伝達 | saigairep034.pdf | youyaku034.pdf |
| 35 | 災害情報伝達過程の迅速化・正確化に関する研究 | 1991-03-01 | 災害情報 | 岩手、静岡、愛知、千葉、岐阜、長崎、鹿児島、新潟、秋田、山形 | 研究代表者:田崎篤郎 | 災害時の情報伝達の迅速化、正確化に関する調査 | アンケート | 津波、集中豪雨、土石流、雪崩 | 津波予測の将来 その他 | <b>① 災害の概要</b><br /> <b>【津波】</b>1989年10月27日から三陸沖では群発地兼が発生し、10月29日(日)M6.0の中規模地震が発生、11月2日M7.1の地震が発生し、気象庁では、地震発生の9分後に次のような津波予警報を発表しNHKは全国放送でこれを伝えた。関係道県も沿岸市町村に伝達し警戒を呼び掛けた。<br /> <b>【集中豪雨】</b>1989年7月31日夜から千葉県南部を集中豪雨が襲い、総雨量は217mm、茂原市では川が氾濫、730戸が床上浸水、1,641戸が床下浸水、道路・崖崩れ等が110箇所、大きな被害をもたらした。<br /> <b>【土石流】</b>長崎市では、昭和57年7月23日の集中豪雨で甚大な被害が生じた。降り始めから25日までの3日間に573ミリ、死者258名、行方不明者4名、負傷者754名、多数の家が壊れ、農林・水産・土木・商工関係などの被害総額は2,119億円にのぼった。<br /> <b>【雪崩】</b>新潟県守門村は、昭和56年1月7日に発生した雪崩は、住宅4戸、作業所など4嫌が全壊、4世帯13人が生き埋めになり、うち5人は救出されたが、8人が死亡するという惨事となった。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>【津波】</b>千葉県から北海道にかけての太平洋沿岸および東北地方の日本海沿岸、有効回答数136市町村(有効回収率76%)、全数調査、郵送調査法、平成2年3月5日~平成2年3月20日<br /> <b>【集中豪雨】</b>茂原市内の浸水地域の被害者、標本数350、回答数270(回収率77%)、一段無作為抽出、個別面接聴取法、平成元年年2月22日~28日<br /> <b>【土石流】</b>奥山地区63(世帯)、鳴滝地区512(世帯)、回収数:奥山地区54(回収率85.7%)、鳴滝地区455(回収率87.0%)、全数調査、留置、平成2年12月27日~平成3年1月20日<br /> <b>【雪崩】</b>新潟県守門村、能生町の2自治体の25名の巡視員に個別面接を実施。守門村の39世帯を対象としてアンケート、全数を回収(回収率100%)。平成3年1月24日~平成3年2月4日、<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>【津波】</b>道県の防災行政無線やテレビ・ラジオ出を通して、市町村は津波警報・注意報を入手できており、また同報無線や有線放送等住民への伝達手段も確保されていた。今回は地震後10分弱で津波一報が発表されているが、その後5分以内に広報を開始している市町村は10箇所、それでも警報対象地区の22%に留まる。【集中豪雨】</b>被害を受けた住民が水害時に最も知りたいかった情報は、「いつ水が引くか」という特定的な情報であり、また「被害の程度」に関する情報も相対的に欲求の高い情報であったのに対し、「家族や知人の安否」「食糧や生活物資に関する情報」のように生存に関する基本情報の欲求は低かった。<br /> <b>【土石流】</b>土石流災害を受けた両地区とも警報として避難を指示する内容が伝えられた結果、一応避難しようと決めたという回答は、奥山で4割、鳴滝で1割弱に過ぎなかった。土石流警報装置等による警報の発報は、避難に関する意思決定のための材料の1つであって、避難の決め手は、ある程度権威づけられたソースからの情報受容に依存しているようであった。<br /> <b>【雪崩】</b>今回の調査かの結果、守門村では避難勧告によって約6割の世帯が避難を実施していることがわかった。また、村が避難勧告を発令したことに対しても住民は好意的であった。その背景としては、調査対象住民は、雪崩による被災危険性を認知しており、雪崩に対する脅威感も強いことが考えられる。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>【津波】</b>深夜であっても注意報・警報を問わずに広報することなどが必要と考えられる。揺れが小さくても、津波警報がでた場合は直ちに広報するといった具体的な広報基準の策定も必要である。都道府県などの行政からの津波予警報の伝達が重要であり、津波予警報伝達の一層の迅速化、確実化を図って行く必要がある。<br /> <b>【土石流】</b>今後ほ、複数のルートから一報を伝達する体制が望まれる。警報装置はほ聞こえなければ無いも同然といえ、故障時を想定する必要があり、連絡先が全て不在・話中の場合の情報伝達の問題なども検討する必要がある。<br /> <b>【雪崩】</b>行政側と住民側の危険性の認知に対する差は大きな問題と言えよう。今後、雪崩に対する危険地域の範囲について、事前から十分に協議し広報し、知識を高めておくことが必要と考えられる。<br /> | 災害情報伝達過程の迅速化・正確化に関する研究 | saigairep035.pdf | youyaku035.pdf |
| 36 | 静岡県津波危険予想地域住民の津波意識と避難意向に関する調査 | 1991-06-01 | 津波 | 沼津市、清水市、焼津市、吉田町 | 田崎篤郎、吉井博明 | 水害時避難と情報活動の住民アンケート調査 | 郵送調査(沼津市、清水市、焼津市、吉田町) | 地震、津波 | 1調査集計票、2地震・津波の伝承の内容、3県・市町の地震・津波対策に対する要望内容 | <b>① 災害の概要</b><br /> 静岡県では10数年前から東海地震の発生可能性が指摘され、様々な対策がとられてきたが、近年、関心の低下が著しく、対策が停滞しているといわれている。静岡県下には津波災害に関する伝承が無く、津波に対する危険認知は行政やマスコミからの提供情報に多く依存している。このため、関心の低下は津波危険度や避難行動に対する正しい認識の欠如などの問題をもたらす恐れがある。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 調査地域:沼津市、清水市、焼津市、吉田町、調査対象及び標本数:20才~69才の男女2,400名、標本抽出法:一段無作為抽出法、調査方法:郵送調査法、調査期間:平成3年3月1日~3月15日、回収数及び回収率:沼津市345(回収率57.5%)、清水市347(回収率57.8%)、焼津市376(回収率62.7%)、吉田町378(回収率63.0%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>過去の災害体験:</b>約半数が大地震や津波の話を伝え聞いている。伝承内容は大地震の方が津波より2.5倍多く、揺れの状況、火災、避難、倒壊などが多い。運命論、人災論とも4割弱の人が同感と答え、災害対策の実施困難性については8割の人が同感と答えた。<br /> <b>東海地震の認知と受け取り方:</b>東海地震を「よく知っている」と「多少知っている」を合せると98%に達する。地域差はほとんど無く、女性より男性が、高齢者、自然災害体験者、大地震や津波に関する家庭内伝承を受けた人、近所づきあいが深い人ほど「よく知っている」率が高い。関心度の時間的変化(2~3年前に比べて)は「関心が薄くなった」人が非常に多く、意識低下面での風化があらゆる層に共通している。東海地震説を「あまり信じていない」住民は14%、「信じている」は17%、2/3は「ある程度信じている」とあいまいな回答になっている。6割の住民が「それほど切迫していないと思う(6年以上先)」と答えており、切迫感は全般に薄い。<br /> <b>東海地震による被害予想:</b><br /> 「死ぬ恐れもあると思う」人が1/4、「大怪我をする危険がある」が約2割を占めている。女性、高年齢、居住年数が高い人ほど身の危険を高く考えている。5割の人が家を失うと予想している。<br /> <b>東海地震に伴う津波のイメージと被害予想:</b>津波襲来時間の予想は「6~10分」が32%と最も多い。津波については様々な伝承があり、科学的に正しくないものがかなりある。津波被害防止対策で被害を「(完全に、ほとんど)防げる」と考えている住民は7%と非常に少ない。<br /> <b>地震・津波対策の実施状況:</b>この1年間に家庭での話し合いがなされたのは7割を越す。内容は「地震時の避難」についてが最も多い。家庭で実施している地震・津波対策は「避難訓練参加」が最も多い。災害情報への接触では「パンフレットを時々読んでいる」「広報誌の防災に関する記事をよく読んでいる」人がかなりいる。<br /> <b>県・市町の地震・津波対策の認知と評価:</b>「よく知っている」人は少ない。県・市町は「非常によく対策をやっている」、「まあよくやっている」があわせて60%であり住民が好意的評価を示している。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>・広報、系春活動の充実:</b>特に20代以下の層の東海地震への関心、知識、理解度は低く、この層に対する広報の充実が必要である。広報のチャンネルとしては、マスメディアとの協力が重要である。加えて職場ルートの広報活動が望まれる。<br /> <b>・情感教育:</b>記憶に残る、情感に訴えるような災害教育が必要である。<br /> <b>・実践的訓練の実施</b><br /> (ア) <b>津波危険予想地域の階層化:</b>危険地域の危険度を2段階程度に分けることも可能である。<br /> | 静岡県津波危険予想地域住民の津波意識と避難意向に関する調査 | saigairep036.pdf | youyaku036.pdf |
| 37 | 平成3年雲仙岳噴火における災害情報の伝達と住民の対応 | 1992-03-01 | 火山 | 長崎県島原市、深江町 | 廣井脩、吉井博明、山本康正、木村拓郎、中村功、松田美佐 | 研究報告書 | アンケート<br />(長崎県島原市、深江町) | 噴火 | 1991年雲仙岳噴火調査資料 | <b>①災害の概要</b><br /> 1990年11月に噴火活動をはじめた雲仙普賢岳は、91年6月3日地獄跡火口に形成された溶岩ドームから発した火砕流によって、死者・行方不明者43名という大被害を生み、その後も火砕流や土石流によって家屋や田畑に損害を与え、92年に入ってもなお危険は続いている。<br /> <b>② 調査の内容:</b>長崎県島原市・深江町、居住する20~69歳の成人男女、調査時点で、避難所・仮設住宅および親戚・知人宅に住んでいる住民300人(島原市800人:深江町500人)、系統抽出法、避難所・仮設住宅の住民は留置法(.600人)、親戚・知人宅の住人は郵送法(700人)、平成3年8月5日から10日までの6日間。回収数942票(島原市:654、深江町:288)、回収率72.5%<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>災害情報はどう伝達されたか:</b><br /> <b>それは普賢岳の噴火からはじまった:</b>雲仙岳の主峰・普賢岳がはじめて噴火したのは1990年11月17日で、91年2月12日には2度目の噴火が発生し、その後も、小噴火をくり返した。<br /> <b>火砕流発生す!:</b>1991年5月15日から21日にかけて5回の土石流が発生したが住民の避難がスムーズに行われ、人的被害はゼロだったのであった。5月20日、雲仙普賢岳に溶岩ドームが出現し成長を続け、5月21日午後には大小5つに割れ、22日にはそれがバラバラに砕けた。24日には最初の火砕流が発生した。<br /> <b>大惨事が起こった!:</b>6月3日午後4時頃、普賢岳東斜面の地獄跡火口から最大規模の火砕流が発生し、43人もの死者・行方不明者を生じてしまった。火砕流はものすごい勢いでかけ下って、5キロ離れた島原市白谷町まで達し、北上木場町の民家30軒を焼いたほか、一瞬にして警察・消防関係者や住民、報道陣などの命を奪った。<br /> <b>警戒区域が設定された:</b>警戒区域の設定を6月7日に行った。警戒区域は立ち入り禁止となるため市長が躊躇したためその説得に時間を要した。<br /> <b>雲仙岳噴火と住民の対応(アンケート調査より):</b><br /> <b>土石流か火砕流か:</b>7割の人が、土石流の方が危険だと思っていた。火砕流という言葉をよく知らなかった人が54%もいた。火砕流を見て危険だと思っていた人はわずか9%に過ぎなかった。<br /> <b>非難はどう行われたか:</b>大火砕流が発生した月曜日の午後4時過ぎに、自宅にいた人は37%と少なく、勤め先(31%)、田畑(8%)、車(9%)などに分散していた。上木場の住民の35%は、避難所にいた。<br /> <b>警戒区域設定と非難生活:</b>12,000人が住む地域を警戒区域に指定し立ち入り禁止とした措置について、90%の人が「やむを得ない」と支持している。最初に避難したところは、親戚の家(46%)、公民館・体育館(42%)であった。第1の避難先で滞在日数が6日以内の短期非難(37%)、4週間以上の長期避難(33%)が多く、平均で20日前後であった。<br /> <b>マスコミへの評価と情報ニーズ:</b>6月3日以降は報道の姿勢が興味本位の構成を自粛し、災害実態を正確に伝えようとするものに変わり住民から期待されるようになった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>正確な危険認識形成のためのコミェニケーション上の課題:</b>6月3日の被害発生前に、住民や地元市町は、専門家が発した警告を、真剣には受け止めていなかった。地域住民や地元市町に災害の恐さを正しく理解してもらうには、さまざま工夫と努力が必要と考えられる。<br /> <b>火砕流という用語の問題:</b>火砕流という言葉には、熱いガスが猛烈な勢いで押し寄せてくるというイメージが薄く、災害のイメージを直感的に、正確に描けるような用語を選択する必要がある。<br /> | 平成3年雲仙岳噴火における災害情報の伝達と住民の対応 | saigairep037.pdf | youyaku037.pdf |
| 38 | 1991年台風19号と災害情報の伝達 | 1992-10-01 | 水害 | 山口県防府市 | 廣井脩、中村功 | 論文 | アンケート<br />(山口県防府市) | 台風 | 主婦インタビュー<br />平成3年台風19号通信被害アンケート調査結果 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1991年9月27日から28日にかけて日本列島を縦断した台風19号は、30年ぶりの強い台風で9月27日に長崎県佐世保市の南に上陸し、時速100キロの猛スピードで北東に進み、いったん日本海に出てから28日ふたたび北海道に上陸して千島近海に抜けた。台風19号の死者は62人、また負傷者は1261人であり、福岡県(死者11人・負傷者136人)、青森県(死者9人・負傷者72人)、広島県(死者6人・負傷者49人)などの被害が大きかった。電気と電話はズタズタの状態となり、全国でおよそ580万世帯が停電。また、電話も30万加入が不通になったという。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 電話の被害がもっともひどかった山口県防府市の沿岸部の住民を対象に平成4年1月、留め置き方式のアンケート調査を行た。対象者は電話被害の大きな場所を選んだ。回答者数は212人(男性84人、女性128人)。回答者のすべての世帯で停電しているが、電話が使えなくなったのは109世帯であった。電話が通じなかった期間は、1日から14日間で平均5.7日となっている。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>人々はどう行動したか:</b><br /> <b>台風19号の体験談:</b>長崎県諌早市に住むM.Tさんは「目の前で、家が壊れていく」という体験をした。27日午後3時から4時頃にかけて窓が割れるほどの風で家にいられなくなり、急いで車庫から車を出して駐車場に避難したところ、その車庫が風のために吹き飛んでしまった。<br /> <b>台風の知識は乏しい:</b>今回の台風は典型的な「風台風」であったが、昭和20~30年代に相次いで日本を襲った巨大台風が少なくなったため、台風のこわさを体験している人が減っており、その結果、人々の台風知識も後退し、また台風がきても警戒心を怠る人々が多くなってきた。<br /> <b>台風情報はどのように伝えられたか:</b><br /> <b>風に対する警告は十分だったか:</b>風に対する警戒心の緩みが死者を増やしたこと、風の強いあいだは外出を控えることが防災上のポイントである。防災上の観点からいうとマスコミは風に対する警戒を訴え、強風時に屋外に出ないことを訴えることが必要であった。当初から風に対する認識は最初はさほどなく、被害が出て初めてその重大性を強調するといった報道ぶりで風に対する警告は後手にまわった。<br /> <b>行動指示は適切であったか:</b>台風19号の犠牲者の多くが風に対する警戒心が十分でなかった。テレビ内容も、視聴者の風に対する警戒心を醸造するのに十分でなかったことがわかった。<br /> <b>長期的停電とその影響:</b><br /> <b>長期的停電の影響:</b>今回の台風で手痛い打撃を受けたのは電気だった。資源エネルギー庁の調査によれば、停電世帯は全国で471万世帯。九州電力管内で210万世帯、中国電力管内で155万世帯(延べ250万世帯)にのぼった。広島県内では停電が5~6日間も続いた地域があり、銀行オンラインや百貨店・スーパーのシステム、PBX(社内電話)やカード公衆電話も使えなくなった。<br /> <b>情報処理システムの被害:</b>銀行などのコンピューターもダウンし情報処理機能が麻痺したため、ATMが使えないなどの大きな影響を生活に与えた。<br /> <b>監視・制御システムの被害:</b>給水システムや防犯システムなども長期にわたって機能しなかったため市民生活に大きな影響を与えた。<br /> <b>情報断絶下の住民の行動と心理:</b>電話の不通は全国で30万加入、全面復旧までに9日間かかっている。電話の喪失は多くの人々に不便さばかりでなく、不安感や孤独感を与えている。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 今回の台風が大きくなった原因は強風に対する無知であり、強風への対処や行動について明確に指示を出すなどの対応が必要である。<br /> | 1991年台風19号と災害情報の伝達 | saigairep038.pdf | youyaku038.pdf |
| 39 | 火山噴火の予知と報道 | 1992-12-01 | 火山 | 伊豆大島、雲仙普賢岳 | 廣井脩、中森広道、川端信正、後藤嘉宏 | 火山噴火の予知と報道 | | 火山噴火 | 伊豆大島噴火に関する情報の推移<br />雲仙普厳岳噴火に関するテレビ放送内容(抜粋) | <b>① 災害の概要</b><br /> 昭和61年11月21日、伊豆大島三原山が大噴火を起こした。「昭和61年伊豆大島噴火」と命名されたこの噴火は、全島民の島外避難、一か月に及ぶ避難所生活という事態となった。<br /> 1991年5月24日雲仙普賢岳で火砕流が発生するようになったが火砕流は日ごとに規模が大きくなり、6月3日の火砕流では報道陣・消防団・警察官・住民など43人が死亡する惨事となった。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 伊豆大島と雲仙普賢岳の報道に関して記録を分析した。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>1986年伊豆大島噴火と予知報道:</b><br /> <b>11月15日の噴火に関する報道:</b>「朝日新聞」は見出しにおいて「噴火ない」とし、「毎日新聞」は「規模の大きい噴火になる可能性は薄い」という表現を使い、「読売新聞」は見出しで「溶岩流出なさそう」といった書き方をしている。21日までの新聞報道では「朝日新聞」「毎日新聞」「読売新聞」各紙と17日の段階では溶岩流が住宅まで来る可能性は低いと報じている。<br /> <b>11月21日の噴火に関する報道:</b>各社第一面の大半を使ったトップニュースであり、社会面だけでなく総合面等に特集記事を掲載している。<br /> <b>11月28日の予知連会長コメントに関する報道:</b>11月21日夕方突然の割れ目噴火による溶岩流出し大島町は島内各地域に避難命令を出し、約一万人の島民が島を脱出した。28日ふたたび予知連の緊急連絡会が開かれ会長コメントが発表され、翌29日の一時帰島が決定された。<br /> <b>全面帰島決定までの報道:</b>一時帰島が終わった翌日8日に第一回の予知連大島部会会議が開かれ、これ以降の予知連の見解が全面帰島のよりどころになり、12月12日に前面帰島が決定した。<br /> <b>社説における「予知」および「予知連」の評価:</b>三紙の社説をみると、これまでのストレートニュースであまり出てこなかった予知および予知連の現状に対する理解が示され、それが正確に把握されたうえで、大島噴火における反省点と今後の課題について述べており、予知および予知連に対しほぼ妥当な評価がされていると思われる。<br /> <b>1991年雲仙岳噴火と火砕流報道:</b> <br /> <b>火砕流の発生:</b>この火砕流は当初、噴火に伴う「溶岩の崩落」と発表され、火砕流と公表されたのは、翌25日17時10分発表の「臨時火山情報第34号」においてであった。新聞記事にも「小規模な火砕流」という表現がまるで熟語のようにしばしば登場し、「小規模」は文字どおり「たいしたことはない」ものと受けとってしまった。<br /> <b>5月26日のやけど事故以降、6月3日まで:</b>5月26日、火砕流により作業員がやけどを負うという出来事があった。火砕流によるやけどの重大性がテレビではほとんど報じられていないという印象を受ける。時間を追って火砕流の規模が大きくなり、専門家の発言は、火砕流警戒の呼びかけが強まっていくようすが理解できるだろう。<br /> <b>火山噴火予知連絡会の統一記者会見:</b>5月31日の火山噴火予知連の統一記者会見について、6月1日の全国紙のなかにはこの会見の記事がまったくないものや、あっても小さくしか扱わないものが少なくなかった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 新聞で報道されたことと予知連や気象庁が発表したものとが違うかたちで報じられ戯けではないが、言葉の表現、一部の誇張、一部の欠落などによる「報道の歪み」とでもいったものが生じている。その原因は「発表の聞き逃しや勘違い」、「ゲート・キーピングにおける判断」、「記者の先入観や観念的な見方」、「意図的な報道や期待する方向への解釈」、「記者の専門的な知識の欠如」ということがあると思う。<br /> | 火山噴火の予知と報道 | saigairep039.pdf | youyaku039.pdf |
| 40 | 災害時の避難・予警報システムの向上に関する研究 | 1993-03-01 | 災害情報 | 洪水・土石流、火山噴火、津波、地震火災等災害が生じた各地 | 廣井脩、今本博健、石垣泰輔、岡田弘、吉井博明、船津衛、三上俊治、藤村貞夫、室崎益輝、山本康正 | 各種災害における避難・予警報システムに関する調査 | アンケート(水害:全国市町村、火山噴火:島原市、深江町、津波:有明海沿岸、三陸沿岸、相模湾沿岸、駿河湾沿岸、地震火災:手記体験集収集) | 水害、火山噴火、津波、地震火災 | | <b>① 災害の概要</b><br /> 【水害】水害時の人的被害を防止・軽減する方法として災害発生前の避難が最も有効であり避難を円滑に行うためには避難・予警報システムの確立が望まれ、それを具体化するには現状の把握と分析が急務である。<br /> 【火山噴火】1990年11月17日に噴火活動をはじめた雲仙普賢岳は、91年6月3日火砕流によって死者・行方不明者43名という大被害を生み、その後も火砕流、土石流によって家屋や田畑に被害を与えた。現在まで1年半以上も続いた「警戒区域」の設定で、多数の住民が長期避難のなか地域経済活動が停滞している。<br /> 【津波】1792年の普賢岳噴火活動は、最後に眉山の崩壊とそれに伴う大津波を引き起こし、島原半島と肥後地方に合わせて死者1万5千人という未曾有の被害をもたらした。熊本県の沿岸部、有明海沿岸の多くの市町では、1991年6月の火砕流災害をきっかけとして、津波防災対策に取り組んでいる。<br /> 【地震火災】地震時の避難・予警報システムの構築し実効性をもたせるためには、その内容を大規模地震時の人間の対応行動特性を踏まえたものとする必要がある。行動特性把握のための事例解析の一環として、関東大震災、福井地震をとりあげ、災害体験者の手記や体験記録を収集し、分析した。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 【水害】平時における市町村の防災活動に関するアンケート調査を全国3,261の全市町村(東京都特別区を含む)を対象として行った。郵送、FAX。総回収数は2,46l、全国での回収率は75・5%である。<br /> 【火山噴火】1991年8月に島原市、深江町の住民1300人に対して行ったアンケート調査の結果による。<br /> 【津波】有明海沿岸の47市町の防災担当者に調査票を郵送、回収33市町、回収率70%。1991年11月<br /> 【地震火災】関東大地震、福井地震に関する手記体験集を収集。避難行動等の行動記録が読み取れるものを159編、39編取りだし、分析の対象とした。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> 【水害】89%の市町村で昭和20年以降に自然災害が発生しており、最も多いのが風水害で、次いで豪雪、地震の順となっている。避難勧告・指示を発令した市町村は55%で、主に風水害が対象である。危険地の指定は80%で、住民に周知は65%。避難場所を指定は97%、住民に周知は56%に過ぎない。伝達方法は広報車83%、防災無線51%、警鐘・サイレン42%である。住民参加の防災訓練実施は14%で自主防災組織があるのは55%である。<br /> 【火山噴火】雲仙岳噴火では、大火砕流と爆発による噴石という予想外の事態にショックを受け不安をもつ住民が非常に多く、あいまいな情報が流れたため混乱が起こった。数多くの流言が広がったのも同じ理由であり恐怖や不安から生まれた流言は、今度はこれを強化する役割を果たす。<br /> 【津波】三陸沿岸では60%の住民が避難指示を屋外同報無線・有線放送から入手し、サイレン・半鐘からが58%である。相模湾沿岸では「サイレン・半鐘」からが56%で、「消防署・消防団など」がこれに次いで多い。駿河湾沿岸では、同報無線等からが76%に達した。次に多かったのは「サイレン・半鐘」である。<br /> 【地震火災】自分の目で状況を確かめながら避難した人が安全に避難しており、的確な情報を迅速に伝えるシステムがあれば、相当数の人の命が救われたものと判断される。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・災害時に適切な対応を選択し被害を防止・軽減させるには、平時の対応が基本となる。市町村などの防災組織は防災計画を確立し、住民個人に周知・徹底しておく必要がある。とくに周知・徹底の面で十分とはいえず、改善すべき点が少なくないことが指摘される。<br /> ・災喜に対する人間の心理には2つの面があり、1つは、災害を軽視して無防備になること、もう1つは、災害を過度におそれて混乱することで、後者を恐れるあまり情報の発信に躊躇して、前者の結果を招かないように、日頃からの啓蒙・訓練が必要である。<br /> | 災害時の避難・予警報システムの向上に関する研究 | saigairep040.pdf | youyaku040.pdf |
| 41 | 平成5年釧路沖地震における住民の対応と災害情報の伝達 | 1993-07-01 | 地震 | 釧路市 | 廣井脩、是永論、中村功、中森広道、松田美佐、伊東和明 | 住民の対応と災害情報の伝達 | アンケート(釧路市) | 地震 | 聞き取り調査票<br />釧路沖地震アンケート調査結果 | <b>① 災害の概要</b><br /> 平成5年1月15日、釧路沖深さ107キロでマグニチュード7.8の大地震が発生した。釧路市が震度6の烈震に襲われたほか震度4~5の揺れが各地を襲い、釧路市の被害は大きかった。<br /> <b>② 調査の内容:</b>釧路沖地震に関するアンケート調査、平成5年3月、緑ヶ丘5丁目;130、緑ヶ丘6丁目;349、武佐1丁目394、総計873、調査票配布数:1,200表、回収率:72.8%<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>釧路沖地震の被害の特徴:</b><br /> <b>地震火災の発生:</b>釧路市内の9ヶ所で火災が発生したが、そのどれもが延焼火災には発展しなかった。9件のうち5件がストーブに起因する火災であった。<br /> <b>大量の人的被害:</b>死者は2名だったが負傷者は478人(うち重傷52名・軽傷426名)にのぼっており、負傷の内訳はヤケド152名(27%)、切傷129名(23%)、打撲104名(18%)の順になっている。<br /> <b>地震のとき市民はどう行動したか:</b><br /> <b>地震発生直後の行動の特徴:</b>「様子をみていた」(23.6%)、「動けなかった」(17.5%)も少なくなかったが、一方、「戸口に立った」(15.7%)、「窓を開けた」(32.0%)「家具を押さえた」(23.6%)、「身を支えた」(6.6%)、「他者の身の安全」(16.7%)などが非常に多くなっている。<br /> <b>被害状況への対応行動:</b>被害状況としては、「食器棚から食器が落ちてこわれた」(88.3%)、「家具が倒れた」(57.2%)、「壁にヒビが入った」(55.6%)などがある。<br /> <b>地震発生直後の住民の情報行動とその問題点:</b>地震発生時に役に立った情報の第一は、いわゆる「安心情報」の類であったという意見が多かった。<br /> <b>通信の障害と問題点:</b><br /> <b>異常輻輳の発生:</b>輻湊は、20時半頃から始まり、翌日の0時すぎまで続いた。全体の7割近くもが輻輳を経験していた。<br /> <b>異常輻輳の影響:</b>電話の輻輳は119番通報を困難にしてしまった。いちじるしい電話の輻輳は、市民のあいだの連絡不能を招いただけでなく、防災上必要な通信にも大きな障害になった。輻輳を緩和するには呼数を減らすことと通話時間を減らすことの2つの方法がある。<br /> <b>電話施設の被害:</b> NTT釧路支店の設備被害としては、地震によって、白糠町和天別国道38号線を通る光ケーブルの市外系および市内系3522回線(うち市内系157回線)が切断した。ただし、この被害は、ただちに迂回路により代替したため、その3分の2の通話は確保された。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>家庭内災害:</b>重軽傷者の大多数は、家庭内で被災したものである。家具の下敷きになった人、ガラス破片で足に大けがをした人、火傷を負った人などが目立った。<br /> <b>ライフライン災害:</b>地震とともに各所で停電、断水、ガスの供給停止など、ライフラインの被害が発生した。また、電話の輻韓も著しく、地震発生当日の深夜まで続いた。<br /> <b>地盤災害:</b><br /> <b>液状化災害:</b>各所で地盤の液状化による被害が発生した。釧路港の岸壁では、地表に多数の亀裂や段差、陥没を生じた。<br /> <b>道路の損壊:</b>道路も各所で損壊した。厚岸町では、国道44号線路面が陥没、車4台が転落した。<br /> <b>宅地の地盤崩壊:</b>釧路市東部の丘陵地帯にある住宅地では崖の先端部分に盛土をして造成された宅地に大きな被害がでた。この災害も、いわば開発が招いた災害であり、湿原などを野放図に開発することへの大きな警鐘となったということができる。<br /> | 平成5年釧路沖地震における住民の対応と災害情報の伝達 | saigairep041.pdf | youyaku041.pdf |
| 42 | 高度情報社会と紙ゴミ問題 | 1993-12-01 | 災害調査以外 | 東京23区に本社をおく企業400社 | 木村純、中村功、廣井脩 | 高度情報化社会における紙ゴミ処理のための検討調査 | アンケート<br />(東京23区の企業400社) | 紙ゴミによる環境問題へのインパクト | | <b>① 災害の概要</b><br /> 最近では、社内に環境対策室や環境課といった部門を設置する企業が増えてきており、現在その数は270社ほどあるといわれ、大手商社や製紙業界など、環境に負荷をかけているイメージを抱かれやすい企業では、とくにこの傾向が強いようである。こうした企業の環境対策セクションでは、たとえば(1)環境問題に対するデータ収集、(2)社内への最新環境情報のブリーフィング、(3)社内の環境基準の設定、(4)自社および関連企業の製品・商品のエコロジーチェック、(5)CMの環境・人権等への対応をチェック、公共広告の支援、(6)企業としての対外的環境貢献策の提案と、トップマネージメントに対する環境教育と研修プログラムの立案、(7)社員のボランティア活動の支援、などが業務として考えられるが、実際には明確で具体的なプランを持たないところも多い)。また、企業の対外的な宣伝として、その企業が環境に対ししてどんな立場をとっているかをアピールすることも行われるようになってきた。「地球にやさしい企業」あるいは「エコロジー企業」といったようなキャッチフレーズにみられる企業の環境PRである。消費者の環境に対する関心も大きくなり、企業製品・企業活動に厳しい監視の目が向けられるようになった現在では、自社がいかに環境保護について努力しているかを知らしめるのは一定の効果はあるものと思われる。しかし、多くの企業がこのPRを多用し始めると、かえって消費者の中には不信感が生まれることにもなった。そのため、「地球を守るために真剣な努力をしているにもかかわらず、自社に人々の目が向けられるのを恐れる企業まであらわれた」といわれる。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 本調査ではOA化と紙ゴミの増加の関係を検証し、それに関連して企業のゴミの排出システム、環境問題についての意識などが調査された。郵送法、東京23区に本社をおく企業400社、回収数・回収率:101票・25.3%、平成5年2-3月<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> 調査対象企業に対して、東京のゴミ問題の現状をどう考えるか質問したところ、非常に深刻だと答えた企業が63%、かなり深刻だという企業が33%となっており、深刻だという認識が圧倒的多数を占めた。こうしたゴミ問題の深刻化について、企業側と消費者側のどちらに責任があるかたずねると、両方に同じくらい責任があるという回答がもっとも多かった(60%)が、やや企業側の責任について重大に考えているようである。企業の紙ゴミの処理は企業側が経済的負担を負うべきとする回答がかなりの割合を占めた。<br /> なお、紙ゴミの分別を行っているかどうかや、紙ゴミの最終処理の方法の違いによって、処理責任が企業にあると考えるか自治体にあると考えるかの見解に差がみられた。ゴミ処理について企業側が責任を負うべきだとする企業は、紙ゴミの分別を行い、また専門の処理業者に委託する割合が高くなっている。この結果は、企業の廃棄物についての意識がその企業における処理方法に反映しているとも考えられるが、逆に自社の処理方法についての責任を外部に帰属することにより合理化しているとも考えられる。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> OA化が紙ゴミの増加に影響しているという仮説は直接的には検証できなかったものの、いくつかの間接的な証拠からその影響はほぼ確実といえると考えられた。また、OA化による紙の使用の増加の一方で、逆に、紙の使用の減少を支持する結果もみられた。自由回答で個々の事例を検討してみても、増加の事例と減少の事例がともにあり、OA化による紙の使用の増加と減少という両方向のカが働いているということかもしれない。さらに、企業規模によってOA化およびゴミの処理活動と意識に差がみられたのは注目すべきである。小企業と大企業を比較すると、一般に大企業のほうがゴミの排出システムが整備されている0具体的に言えば、排出システムについては、ゴミの分別、専門の処理業者の利用といったことである。大企業は、小企業にくらべてゴミの排出の絶対量は多いが、一方で環境対策が進んでいるので、結果的に環境への負荷は相殺されるかたちになっている。また、OA化も大企業の方が進んでおり、ネットワーク化の程度も高い。OA化は、現在ではどちらかといえば紙ゴミの排出を増加させる要因であるが、大企業ではネットワーク化など、より有機的なシステムが出来上がっているので、この点である種の抑制効果が働いているのかもしれない。<br /> | 高度情報社会と紙ゴミ問題 | saigairep042.pdf | youyaku042.pdf |
| 43 | 1993年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達 | 1994-12-01 | 地震 | 釧路市 | 伊藤和明、宇田川真之、中森広道、中村功、廣井脩 | 現地調査報告書 | 聞き取り調査、アンケート(奥尻町、瀬棚町、大成町、島牧村、熊石町) | 津波 | 聞き取り抜粋、聞き取り調査抜粋、北海道南西沖地震に関するアンケート調査 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1993年7月12日北海道南西沖地震が発生した。地震のマグニチュードは7.8で直後に大津波が奥尻島および渡島半島沿岸を襲い、死者・行方不明者231人をだす大災害となった。奥尻島では、地震発生後津波が襲来するまでの時間が短かったことと、日本海中部地震のさいの津波よりも波高が高かったため、壊滅的な災害となった。<br /> <b>② 調査の内容:</b>平成5年10月29日一11月20日、大成町200人、島牧村182人、熊石町352人、大成町は、調査員による個別面接法、熊石町・島牧村は町村役場に調査票の配付を依頼し、回答者に郵送で返送してもらう方式をとった。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>巨大津波と避難行動:</b>今回の災害で生死を分けたのは避難行動の適否で、地震直後に津波の来襲を予想して、いち早く避難した人々である。<br /> <b>津波の犠牲になった人々:</b>こんなに多くの犠牲者が出たもっとも大きな理由が、巨大な津波がきわめて早い時間に襲ったことにある。犠牲者のパターンは、大きくいって避難しなかった(できなかった)人、避難しようとしたがいろいろな理由から避難が:遅れた人、.歩いて避難したり、遅れて車で避難したりした人、いったん避難したのにふたたび戻って被害にあった人、である。<br /> <b>津波警報はどう伝えられたか:</b>津波の被害がもっともいちじるしかった奥尻島と渡島半島の沿岸は、地震発生5分後の22時22分、札幌管区気象台が「オオツナミ」の津波警報を発令した。<br /> <b>札幌管区気象台はいかに対応したか:</b>札幌管区気象台は、函館海洋気象台やNHK札幌放送局・に対しては、警報の発令と同時にL一アデスを使って警報を伝えており、NHK札幌放送局では、2分半後にこの津波警報を放送しているが、その他への伝達には5~6分もの時間がかかっている。<br /> <b>放送はどう対応したか:</b>NHKでは地震が起こったとき、NHK総合テレビの画面に、「ただいま地震がありました。詳しい情報が入り次第お伝えします」という最初のニュース速報(テロップ)が流れた。民間放送ではスーパー・テロップによる速報が中心になった。ただし、ラジオは自社制作の番組を放送中に地震が発生したため、地震発生直後から地震関係の放送をしている。<br /> <b>北海道南西沖地震と災害情報:</b>津波警報の発令は異例ともいえる早さだったが、津波警報を伝達する過程で多くの問題が発生し、結果として警報が住民に到達するまで相当な時間を要した。<br /> <b>ボランティア活動の実態と住民の評価:</b>全国各地から寄せられた「義援物資の仕分け・運搬」66%の人がボランティアの恩恵を受けていた。「けがや病気の手当」48%、「炊事・洗濯の手伝い」(38%)、「引っ越しの手伝い」(22%)である。<br /> <b>ボランティア活動の問題点:</b>未成熟なボランティア志願者による被災自治体への負担、不適切な援助物資による被災自治体への負担、地域間格差の問題、などの問題がある。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・ 奥尻島の災害を契機に、港湾地帯においては、「津波」「火災」を念頭においた防災対策の充実を望みたい。<br /> ・ 震度5程度の揺れで液状化が発生した事実は、液状化危険度に関する概念とその対策についての見直しを迫るものであり、今後の大きな課題であるということができよう。<br /> ・ 今回の地震では、津波は早いところで地震の5分後に沿岸に到達している。、この警報伝達までに要する時間をなるべく短縮すべきである。<br /> ・ 今後、津波への避難を促進し、人的被害を軽減するためには、地震=津波という知識を徹底するとともに、津波の持つ破壊力とスピードを知ってもらうような広報活動が必要になろう。<br /> | 1993年年北海道南西沖地震における住民の対応と災害情報の伝達 | saigairep043.pdf | youyaku043.pdf |
| 44 | 1995年阪神・淡路大震災調査報告 -1- | 1996-03-01 | 地震 | 神戸市、西宮市 | 伊藤和明、廣井脩、黒田洋司、田中淳、中村功、中森広道、川端信正 | 現地調査報告書集 | アンケート<br />(神戸市、西宮市) | 地震 | アンケート調査結果 | <b>① 災害の概要</b><br /> 阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震(M7.2)は、1995年1月17日、明石海峡付近を震源として発生、この地震による死者は6000余名、ビルや家屋の全半壌、一部損壊および焼失は20万棟にも及び、高速道路の横転、鉄道や道路の橋梁部での橋桁の落下、大規模な液状化災害、さらには都市機能を支えるライフラインの断絶など、大都市複合災害であった。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>芦屋市職員の参集行動:</b>兵庫県芦屋市、芦屋市職員680人、アンケート調査、平成7年8月~9月、回収数及び回収率:342票(50.3%)<br /> <b>携帯電話の役割と問題点:</b>地域在住のNTTドコモ関西携帯電話加入者、無作為抽出、自記式、郵送配付・郵送回収、1995年5月、調査対象数:1500、回収数・回収率:683・45.5%<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>兵庫県南部地震の地震像と災害の概要:</b>7という震度階は、家屋の全壊率が30%をこえた場合であるが初めて適用された。神戸市灘区では、家屋の倒壊率が100%近くに達した地区さえあった。<br /> <b>阪神・淡路大震災と災害情報:</b>被害の特徴は、「10万棟にも達する多数の家屋の倒壊」、「300件にのぼる火災の発生」、「近代施設が崩壊」、「初動態勢と被害情報の収集が遅れた」、である。<br /> <b>阪神・淡路大震災と住民の行動:</b>被災地では、全半壊したマンションやビルも少なくなかったが、おびただしかったのは木造家屋の倒壊であった。<br /> <b>阪神・淡路大震災と芦屋市職員の参集行動:</b>地震発生から参集にいたるまで、「身内の安否確認」が50%と最も多く、次いで、「自宅の整理補強」41%、「友人・知人の安否確認」20%などとなっている。「近隣の救出・消火・応急手当等」に携わったと答えた人は17%であった。<br /> <b>阪神・淡路大震災と災害弱者対策:</b>障害者の死亡率は健常者より高く、また、家族が被害にあったため自立不可能となる場合もあった。重度の場合は非難行動もとりづらく、また、ペースメーカーや補聴器の充電不能などは大きな障害となった。<br /> <b>兵庫県南部地震時の携帯電話の役割と問題点:</b>NTTドコモ関西では百数十の基地局のうち37局で障害が発生した。主な原因は電源の問題で、リセットをかけることで数時間から数十時間のうちに回復した。<br /> <b>阪神・淡路大震災と初動情報:</b>地震発生時、番組中に地震発生を放送したのは一局だけでその他は気象庁経由で情報を知った形で放送した。「各放送局は当初電話による情報収集を中心に行っており、被害状況の報道が遅れた。<br /> <b>阪神・淡路大震災とラジオ放送:</b>日本の放送メディアが体験した始めての大震災であった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>発生時刻を変えたシミュレーションを:</b>この大地震が、もし通勤・通学時間であったなら、日中に起きていたならば、あるいは夕方から夜にかけてであったならばなど、地震の発生時刻や気象状況をさまざまに変えたシミュレーションを試みることも重要ではないだろうか。<br /> <b>行政職員の災害時参集の課題:</b>災害時の職員の参集・行政活動を効果的に行いうために、職員の家庭における安全(防災)対策の徹底、参集判断に資する情報の伝達、職員及びその家庭が被災した場合や被災現場に遭遇した場合の行動指針の明確化、市町村の枠を超えた広域的な初動体制の検討、などが必要である。<br /> <b>災害弱者対策の課題:</b>災害対策機能に障害者や高齢者といった弱者それぞれの専門管理体制をおくべきである。災害弱者対策を考える上で対策領域を広げるべきである。弱者対策の実行面を考えると、支援団体の役割を位置づける必要がある。防災対策と福祉対策との関連も問題となる。<br /> <b>携帯電話の課題:</b>今後の課題として、ハード面(特にバッテリー)、制度面(119番通報など)、ソフト面(使用方法PRなど)、ボイスメールの活用による災害時通信ニーズ代替の可能性、などがある。<br /> | 1995年阪神・淡路大震災調査報告 -1- | saigairep044.pdf | youyaku044.pdf |
| 45 | 平成9年鹿児島県出水市針原川土石流災害における住民の対応と災害情報の伝達 | 1998-03-01 | 土砂災害 | 鹿児島県出水市 | 中村功、中森広道、森康俊、廣井脩 | 住民対応の現地調査 | アンケート<br />(鹿児島県出水市) | 土石流災害 | 住民アンケート調査票(単純集計結果付)、英文概要 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1997年7月10日鹿児島県出水皮内の針原川流域で土石流が発生し、16万立方メートルの土砂が流出した。土砂は建設中の砂防ダムを乗り越え、さらに下流幅150メートル長さ600メートルにわたって流れ出し、住宅19棟が壊され、死者21名、重軽傷者13名が発生する大惨事となった。<br /> <b>② 調査の内容:</b>避難勧告地域にいた全住民112人、留め置き調査、1997年12月21日から1998年1月10日、回収数(率):73(65.2%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>土石流発生の状況:</b>災害発生までに雨はやんでおり、山の変形や土砂の崩落などは確認されず、避難のしにくい深夜に発生していた。<br /> <b>行政の7月9日の対応:</b>時間雨量が60mmを記録し、出水氏は被害の恐れがあると判断し、市内17ヶ所に避難所を開設して各地域の公民館長をつうじて自主避難勧告を有線で伝達した。雨は21時前にやみ23時頃までに避難場所は閉鎖されたが、24時過ぎに土石流が発生した。<br /> <b>ハザードマップ:</b>鹿児島県出水土木事務所では96年に土石災害危険箇所マップを作成し針腹川も土石危険渓流として示されていたが、この地図は各世帯に配布されていなかった。同様の地図は97年にも作成され7月10日に住民に配布する予定であったが、間に合わなかった。<br /> <b>教訓と新たなる対策:</b>今回の土石流災害の経験から、市内7ヶ所に雨量計を新設、公民館・公民館長宅へ同報無線の個別受信機を設置する、という対策が検討されている。<br /> <b>人的被害の状況:</b>土石流は午前0時に発生し、ほとんどの被害者は就寝中に家ごと流されるか、音を聞いて目覚めた人も逃げる暇はなかった。<br /> <b>非難行動のイニシアティブ:</b>避難した人はいなかった。有線放送が非難行動に直結しない構造があったのではないか。避難所へ来ても誰もいないので帰宅するという、設営上の問題点もある。<br /> <b>危険認知:</b>激しい降雨があったが6割の人は「針原で被害はない」と感じ、被害が出るかもしれないと感じた人は4割弱で、あったとしても「川の氾濫」程度の想定しかなかった。<br /> <b>有線放送の効果:</b>有線放送で伝えられた自主避難勧告を半数近くの人が聞いているが、そのうちの7割の人は危険を感じていなかったが、4割近くの人が川の水位を確認している。<br /> <b>非難行動:</b>指定の避難場所に避難した人はゼロであったが、知人宅等に避難した人は6人おり、そのうち2人は災害前に自宅に戻っていた。避難を話し合った人は4割ほどで、周りが避難しなかったから、非難を取りやめた人もいた。<br /> <b>土石流に対する知識:</b>土石流の危険性を知っていたのは全体の1/4で、「言葉はしているが内容を知らない」44%、「崖崩れ程度のもの」と考えていた人29%であった。針原川が土石災害危険地域に指定されていることを湿地他人は64%であった。<br /> <b>前兆現象:</b>31.9%の地鳴りを聞いており、16.7%の人は川の水が急激に減っていくのを見ていた。流木が流れていくのを見た人も8.3%いた。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>避難勧告が出されなかった要因:</b>出水市が非難勧告を出さなかった要因は、市南部の土砂災害や洪水に注意が向き、市北部の警戒が盲点となった。<br /> <b>住民が避難をしなかった原因:</b>住民が避難をしなかったのは、住民の注意が洪水に向いていたため雨がやみ水位が下がったことで安心してしまった、土石流に対する知識がなく前兆現象を非難に結び付けられなかった、などである。<br /> <b>今後の課題:</b>住民に対する日頃の啓蒙活動が重要である。また、地域住民が前兆現象を捉えた際にそれを行政にフィードバックするシステムが必要と考えられる。<br /> | 平成9年鹿児島県出水市針原川土石流災害における住民の対応と災害情報の伝達 | saigairep045.pdf | youyaku045.pdf |
| 46 | 土石流災害と情報 一97年秋田県鹿角市八幡平地すべり塵土石流災害の事例研究一 | 1999-02-01 | 土砂災害 | 秋田県鹿角市 | 福田充、中森広道、中村功、廣井脩 | 論文 | アンケート(秋田県鹿角市) | 土石流 | 英文概要 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1997年5月11日、秋田県鹿角市八幡平熊沢国有林地内で大規模な土石流が発発し、250万立方メートルの土砂が崩れ落ち、澄川温泉と赤川温泉の2つの温泉の16世帯が全壊し、この地域の幹線道路である国道341号線が分断されるなどの大規模な災害となった。しかし、幸いにして、人的被害は生じなかった。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 関係者への聞き取り<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>地域特性:</b>土石流が発生したのは、鹿角から田沢湖方面に向かう国道341号線と、鹿角から岩手方面に向かうアスピーテラインと呼ばれる幹線道路に挟まれた澄川温泉南側の八幡平熊沢国有林地内だった。<br /> <b>前兆現象:</b>前兆現象は、1)飲料水が濁り始めた(5月3日)、2)コンクリート舗装道路に亀裂が入った(5月7日)、3)わき水・温泉の湯の量が増した(5月8日)、4)地滑りにより裏山の電線ケーブルが切れた(5月8日)、5)山に地割れが始まった(5月9日)、6)泥火山から湯と泡が出始めた(5月9日)、であった。地元旅館の社長が9日の夕方、地質コンサルタント会社の職員をよび、5月10日午前5時頃この職員が大規模な地滑りが発生していることを発見し5月10日、宿泊客に事情を説明し全員を帰宅させた。<br /> <b>関係機関への通報にみる情報の流れ:</b>それまでの現象の原因が大規模な地滑りの前兆であることを知った社長は、鹿角広域行政組合消防本部署長と鹿角市都市建設部長の自宅に直接電話した。その後、午前8時40分頃現場に到着した消防署長の判断により、8時50分頃、県鹿角土木事務所、鹿角市総務課、鹿角警察署、県消防防災課の4機関に電話により連絡された。<br /> <b>市などの防災関係機関の対応:</b>防災関係者のメンバーがそろったのが10日午前11時過ぎ頃であるが、すでに消防署員らが現地調査を始め、住民の避難もほぼ完了していた。<br /> <b>避難勧告に伴う問題点:</b>今回の土石流災害には、避難勧告の経験だがなかった、土曜日で休みだった、幹部職員が不在だったなどアンラッキーであったが、前兆現象がわかりやすい形で発生したことなど災害を小さくする要因もあった。<br /> <b>避難行動の実際:</b>5月10日の段階で、まず、午前中に「澄川温泉」の宿泊客全員を自主的な判断で帰らせた。そして対策本部の設置後、午後4時49分、「澄川温泉」の従業員9人と現場監視に当たっていた消防署員らに対し最初の避難勧告が出され、午後六時までに大方の旅館の客と従業員を非難させた。11日午前8時前に大規模な土石流が発生し、赤川のさらに下流の「志張温泉元湯」と「ゆきの小舎」に電話で避難勧告が出された。直ちに「志張温泉元湯」の宿泊客3人と従業員3人、「ゆきの小舎」の従業員2人が避難を行った。これらの一般住民には、まず電話によって避難勧告が伝えられた。警察官や消防団員が1軒1軒まわりながら避難勧告を伝え状況を説明した。水沢会館が避難場所として指定され避難勧告を受けた住民が水沢会館に集まった。<br /> <b>マスコミ報道の功罪:</b>今回の土石流災害は、テレビや断聞な・どのマスコミでも非常に大きく報道された。過激な報道により観光予約者からキャンセルが相次ぎ、八幡平の温泉旅館は経済的な大打撃を受けた。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・ 土石流災害規模を減少するためには前兆現象をいかに把握するかということが重要である。<br /> ・ このような異常を発見したときの通報ルートの確保が重要である。<br /> ・ 避難勧告、避難命令を迅速に出す必要がある。<br /> ・ 避難誘導の確立(消防団の活用など)が重要である。<br /> | 土石流災害と情報 一97年秋田県鹿角市八幡平地すべり塵土石流災害の事例研究一 | saigairep046.pdf | youyaku046.pdf |
| 47 | 平成10年8月那須集中豪雨災害における災害情報と住民の避難行動 | 2000-03-01 | 水害 | 栃木県那須町 | 福田充、中森広道、廣井脩、森康俊、馬越直子、紙田毅 | 論文 | アンケート<br />(那須町) | 集中豪雨 | アンケート調査票 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1998年8月26日台風4号が接近した影響により、那須町を中心とした栃木県北部が集中豪雨見舞われた。26日から30日までに1200mmを超える降雨があった。那須町を流れる余笹川と黒川は氾濫し那須町では死者3名、行方不明2名、負傷者21名が出た。家屋の流出、全半壊、床上浸水などの被害のほか畑・道路の冠水などの被害に見舞われた。<br /> <b>② 調査の内容:</b>訪問面接調査法、栃木県那須町、対象地区に在住の世帯主、サンプル数450件、有効回答数(回収率):450件(エリアサンプリングのため100%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>那須長の災害対策:</b>自治体が対応しきれなかった部分はあるが、その後の救助活動、避難行動は比較的に円滑に行われたといえる。しかしながら、住民の避難行動、避難生活に関して、従来から指摘されているような問題点が見られた。災害時における情報のやりとり、そしてそれを可能にするメディア・コミュニケーションの重要性を指摘している。<br /> <b>気象情報の流れ:</b>8月26日宇都宮地方気象台は、「大雨・雷・洪水注意報」を発表した。27日1時50分の段階で、宇都宮地方気象台は「大雨・洪水警報」を発表している。<br /> <b>河川情報の利用可能性:</b>今回の水害では、那須町北部での集中豪雨が余笹川・黒川の水位を増加させ、それが後に茨城県の那珂川を増水させ、水戸市において那珂川の氾濫をもたらすという、市町村や県を越えた被害をもたらしている。<br /> <b>住民の非難行動と情報に関するアンケート調査:</b> 96%の回答者の家族には被災死傷者が出ていなかった。自宅については全く被害のなかった人が、約6割であるが、自宅が床上・下浸水した回答者の割合は約3割である。「大雨・洪水警報」を聞いた住民は34%であり、残りの65%は「聞かなかった」と答えている。「大雨・洪水警報」を聞いた手段で多いのは、「消防署員・警察署員・消防団員」から直接聞いた人、テレビやラジオなどのメディアから聞いた人が多い。<br /> <b>大雨・洪水警報、避難勧告に関する情報:</b>27日に「大雨・洪水警報」を聞いたと回答した人は34%だった。「消防署員・警察署員・消防団員」で37%、次いで、「テレビ」(32%)、「ラジオ」(31%)の順だった。<br /> <b>災害発生当日の情報ニーズ:</b>災害当日知りたかった情報は「余笹川・黒川の増水に関する情報」が24%と最も多く、次いで、「自分の住んでいる地域に起こっている被害についての情報」が22%、「自分の住む地域がだいじょうぶかどうかという災害予測情報」が22%、「降雨量や今後の雨の見通しなど詳細な気象情報」18%の順であった。<br /> <b>放送の問題点:</b>今回の水害が大変な事態であると判断したのは被害の情報が入ってきた5時~6時ごろであり、「防災放送」としての初動体制は十分なものにはならなかった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・ 今回の水害は、27日未明からの集中豪雨がこれまでにない記録的な降水量であり、しかも短時のうちに降る、あっという間の出来事であったが、対応の遅れが、被害をますます大きくすることを認識し、素早い対策を可能にするためのシステム作りが必要であろう。<br /> ・ 現段階では、契約料の問題等で、那須町のようにシステムを導入していない自治体がまだ多い。また、このような新しいシステムを導入するためには、それを利用する側の自治体やその担当者にも、そのシステムを活用するだけのリテラシーが必要となる。。情報システムの自治体における普及が望まれる。<br /> ・ 風水害の場合は、発生する災害がある程度予想できるため、事前の適切な情報を伝え、速やかな避難を促すことで被害(特に人的被害)の軽減が可能である。そのための、初動体制をとるための判断となる気象情報・河川情報など情報の充実が求められる。<br /> | 平成10年8月那須集中豪雨災害における災害情報と住民の避難行動 | saigairep047.pdf | youyaku047.pdf |
| 48 | 企業の地震防災対策の現状と帰宅困難者問題 | 2000-03-01 | 地震 | 東京都下に事業所を構える企業117社 | 森康俊、福田充、関谷直也、廣井脩、中森広道、馬越直子、金児茂 | 論文 | アンケート<br />(東京都下企業117社) | 予想される地震 | アンケート調査票(単純集計表結果付き)、ヒアリング調査の概要 | <b>① 災害の概要</b><br /> 東京都防災会議が平成9年8月に公表した東京を直下型大地震が襲ったときの被害想定によれば、都内全域で14万棟あまりが全半壊、38万棟ほどが消失、死者が7200人近くにのぼると予測されている。直後に交通機関の運行が停止し、帰宅が困難になる者は371万人と推定されている。<br /> <b>② 調査の内容:</b>有意抽出による郵送留置自記式質問票調査、東京都下企業、回収数=117社(16.7%)、平成11年5月14日~30日<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>企業の危険認識:</b>「安全」と答えた企業が10社(8.5%)、「だいたい安全」45社(38.5%)、「やや危険」39社(33.3%)「危険」14杜(12.0%)となっている。全回答企業数117社のうち半数以上に及ぶ57社が建物倒壊の危険性を予測している。火災に関しては、70社以上が危惧している。<br /> <b>耐震診断調査:</b>耐震診断実施42社(35.9%)・実施中1社(0.9%)・実施予定7社(6.0%)を全てを合計しても半数に満たなかった。また、「耐震診断」についてその内容が「分からない」とした企業は38社(38%)、実施予定がない企業も29社(24.8%)に上った。<br /> <b>企業における防災計画、緊急対策マニュアルの作成:</b>防災計画、緊急対策マニュアルがすでに「文書で作られている」企業が65.8%ある。「文書化されていないがある」という回答の12.8%と加えると、防災計画やマニュアル的なものがある企業は8割近くに達している。<br /> <b>地震防災訓練の実施状況:</b>企業の中で地震防災訓練を定期的に「実施している」企業は65.8%であり、「実施していない」企業は34.2%になっている。「電気・ガス・水道業」や「運輸業」、「劇場・ホール・映画館」などはすべての企業が地震防災訓練を定期的に行っていることがわかる。<br /> <b>防災訓練における避難行動の対策:</b>定期的な地震防災訓練を実施していると回答した企業(77社・65.8%)のうち、「従業員の避難」と回答した企業が83.1%と、回答選択肢で挙げた内容の中で一番多くの回答があった。<br /> <b>企業独自の防災対策:</b>「独自の防災対策をしていますか?」という質問に対して自由回答をしてもらったところ117の企業中回答があったのは、18社(15%)で挙げられた対策は全部で23項目となった。<br /> <b>具体化が課題の帰宅困難者対策:</b>帰宅困難者「80%以上」が26.5%、「40~60%」が23.9%、「60~80%」が22.2%となっており、「見当がつかない」も5.1%であった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> (ア) 各企業が、(各企業の防災担当者が)もっと防災対策について(例えば、地震の危険性と耐震診断、安全対策や地震保険など)について学び、知り認知する必要がある。企業規模が小さいほど防災対策が滞りやすい傾向がある。必ずしも企業の防災対策は経営規模の大小に比例する訳ではない。だが潜在的に防災対策は経営規模によらず必要である。今後は、このことを認識して企業の防災対策、リスク・マネージメントをデザインしていく必要がある。<br /> (イ) 防災計画、マニュアルが全く存在しない約2割の企業と加えて、約3割の企業にはこれから文書化された防災計画、緊急対策マニュアルの作成が必要であると思われる。<br /> (ウ) 企業防災について考えるとき、防災に対する設備などハードの側面で対策を進めるのは投資やコストパフォーマンスの面で困難である場合が多い。それは特に中小企業などで現状としてみられるが、情報というソフトの側面を強化し、それが防災計画や防災訓練に活かされることによって、より有益な防災計画、防災対策が作成されることが望まれる。<br /> (エ) これからの課題としては、従業員の避難:をより確実に行うことができるための方策を検討することや、まだまだ避難訓練等で取り上げることの少ない外来者の避難についての徹底などが挙げられるだろう。<br /> | 企業の地震防災対策の現状と帰宅困難者問題 都内事業所アンケート調査から | saigairep048.pdf | youyaku048.pdf |
| 49 | 過密空間における震災時の人間の行動 | 1990-10-01 | 地震 | 東京都、大阪、神戸 | 廣井脩、橋元良明、中村功、辻大介、中森広道、福田充、森俊、関谷直也、金児茂、藤井脩、<br />馬越直子、津金澤聡廣、船津衛、高橋和雄、藤田高英 | 企業・住民調査 | アンケート<br />(東京都、大阪、神戸、) | 都市における地震 | 研究発表論文 | <b>① 災害の概要</b><br /> 都市地震に対する有効な防災対策を考える場合には、ハードな対策だけでは不十分である。また、被害が発生してもその規模を限定化し、震災からの早期復旧を可能にする社会システムの構築が必要である。そこでは、地震時のパニック問題、人口の滞留問題、水・食料の不足といった地震発生直後の緊急対策期における社会システムに関する研究と共に、その後の長い復旧対策期における被災後の住環境の提供・管理システム、被災者の心身の健康管理システム、災害復旧情報の提供システムといった社会システムの整備が求められている。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> <b>一般通行者・利用者、施設管理者調査:</b>調査地域:東京、大阪、神戸の地下街、駅舎、高層ビル、大店舗・劇場、調査対象、標本数:17箇所の過密空間を通行中ないし滞在中の16歳以上の男女、各地点100名、回収数、回収率:1,849(回収率77.1%)、調査方法:個別面接法、調査期日:1997年8月5日~9月20日<br /> <b>住民調査:</b>調査地域:東京都大田区、北区、江東区、杉並区、調査対象、標本数:406人、調査方法:調査員による訪問留置、調査期間:平成10年11月13日~11月30日<br /> <b>若年層に対する調査:</b>調査地域:京阪神、神奈川県、静岡県、調査対象、標本数:京阪神3大学、関東学院大学、静岡大学の合計492人、調査方法:調査員による聞取り調査、調査期間:平成10年1月、平成10年3月~4月<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>地震不安意識:</b>地域別で最も不安の高かったのは「東京駅地上ホーム」であった。地下街に関しての不安度は東京より大阪・神戸のほうが低かった。<br /> <b>都民の不安:</b>回答者全体の約85%が不安を感じている。最も危険なところは木造家屋であると回答している。大地震時には交通事故や環境汚染問題も発生すると思っている。<br /> <b>企業の危険認知とリスク・マネージメント:</b>直下型地震の危険に関する認識について「安全」と答えた企業は8.5%、「大体安全」は38.5%である。<br /> <b>震災時における障害者の行動実態:</b>当日の行動を見ると、「なるべく外に出ないようにした」人は64.5%であり、外出を控えたきっかけとして、「県が屋内避難するように呼びかけたから」とした人はあまり高くない。伝達媒体としてはテレビが有効であった。<br /> <b>災害情報システム:</b>現在の自治体の災害情報システムはかなり充実してきており、固定系と移動系の併用が圧倒的に多い。その整備状況に都市規模による差異が存在している。情報内容は注意報、警報、避難命令、避難誘導に関するものが最も多く、災害発生情報や地震、津波、噴火、積雪などの情報、河川、台風・風水害、高潮、土砂流も多い。<br /> <b>神戸市における応急仮設住宅の設置及び管理:</b>必要個数決定や財源の問題が発生し、早期整備が遅れた。入居者の決定に付いては優先順位をつけて行われ、高齢者や障害者などの弱者が集中入居し、多くの問題が生じた。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・利用者の不安を軽減・緩和し、混乱を防止するためには、設備について利用者が現在位置と避難方法・経路などの情報、安全情報を速やかに明確に理解できるよう、整備と工夫を行う必要がある。<br /> ・日ごろから障害者ネットワーク形成やサービスの拡大、相談窓口の整備と普及などを通じて、隠された弱者を減少させていく必要がある。<br /> ・ハード面の充実と共に、災害情報システムが実際の場面において役立つようにきめ細かなソフト作りが必要とされる。<br /> ・個人に対する支援策が不十分であるため、復興システムの確立が必要である。<br /> | 過密空間における震災時の人間の行動 | saigairep049.pdf | youyaku049.pdf |
| 50 | 1999年JCO臨界事故と住民の対応 | 2001-03-01 | 災害調査以外 | 茨木県東海村、那珂町、ひたちなか市、常陸太田市 | 廣井脩、田中淳、中森広道、関谷直也、三上俊治、中村功、八木絵香 | 論文 | アンケート(茨木県東海村、那珂町、ひたちなか市、常陸太田市) | 臨界事故 | アンケート調査単純集計結果、英文概要 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1999年9月30日、茨城県東海村のウラン燃料加工施設・JCO東海事業所で発生した臨界事故は、30万人を超える住民に屋内退避を余儀なくさせ、後に死者2人、そして400人をはるかに超える多数の被ばく者を出した。<br /> <b>② 調査の内容:</b><br /> <b>JCO臨界事故時の避難:</b>茨城県東海村、那珂町、ひたちなか市、常陸太田市、満20歳~69歳までの男女、層化多段無作為抽出、面接法、平成12年1月、2月、600サンプル、回収473(78%)<br /> <b>JCO臨界事故時の聴覚障害者:</b>聴覚障害者359名、郵送法、1999年12月、回収数158(44%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>臨界事故の経緯と問題点:</b>9月30日午前10時35分JCO東海事業所で臨界事故が発生した。東海村への第1報は11時34分。東海村では、12時30分、有線放送や戸別受信機を通じ村民に対して事故が発生しと外出自粛の放送を行った。放送による第1報も、事故から2時間以上経ってから視聴者に伝えられた。<br /> <b>住民の行動:</b>事故当日の12時台に知った人は住民の2割程度で、約3割の人が4時間以上経っても事故を知らなかった。事故の情報源としては、両地域ともテレビが圧倒的に多く6割強が放送から聞いた。事故発生を知った段階では、まだ事態の重大性を認識していなかった住民も少なくなかった。避難関連の行動をとった住民はほとんどおらず、事故情報が避難行動には結びついていない。事故翌日は多くの住民は屋内退避が解除されるまでは外出を控えた。<br /> <b>マスコミ報道の問題点:</b>「風評被害をあおるような報道が多かった」という不満を感じている住民は過半数に達している。また、風評被害への批判に加えて、「住民の不安をあおるような報道が多かった」という回答の割合もかなり高かった。<br /> <b>経済的被害:</b>今回の事故では、農業者の56%、サービス業の45%が経済的被害を受けたと答えている。「大幅に収入が減少した」の職業の割合をみると、農業が43%、サービス業経営が13%となっていた。被害はとくに農業従事者に多くそのかなりの部分は風評被害と考えられる。<br /> <b>原発・原子力防災の知識:</b>「臨界」ということばを知っていた人は、原子力関係者でも43%、それ以外の住民では19%の人にすぎなかった。原子力事故が起こったとき、「屋内退避という措置」がとられることがあるのを知っていた人は原子力関係者32%、一般住民23%である。<br /> <b>住民の今回の事故の評価:</b>事故の原因として、「作業員の知識、技術の低さ」「企業の管理体制の不備」の両者をあげる人が圧倒的に多かった。しかし、今回の事故の原因は、「科学技術への過信にある」、「無謀な原子力開発にある」という2項目に関して、この意見に賛同する割合は、原子力関係者とそれ以外の東海村周辺住民で有意な差が生じている。今回の臨界事故を契機にして、ほぼ9割(87%)が原子力発電の安全性に疑問を呈している。<br /> <b>JCO臨界事故時の聴覚障害者:</b>最初の事故報道で情報入手した人は少ない。午後1時までに知った人は16.2%にとどまり、。夕刻の時間帯で8割人が事故情報を入手している。<br /> <b>JCO臨界事故後の原子力政策の変化:</b>原子力安全委員会は12月24日に「原子力安全委員会ウラン加工工場臨界事故調査委員会事故調査報告書」が公表したが原子力防災上問題点という視点からの分析・検討は不十分である。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> JCO事故においてどのような情報に基づいて、誰が、どのように意思決定したのかの詳細が未だ明かではなく、今後の原子力防災対策への教訓へとつなげていくことができない状況にある。特に国が、屋内退避や避難の実施を決定するにあたって、どのような役割を担ったのか、またその際の問題となった点は何かについては、科学技術庁からは独立した形で、首相や国会に直属の事故調査委員会を設置し、第三者の立場から公正な調査がなされるべきであると考えられる。<br /> | 1999年JCO臨界事故と住民の対応 | saigairep050.pdf | youyaku050.pdf |
| 51 | 都市水害における住民心理と情報伝達 | 2001-10-01 | 水害 | 福岡市、東京都台東区 | 廣井脩、中村功、中森広道、松尾一郎、森岡千穂 | 都市水害の聴取調査 | 面接聴取法 | 都市水害 | 意識調査 | <b>① 災害の概要</b><br /> 1999年6月29日から九州北部地方では激しい雨が降り、福岡市でも記録的な降雨となった。福岡県内では河川が氾濫し、福岡市内中心部を流れる御笠川が3カ所で溢水し死者1名、床上浸水708棟、床上浸水703棟、半壊家屋2棟の被害が発生した。<br /> <b>② 調査の内容:</b>福岡市と東京都の地下街、地下街の通行者15歳以上の男女、面接聴取法、平成12年2月、3月、回収サンプル「博多駅周辺地下街」645、「浅草地下街」633<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>1999年福岡水害と災害情報の伝達:</b>6月29日、西日本一帯を梅雨前線豪雨が襲い、福岡市ではJR博多駅近くのビルの地階にいた飲食店の女性従業員が水死した。御笠川が10時頃から溢水し、博多駅周辺を水没させたのが原因だった。御笠川の溢水情報は、博多駅周辺には伝えられなかった。<br /> <b>地下空間における水害対策の実態と問題点:</b>地下空間の利用者は、水害に対する認識をもたないまま、地下街を利用している。地下街は、都市の中心にありながらも災害に対して脆弱な情報過疎地域である。地下空間が冠水した場合、水圧でドアが開かなくなってしまう可能性がある。ビルは、電源設備を地下に設置しているケースが多いく、電源設備が浸水すると、地下空間全体が停電するだけではなく、連動する他の施設まで影響が及ぶ可能性を有しているのである。<br /> <b>地下空間管理者の防災対策状況と課題:</b>地下空間の管理者は、地上の状況を把握したり河川情報を収集するシステムを保有していない。浸水対策設備は、通常の地下街や雑居ビルの地下階などにはほとんど設置されていないのが現状である。電源設備「浸水防護対策」は、一度地下空間が浸水すると、電源設備自体が水没して、即座に電源供給機能が停止してしまう。<br /> <b>地下空間の防災対策のあり方について:</b>災害時の情報の伝達ルートに関して、河川管理者→市町村→地下街管理者→地下街利用者といったルートによって伝達することとしているが、情報途絶の可能性をなくすことが重要である。避難訓練の実施の検討、避難経路の検討及び通常点検の実施の検討、避難場所の設定の検討が必要である。地下空間における浸水被害に備えた浸水対策の構築に向けて、浸水防止施設設置の促進の検討、電源設備の浸水対策の検討が必要である。<br /> <b>地下街通行者の水害意識に関する調査:</b><br /> <b>「博多駅周辺地下街」:</b>居住地域は、平日では福岡市内が6割以上を占めるのに対し、休日では市内在住者と市外在住者が半々であった。全体的に火災と水害を挙げた人は5割以上であり、他の2災害よりも地下街と結び付けやすい。<br /> <b>「浅草地下街」平日・休日比較:</b>居住地域は、平日では23区内が54.3%と若干多かったのに対し、休日では23区外が52.5%であった。主に地震が6割近くの人に挙げられ、次いで火災が平日54.6%、休日42.5%によって挙げられている。<br /> <b>「福岡駅周辺地下街」「浅草地下街」比較:</b>利用頻度は、博多・浅草ともに分布に差が見られなかった。利用時間帯については、やや早朝利用が多い浅草と、昼時の利用が多い博多という特徴が出た。博多では「水害」が61%の人に挙げられているのに対し、浅草ではたった27%であった。逆に浅草で6割近くの人が挙げた「地震」は、博多では3割を切っている。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>1999年福岡水害と災害情報の伝達:</b>地下水害対策は地下鉄・地下街・連結ビルが有機的に連携した総合的な対策が必要である。<br /> <b>地下空間における水害対策の実態と問題点:</b>発災時に自分はどのような状況におかれるのかを知らせ、リアルに危険性を認識させようとすることが、利用者の関心向上の糸口になる。だたし、こうした試みも単発では、利用者の平常化傾向に凌駕され、防災意識は風化の一途をたどることになる。地下街利用者の防災意識を常に高い水準に保っていくために、施設管理者や管轄市町村は、平素より当該地下施設の被災可能性について情報提供を継続して行い、発災に備えるべきである。<br /> | 都市水害における住民心理と情報伝達 | saigairep051.pdf | youyaku051.pdf |
| 52 | 2001年芸予地震における住民の対応と災害情報の伝達 | 2002-10-01 | 地震 | 呉市、松山市 | 廣井脩、田中淳、中村功、中森広道、宇田川真之、関谷直也、 | 災害時の住民対応の現地調査 | アンケート<br />(呉市、松山市) | 地震 | 調査票と単純集計結果 | <b>① 災害の概要</b><br /> 2001年3月24日、安芸灘の深さ51km付近を震源とするマグニチュードは6.7の芸予地震が発生した。この地震により、広島県の川内町、大崎町、熊野町で震度6弱の揺れを観測した。死者2名、負傷者287名、家屋の全壊69棟、半壊749棟、一部破損48,602棟であった。<br /> <b>② 調査の内容:</b>質問紙面接法、呉市と松山市の住民800名、20歳以上の住民ランダム抽出、2001年9月実施、回収数607人で、回収率75.9%<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>地震時の行動と被害:</b>地震直後8 割の人が行動を中断しその場で動けずにいた。地震時の対応行動は「子供・老人・病人などの身の安全を気づかう行動をした」1割強、「ドアや窓を開けた」人、「家具などが倒れないよう押さえた」人もそれぞれ5%程度いた。1%に当たる6人が家族の中にけが人がでたと答えている。物的被害について「特に被害はなかった」23%、家屋に深刻な被害を受けた人は15%強であった。<br /> <b>住民の情報ニーズと供給:</b>地震当日に最も困ったことについて、「電話が使えなかったこと」をあげた人が4 割を超え次いで、「家族との連絡が取れなかった」と回答した人が16%だった。「地震当日に知りたかった情報」について、「家族・友人・知人の安否」54%、「地震の規模や発生場所について」(49%)、以下、「余震の見通しについて」(47%)、「被害状況について」(36%)。「地震の震度について」(30.1%)。知りたかった情報を「知ることができた」45% 、「知ることができなかった」54.8%。情報取得手段は、「テレビ」83%で最も多く、「ラジオ」(21.6%)。<br /> <b>通信障害:</b>発信しようとして全て通じたのは、固定電話で5.4%、携帯電話の音声利用で4.5%、携帯メールで14.8%であった。全くつながらなかった人は固定電話で55.2%、携帯電話音声利用が66.3%、そして携帯メールでは46.3%であった。これら通信の不都合は「輻輳現象」による。ポケットベル(クイックキャスト)をつかった職員参集システムはまったく機能しなかった。原因は、いずれも一般電話回線の輻輳である。<br /> <b>余震情報:</b>気象庁は、24日に余震活動は「今後強い余震が起きる可能性は少ない」と発表した。26日に最大余震(M5)が発生し「今後数日間は震度5弱程度の余震が起きる可能性がある」と警戒を呼びかけた。余震情報を聞いた住民は全体の約7割にのぼり何らかの対応行動をとっていた。<br /> <b>防災意識・地震対策:</b>2000年10月の「平成12年鳥取県西部地震」が発生するまで、「大地震は関係ない」と思っていた人が多く全体の54%、「大地震が起こるかもしれない」と思った人39%、「大地震が起こると思っていた」は全体の6%だった。安芸灘周辺が「特定観測地域」に指定されていると知っていたと回答した人は、全体の25%を占めていた。防災意識が「高まった」人が全体の75%、「高まらなかった」人が全体の24%。「芸予地震」が発生する前に住民の多くは特に地震対策を行っていなかったが、「消火器を購入していた」の12%、「地震保険に加入していた」の11%、「非常持ち出し品を用意していた」の9%の順であった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>近年の災害と報道機関/防災機関のインターネット利用:</b>有珠山噴火災害のときには、新聞、地元放送局、気象庁、自治体がインターネットによる火山情報、生活情報、ライブ中継などを行っている。東海水害のときは、東海テレビ、NHK名古屋局でHPに情報を提供した。芸予地震では、NHK広島放送局、NHK松山放送局が地震直後からインターネットによる生活情報などきめ細かい情報を提供した。<br /> <b>災害時のインターネット利用状況とメディア特性:</b>インターネットという情報提供を行うことで、放送局は蓄積性・詳報性、新聞社は即時性、という従来のメディアの欠けていた機能を獲得することが可能になった。<br /> | 2001年芸予地震における住民の対応と災害情報の伝達 | saigairep052.pdf | youyaku052.pdf |
| 53 | 2000年有珠山噴火における災害情報の伝達と住民の対応 | 2002-12-01 | 火山 | 北海道虻田町 | 廣井脩、伊藤和明、西出則武、中村信郎、田鍋敏也、田中淳、中森広道、宇田川真之、関谷直也 | 災害時の住民対応の現地調査 | アンケート<br />(北海道虻田町) | 噴火、有珠山2000年 | 気象庁発表火山情報<br />有珠山噴火現地ヒアリング結果<br />有珠山住民調査単純集計結果 | <b>① 災害の概要</b><br /> 北海道の有珠山では、2000年3月27日火山性地震が頻発しはじめ、29日気象庁は緊急火山情報第1号を発表し、各町は避難指示を出し、30日までに避難対象地区の住民10,545人の避難が完了した。3月31日から噴火が発生し新たな火口群を形成した。4月中旬以降は噴火活動も低下の傾向を示すようになり、7月10日「今後、強い噴火はないが警戒が必要」という見解が発表され、伊達市、虻田町、壮瞥町では、段階的に避難指示を解除し、8月27日避難住民は0人となった。住家の全壊119棟、半壊355棟、一部破損376棟、土木施設被害59箇所など大きな被害を受けたが、直接噴火災害による人的被害は全くないという日本の災害史上特筆されるべき災害であった<br /> <b>② 調査の内容:</b>2000年7月、北海道虻田町、20歳以上の男女、604人、個別面接聴取法<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>行政の有珠山噴火対応:</b>2000年有珠山噴火では、「噴火前に緊急火山情報が発表され、住民の避難が完了した」、「法律に基づく政府の非常災害現地対策本部が設置され対策が実施された」、「避難指示地域内の危険度に応じて柔軟な対策がとられた」。<br /> <b>住民の対応の概要:</b>多くの回答者は早い時期から噴火を予期していた。避難指示等を聞いた回答者の多くは、それを無視したり疑って確かめたりすることはなく、すぐに避難のための対応を始めていた。避難を始めようとする行動と、家族でまとまろうとする行動が主な対応行動であった。6~7割と多く回答者が避難した時には、一週間以内と短い時間で家に戻れると思っていた。現実のように2,3ヶ月以上帰れないと思った者は、1割に満たない。<br /> <b>避難生活の実態:</b>「町が用意した避難所」と回答した人が最も多く、次いで「家族や親類の家」と回答した人が多かった。避難所生活での問題としてプライバシーや人間関係の問題、健康状態への不安、生活上の不便といったものと、「自宅の被害の様子がわからない」という自宅の状況に関する情報欲求が満たされていないという不満であった。避難所で行われた取り組みについてよかったと思われた点について多数を占めたのが「医療・保健活動」と「公衆電話の設置」だった。<br /> <b>避難住民の情報ニーズ:</b>もっとも知りたかった情報は、「自宅や街の様子」(47%)、「火山活動の状況や見通し」(25%) が群を抜いている。<br /> <b>マスコミの災害報道:</b>マスコミ各社は室蘭地方気象台から3月28日朝のニュース枠から一斉に報道を開始した。新聞各紙は、3月28日の夕刊から載せている。4月3日からは別刷りのタブロイド版「有珠山ふれあい通信」となって全避難所に配布され、避難住民の情報源となった。避難住民が「もっとも知りたかった情報」を「一番よく知らせてくれた」のは「自衛隊や開発局の映像」(36)、「NHKテレビ」(25%)、「地方紙」(13%)であった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>2000(平成12)年有珠山噴火災害と復興計画:</b>有珠山は今後も20年~30年の周期で噴火が予想され、防災マップを元に長期的視点で土地利用のあり方を検討し、諸施策を講ずる必要がある。火山災害に強い交通ネットワークの再構築を図る必要がある。21世紀の新しい防災観光地を目指し、防災情報の受発信の拠点となる総合的な研究施設の整備が必要である。防災マップの情報に沿った災害に強いライフラインの整備を行う必要がある。観光産業の再生と火山を新たな観光資源として利活用する「エコミュージアム」の整備と魅力ある観光地づくりに取り組む必要がある。<br /> <b>復興計画等の策定体制と策定状況:</b>有珠山は今後も20 年から30 年周期で噴火が起こるといわれており、復旧、復興にあたっては、有珠山の特性を十分考慮し、現状の復旧にとどまることなく、将来の災害にも備えたまちづくりの視点に立った対策を早急に推進することを周辺市町の共通認識として、基本構想部分は北海道と周辺市町が構成する有珠山周辺市町企画課長会議を中心に検討、策定され、また、それぞれの市町ごとに復興計画が策定された。<br /> | 2000年有珠山噴火における災害情報の伝達と住民の対応 | saigairep053.pdf | youyaku053.pdf |
| 54 | 2000年三宅島噴火における災害情報の伝達と住民の対応 | 2002-12-01 | 火山 | 東京都三宅島 | 廣井脩、伊藤和明、田中淳、木村拓郎、宇田川真之、小林知勝、関谷直也、辻本篤 | 災害時の住民対応の現地調査 | アンケート(三宅島) | 噴火、2000年三宅島 | 三宅島住民調査単純集計結果 | <b>① 災害の概要</b><br /> 2000年6月26日三宅島の地震活動が始まり、気象庁は緊急火山情報第1号を発表し三宅村では避難勧告を発令した。29日全地区の避難勧告が解除されたが、7月8日三宅島雄山の山頂から突然噴火が発生し、14日、15日には規模の大きい山頂噴火が発生した。7月末になると、三宅島近海で地震活動が活発化し、8月10日山頂噴火を再開、8月29日にも噴火と火砕流が北東側と南西側に流下した。東京都と三宅村は、9月1日、全島民に島外避難を指示した。9月2日から4日までの間に全島民の避難が完了した。全島民の島外避難後も、三宅島の火山活動は続き、島内全域に降り積もった大量の火山灰は、大雨のたびに泥流災害を引き起こした。山頂火口の陥没とともに火山ガスの大量放出が始まり、二酸化硫黄の放出量は2002年4月現在、1日あたり1万㌧前後となっている。<br /> <b>② 調査の内容:</b>2001年3月、島民電話帳掲載者で集合住宅に居住する世帯主600名、回答者数425人(71%)、 個別面接聴取法、層別無作為抽出<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>三宅島噴火災害における火山情報の問題点:</b>8月18日には噴石落下のその後各機関にて確認され住民の生命や身体に関わるかもしれない火山活動であるが、気象庁は臨時火山情報をだしたが緊急火山情報を出すべきであった。<br /> <b>火山活動への反応と火山情報:</b>6月26日の火山活動に対し回答者の85%以上が「緊急火山情報を出して良かったと思う」と回答している。また、「避難を勧告してよかったと思う」という回答が全体の約8割にのぼっている。8月18日の噴火に対して、「緊急火山情報を出すのが良かったと思う」が67%、「臨時火山情報を出すのが良かったと思う」が17% であった。8月29日の低温の火砕流」が起きたとき、「危険なものだと思った」が55%、「危険のものだと思った」が2%、。「危険がわからなかった」人が29%存在した。<br /> <b>島外避難:</b>約半数の回答者が都が島外避難指示の方針を示した9月1日より前に避難した。8月22日以降とその後の8月29日以降に避難者数が著しく増加している。約半数の回答者は自主的に島外避難していた。<br /> <b>島民の経済状況:</b>半数の人が預貯金をとりくずして避難生活を送り、かつ、65%が生活支援を要望している実態にもかかわらず、東京都の対策に対する評価は高く批判的な人は少ない。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>火山災害の特徴:</b>噴火災害に共通している第一の特徴は、何といっても災害の長期化である。第二の特徴は、噴火活動が長期化すればするほど、住宅などの物的被害が増大することである。避難者にとっての最大の苦悩は、避難期間中の生活設計がまったく立てられないことである。<br /> <b>現行の支援制度の課題:</b>噴火災害時の被災者支援でもっとも重要な対策は、職を奪われ収入が途絶えた人たちへの支援である。「災害救助法」は、この法律の概念が災害が発生したときの初期の対応と現物支給を基本としていることから、長期避難時の被災者が抱える経済的な問題には対応できない。「被災者生活再建支援法」の適用にあたっては収入や年齢などの制約があり、きわめて福祉的色彩の強い救済策といえる。支給額は最大で100 万円であり、噴火災害時の長期化を余儀なくされる避難生活支援には限界のあることは否めない。<br /> <b>住宅再建支援:</b>噴火災害では宅地が消滅してしまい、資産価値がなくなってしまう場合もあり、被災した住宅再建を公的に支援するための制度を事前に創設しておく必要がある。<br /> <b>被災者支援のあり方:</b>支援制度は、緊急避難期と避難生活期と復興期の3 つのステージに区分して検討されるべきである<br /> | 2000年三宅島噴火における災害情報の伝達と住民の対応 | saigairep054.pdf | youyaku054.pdf |
| 55 | 2000年東海豪雨災害における災害情報の伝達と住民の対応 | 2003-12-01 | 水害 | 愛知県新川流域 | 廣井治他 | 住民対応の調査 | アンケート<br />(愛知県新川流域) | 豪雨、2000年東海豪雨 | アンケート調査票(調査実施地域別単純集計結果) | <b>① 災害の概要</b><br /> 2000年9月11日東海地方に観測史上最大の集中豪雨が発生した。愛知県東海市で1時間雨量114ミリを観測した。名古屋市西区あし原町で庄内川が100mにわたって決壊した。庄内川流域全体で1万8,000棟が浸水し、死者10名、負傷者98名、全壊27棟、半壊77棟、床上浸水27,180棟、床下浸水44,111棟にのぼっている。被害総額は約8,500億円。<br /> <b>② 調査の内容:</b>実施期間:平成13 年2 月24 日(土)~ 平成13 年3 月5 日(月)、調査対象地域:愛知県新川流域、調査対象者:西枇杷島町・名古屋市西区の20 歳以上、調査方法:面接調査法、対象者の抽出:住民基本台帳より無作為抽出、有効回答数:571、回収率:71.4 %<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>名古屋地方気象台の対応:</b>愛知県および名古屋市の防災担当者へ電話で連絡し、また被害情報をFAXで受信し、ほぼ2 時間おきに全般気象情報を発表し報道機関を通じて警戒を呼びかけた。<br /> <b>行政機関(名古屋市)の対応:</b>大雨・洪水警報を受けて、11日災害対策本部を設置し、各区役所では市民からの連絡対応を図ると同時に浸水によって避難困難な市民の救助活動を行った。<br /> <b>河川管理者の対応:</b>名古屋市の6 区市町村において、避難勧告が発令され、河川管理者から愛知県災害対策本部(消防防災課)を経由して、市町村に伝達されるが1時間半の遅れがあった。<br /> <b>報道機関の対応:</b>情報発信者が思うほど報道機関がその情報の緊急性や重要性を認識して放送していなかった。避難勧告など一般市民への伝達を報道機関に頼る部分があった。<br /> <b>水害時の住民の情報行動:</b>マス・メディアから情報を得ようとした人が多く、次いで「外に出て、雨や浸水の状況を調べた」人が多かった。通信に携帯電話と固定電話を利用した人は多かった。<br /> <b>水害時の住民の避難行動:</b>多くの人は避難勧告を直接的に受けた後に避難行動をとりはじめ3割程度の人が危険を感じた状態で避難を行っていた。<br /> <b>避難・その他:</b>避難した人の6割程度が指定避難所に避難し、3日以内に帰宅した。避難先では、食料不足、風呂・トイレ当衛生環境などの問題があった。<br /> <b>日頃の防災行動:</b>市民は自分の居住地域が水害の危険地域だと自覚している。西区住民は、西枇杷島町住民ほど防災対策に対して積極的ではない。<br /> <b>防災対策への要望:</b>総合的な治水対策を全国的に充実して欲しい、防災行政無線の整備と状況説明、安心して避難できる場所、避難道路や夜間照明の整備、より詳しいハザードマップ、など。<br /> <b>c) 今後に向けた新たな取り組み</b><br /> <b>名古屋市の取り組み:</b>名古屋市では、緊急雨水整備計画の実施を行っている。2000 年12 月に「防災情報収集伝達システム調査検討委員会」を設置し、定点観測システムの構築などを行っている。<br /> <b>河川管理者の取り組み:</b>国土交通省(中部地方整備局)と愛知県では、平成12 年度から5ヶ年計画、総額610億円をかけて、庄内川と新川を一体として考えた治水工事を実施していくとした。<br /> <b>防災気象情報の改善の取り組み(気象庁):</b>警報発表予報区( 二次細分予報区) の見直しの推進、防災気象情報の内容等の改善、防災情報提供装置の活用、防災情報提供装置の活用など<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>今後の防災対策の課題:</b>地域住民からの災害情報の収集・問い合わせ対策、地域への情報伝達、報道機関との情報連携、防災関係機関同士の情報連携、地域コミュニティ・意識啓発など<br /> <b>今後の取り組み:</b>地域や住民からの災害情報の収集システムの構築、情報の共有化に向けて、住民に対する情報伝達手段の整備、地域コミュニティの活用、日常における防災意識啓発<br /> | 2000年東海豪雨災害における災害情報の伝達と住民の対応 | saigairep055.pdf | youyaku055.pdf |
| 56 | 2001年BSE(狂牛病)の社会的影響と対策 | 2003-03-01 | 災害調査以外 | 東京三区 大阪1区2市 | 関谷直也、大西勝也、廣井脩 | 災害時の住民対応の現地調査 | アンケート(東京三区、大阪1区) | 狂牛病 | 狂牛病アンケート調査票 | <b>① 災害の概要</b><br /> 2001年9月10日、日本ではじめて狂牛病に感染した牛が確認された。その後、さまざまな要因から牛肉の消費が落ち込み、10月30日、東京都食肉事業共同組合理事会は、全組合員に一律10万円の災害見舞金を支給した。「小売店は何一つ悪いことをしていない。(狂牛病による牛肉離れは)まさに災害と呼ぶにふさわしい」として、理事会は約9億円の特別積立金を取り崩したのである。狂牛病は世界がが初めて経験する食品由来の生物災害といってよい。<br /> <b>② 調査の内容:</b>20歳以上の男女、面接調査法、住民基本台帳より二段無作為抽出、平成14年3月、有効回収数622(抽出800、有効回収率78%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>狂牛病とは何か:</b>「狂牛病」とは、正式名称を「牛海綿状脳症(BSE)」という。BSEにかかった牛の危険部位から異常プリオンタンパク質を食べることによって、「新型クロイツフェルトヤコブ病」に感染すると言われている。<br /> <b>BSEの疑いのある牛の発見と肉骨粉問題:</b>9月10日、日本で初めてBSEの疑いのある牛が確認された。10月11日、擬陽性の牛が見つかり、牛肉の流通停止・回収を指示した。牛の由来の追跡が不可能だったため、市場流通がストップしてしまった。行政間の連絡体制の不備が露呈した。いままで問題になっていなかった、全頭検査の情報公開の方法が問題化した。全頭検査前の国産牛肉の買い取り制度を悪用した雪印食品や日本ハムの牛肉偽装事件をきっかけに、食品の原産地、成分などの偽装表示に問題がうつっていく。<br /> <b>行政・業界・報道の対応:</b>日本はリスク管理が不十分でその認識も甘かった。日本の畜産行政は、農林水産省、厚生労働省の二重の管轄下におかれ、混乱が生じた。<br /> <b>BSE 問題における「風評被害」:</b>輸入肉への性急な切り替えの過剰反応が、国産は危ないという主観的評価や評判を生み、その対応が報道各社を刺激し、その結果必要以上に牛肉消費を落ち込ませたといえる。10月18日の全頭検査開始以前は、すべての牛肉が安全であるとは言い切れないのだから、「安全であるにも関わらず消費者が買い控えている」という文脈で、風評被害という言葉を使うのはおかしい。風評被害の要因として、一部マスコミの過剰報道あるいはセンセーショナリズムがあげられる。<br /> <b>BSEに対する消費者の意識と変化:</b>BSEの問題が起こる前に、BSEについて知っていた人は34%であった。牛肉を食べる回数はBSE 発見以前は、週に1~2 回食べていた人が51%だったのに対して、9月以降は28%と半分近くに減った。6割近い人は外国産牛肉を食べていない。「国産牛も外国産牛も安全ではないと思う」と答えた人が47%、「国産牛も外国産牛も安全だと思う」という回答の14%。<br /> <b>BSE 対策への意見:</b>消費者は、BSE が社会問題になったもっとも大きな理由として、政府の対策の不備をあげており、「政府の狂牛病対策が十分でなかったから」80%、「マスコミが大げさに騒ぎ立てたから」11%、「生産農家が家畜の餌として肉骨粉を使ったから」8%であった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>安全な畜産物生産と消費者対応の構築:</b>今年9月10日に農林水産省生産局は、「BSE発生後1年の総括と今後の課題について」をまとめ、「BSE の発生の経緯について」では2001年9月以降5頭のBSE牛が確認されたこと、「価格・需給の状況」では牛価について持ち直して横ばいに推移していることが記されている。国は肥育農家に対して「BSE対応肉用牛肥育経営特別対策事業」「肉用牛肥育経営安定事業」によって補てん金を出し、食肉関連業者対しては1,056 億円の融資をしている。牛の「個体識別(トレーサビリティ)にかかる状況」では、このトレーサビリティは「食品がいつ、どこで、どのように生産・流通されたかなどについて消費者が把握できる仕組み」と定義されているが、そのためには消費者自身も、「安全な牛肉」を見分けられる知識が必要になるだろう。<br /> | 2001年BSE(狂牛病)の社会的影響と対策 | saigairep056.pdf | youyaku056.pdf |
| 57 | 集中講座報告「災害放送担当者のための集中講座」 | 2003-03-01 | 災害調査以外 | - | 廣井 脩、中村信郎、関谷直也 | 講習会テキスト | | 災害一般 | 災害関連法一覧表、災害対策基本法・大規模地震対策特別措置法・気象業務法など抜粋要約、日本災害年表、気象庁震度階級解説表、警戒宣言までの流れ(解説情報と観測情報)、阪神大震災 ラジオ初期放送 | <b>① テキストの内容</b><br /> <b>講座1 災害情報概論:</b>昭和53年にできた大規模地震対策特別措置法により地震予知にもとづく防災対策が進められているが、もし判定会招集・警戒宣言となったら放送はいかなる情報を流すべきか、昭和58年の日本海中部地震、平成7年の阪神・淡路大震災など実際の災害で放送はいかなる役割を果たしたかに関心を持ってきた。東海地震対策も新しい局面に来ている。また、地震調査研究推進本部から活断層の長期評価など新しい情報が次々に発表されている。このような転換期に放送はいったどうあるべきなのか。<br /> <b>講座2 地震の予知と予測:</b>誤解を招くような報道がなされないよう、後予知と前予知の決定的な違い、国の3機関の役割(地震調査委員会、判定会、地震予知連絡会)、確率評価の意味(余震の評価、海域の地震の評価、活断層の長期評価)、東海地震をとりまく現況(想定東海地震、次の南海・東南海地震)について解説。<br /> <b>講座2 災害行政とメディア:</b>防災対策にとって、情報は緊急時のすべての行動の基礎となる非常に重要な要素であり、一般の方々は報道から情報を得て、それに基づき自分の行動判断をする場合がほとんどであるため、災害時等のメディアの役割は極めて大きいものがあります。しかし、状況を的確に伝えるための情報が、逆に社会の諸状況を作ってしまうおそれもあります。如何に等身大の情報を一般国民に消化できる形で伝えられるか、その時防災機関はどのように情報提供すべきかなど、防災行政機関の率直な悩みや、進もうとしている方向などについて話す。<br /> <b>講座4 災害放送史-災害放送は「報道」と「防災」の課題にどう応えてきたか-:</b>1962年から今日までの関東地区総世帯視聴率の上位は、台風や大雪など災害関連の情報です。室戸台風(1934年)から阪神大震災(1995年)に至るまで、数々の災害に放送のメディアがどう対応したのか、どんな評価を得どんな教訓と課題を残したのか、それは以後の災害報道にどう生かされたのか。災害放送が人々の期待と信頼に応えるためにはどんな放送を目指すべきかを、考えてみます。<br /> <b>講座4 取材される側と災害放送-阪神淡路大震災の経験と教訓を踏まえて-:</b>人類史上初めてといわれる、都市機能が集中した大都市直下の阪神・淡路大震災は、私たちに多くの教訓をもたらした。誤った安全神話に惑わされ、地域の住民も、行政も、メディアも・・・突然の大地震に不備な状況での対応を迫られた。大震災における行政の対応の反省点を体験の中から整理した。災害報道対応での実践に基づき、取材される側から見た大震災時のマス・メディア活動の課題を取材手法、報道内容の点から整理したうえで、初動期、応急対応期、復旧期、平時における報道機関、報道記者に対する期待を述べる。<br /> <b>講座6 分科会1 テレビ災害放送:</b>テレビ報道の最大の武器は「速報性」と「映像」といわれます。災害報道においても、一定の成果を出してきました。しかし、テレビの災害報道の最大の足かせは「災害が起きても、1日24時間は変わらない」ことです。災害報道において、「迅速でわかりやすい被害報道」と同時にテレビに求められるのは「被災地の命と生活を守るための情報提供」です。でも、「1日24時間」である以上、「被害報道」と「命と生活を守るための報道」を、限られた時間のなかで、「バランス良く」交互にOAするしかありません。<br /> <b>講座6 分科会2 ラジオ災害放送:</b>198 年の長崎最豪雨水害のとき地元ラジオ局は、期せずして地元被災住民の災害情報ニーズに応えて行った結果、地元住民から「ラジオが神様に思えた」と感謝された。災害時の地元放送局は、地元住民から自分たちが必要とする情報、安心する情報、地元住民のための放送を期待されている。これは阪神大震災でも実証されたことである。災害放送には、大別して二つの立場がある。報道機関として被害報道に重点を置く立場と、防災機関として安心報道を重視する立場である。阪神大震災では地元放送局はテレビもラジオも防災機関に徹することを求められた。こうした災害時の地元住民の要請に応え、何をすべきか。<br /> | 集中講座報告「災害放送担当者のための集中講座」 | saigairep057.pdf | youyaku057.pdf |
| 58 | 2003年5月宮城県沖の地震等における住民の行動に関する調査 | 2004-03-01 | 地震 | 仙台市、大船渡市 | 田中淳、中村功、宇田川真之、関谷直也、馬越直子、廣井脩 | 住民対応の調査 | アンケート<br />(仙台市、大船渡市) | 地震。2003年5月宮城県沖 | アンケート調査票(調査実施地域別単純集計結果) | <b>① 災害の概要</b><br /> 2003年5月26日、宮城県沖の地下約72kmを震源とする、マグニチュード7.1の地震が発生した。宮城県石巻市、岩手県大船渡市・江刺市などで震度6弱が観測された。死者・行方不明者はなく負傷者は174名であった。全壊2棟、半壊21棟、一部損壊2,404棟と、震度や最大加速度のわりには被害が少なかった。このほか、目立った被害としては、JR東北新幹線(1971年着工、大宮―盛岡間は1982年開業)の高架橋で被害がみられた。合計6箇所23本の高架橋の橋脚で被害が報告されている。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 本調査では、仙台市と大船渡市から津波危険地域を選定し、調査方法は面接法とし、抽出方法は対象地域の住民基本台帳から無作為抽出を行った。調査対象数は仙台市500、大船渡市500サンプル、合計1,000サンプルである。有効回収数は810サンプル、有効回収率は81%であった。調査実施期間は、地震から4ヶ月経過した9月25日から10月5日まである。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>地震時に居た場所と帰宅問題: </b>今回の地震の発生が夕方6時半頃で自宅にいた人が多く、また、自宅以外にいた人も帰宅手段は自家用車やバイクが大半であり帰宅に大きな問題はなかった。<br /> <b>地震直後の行動:</b>地震で揺れがおさまるまでの間にとった行動は、「じっと様子を見ていた」人が最も多い。「火の始末をした」や「戸や窓を開けた」、など防災行動も比較的多くとられている。<br /> <b>発表震度と揺れ:</b>被害と比べて住民は強い揺れと感じたようで、仙台と大船渡の市民はともに7割以上の人が「揺れのわりに被害が小さかったと思う」と回答している。<br /> <b>地震直後の情報ニーズ:</b>地震の発生直後は、全体的に見て、被害に関する情報、安否に関する情報、行動指示情報へのニーズも高かったが、それ以上に、地震の震源や規模、余震の状況、そして津波の有無など、地震についての情報を求める人が多かった。<br /> <b>疎通状況: </b>今回の地震で住民が最も困ったことの一つは、電話や携帯電話が使えないことであった。今回の地震による施設面の被害は軽微であり、障害の主な原因は通信量増加による輻輳であった。災害時に携帯電話音声が最もつながりにくく、ついで携帯メール・固定電話の疎通が悪く、公衆電話は比較的通じる。<br /> <b>災害用伝言ダイヤル:</b>今回の調査において、災害用伝言ダイヤルを利用したかどうかたずねたところ、利用した人は、仙台市で3.3%、大船渡市で1.0%、全体で2.1%と少数にとどまった。<br /> <b>宮城県沖地震の認知: </b>宮城県沖地震が切迫していると感じている人は両地域ともに高く、「非常に切迫している」と感じている人は2割強、「切迫している」と感じている人は55%に達する。<br /> <b>長期確率評価情報の認知: </b>「宮城県沖地震がこの30年以内に起きる確率は98%」と2001年に発表したが、「今回の地震が起こる前から知っていた」人は仙台市では55%いた。<br /> <b>長期確率評価情報への意見:</b>長期確率評価情報については、確率表現はわかりにくいという批判があるが、住民はこの情報をさほど否定的には受け取っていないのである。<br /> <b>津波対応: </b>5月26日の地震発生時に、約3割の人が津波の危険性のある場所にいたが、多くの人は自分のいた場所が津波の危険がある場所であり、かつ、被害をもたらすような津波が発生するだろうと認識していたにもかかわらず避難しなかった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>長期確率評価情報ならびに地震体験と地震対策の実施:</b>5月の地震を体験し長期確率評価の情報を知って、4割程度の人がなんらかの地震対策をとった。全般には宮城県沖地震に備えての地震対策は押し上げられ、これをいかに維持し、向上していくかが、次の課題となる。<br /> <b>今後の津波対策::</b>津波危険地域の住民は、大きな地震がおこったら、自分の判断で高台や高いビルにすぐ避難することの徹底が必要である。また、地震後1分以内に、マスコミや市町村が津波への警戒を強く呼びかけることが必要であり、防災行政無線から津波への警戒の呼びかけを自動放送するような地域防災計画を改定も検討されるべきである。<br /> | 2003年5月宮城県沖の地震等における住民の行動に関する調査 | saigairep058.pdf | youyaku058.pdf |
| 59 | 2003年7月「宮城県北部を震源とする地震」における住民の対応と災害情報の伝達 | 2004-03-01 | 地震 | 宮城県南郷町、矢本町、鳴瀬町 | 廣井脩、中村功、中森広道、中村信郎 | 住民対応の調査 | アンケート、宮城県南郷町、矢本町、鳴瀬町 | 地震。2003年7月宮城県北部 | 気象庁震度階級関連解説表<br />放送局へのヒアリング結果<br />2003年7月宮城県北部地震のアンケート調査 | <b>① 災害の概要</b><br /> 2003年7月26日宮城県北部を震源とし、午前0時にM5.5、午前7時にM6.2、午後5時にM5.6と、1日に3回連続して起こった。揺れの割には比較的軽微だったという意見もあるが、負傷者が700人弱、全壊家屋も1200棟を超えており、けっして小さいものではなかった。<br /> <b>② 調査の内容:</b>調査対象地域:宮城県南郷町、矢本町、鳴瀬町、調査対象者:世帯主、調査方法:調査員配布・郵送返送法、対象者の抽出:エリアサンプリング法、配布数:800サンプル、有効回収数:550、調査期間:平成15年9月5日~平成15年9月28日<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>被害と気象庁震度階級の適合:</b>気象庁の「震度階級関連解説表」が、今回の地震における人間行動や被害状況をどのくらい的確に反映しているかを調査した。<br /> <b>住民の行動:</b>2度目の地震(本震)では「ほとんど動けなかった」という人が46%と最も多かった。地震の後、前震では10.2%、本震では27.5%の人が家から他の場所へ避難していた。<br /> <b>通信行動:</b>今回の地震で困ったこととして住民が最も多くあげたのは「電話が使えなかった」であった。固定電話が「全く利用できなかった」人が46.3%、携帯電話の音声がつながらなかった人は36.3%であった。<br /> <b>情報ニーズと放送への評価:</b>本震直後に情報ニーズは、「今後の余震の可能性やその規模」(86.1%)でもっとも高く、「今回の地震についての震源地や規模などの情報」(68.6%)、「自分の住む地域にどんな被害が起こっているかについての情報」(60.9%)、「道路、通信、電気、ガス、水道が大丈夫かといった情報」(52.5%)の順だった。<br /> <b>余震情報への態度:</b>本震直後の午前9時に発表された余震情報は70.9%の人が知っていたが、「最大震度6弱の発生する確率は10%未満」について51.7%の人が発生確率は低いと感じた。<br /> <b>地震の連続と地震対策:</b>5月の地震を体験して40.1%の人がまた大きな地震がくると考えていたが、将来の地震に備えて何らかの防災対策を行った住民は3割(31.9%)にとどまっており、地震で対策が飛躍的に進んだとはいえない。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>自治体の対応と課題:</b>南郷町では屋外拡声器型の同報無線があり、地震直後職員の招集や住民への知らせに活用している。鳴瀬町でも屋外拡声器型の同報無線があり、同様な活用を行っている。矢本町だけに戸別同報があり、「お知らせ」的な細かい情報も流せたようである。深刻だったのは、各町ともマスコミの取材被害であった。マスコミからの電話の殺到で、役場の電話がふさがれ、町民や外部の職員からの電話がつながらなくなるとか、マスコミ対応に役場の人的資源がさかれてしまうなどの点が問題となった。一方、町側としても、地震直後のクリティカルな時期に、町がまず何をなすべきかの優先順位をつける必要がある。<br /> <b>放送局の対応と課題:</b>災害放送として、被害の全容を伝えることが中心になり、被害情報から生活情報という放送パターンにならなかった。人口100万を超える仙台市を主なサービスエリアとする放送局にとっては、限られた被災地のニーズを集中的に取り上げていくのは難しかったようである。また、取材のあり方も問われ、自治体の緊急活動を阻害しないように取材をする必要がある。<br /> | 2003年7月「宮城県北部を震源とする地震」における住民の対応と災害情報の伝達 | saigairep059.pdf | youyaku059.pdf |
| 60 | 富士火山の活動の総合的研究と情報の高度化(噴火による社会経済的影響に関する調査研究 火山情報と避難のあり方の研究 その1) | 2004-03-01 | 火山 | 山梨、静岡、神奈川、東京都の企業・主要ライフライン企業・行政 | 廣井脩、中村功、田中敦、関谷直也、木村拓郎、馬越直子、宇田川真之、中森広道 | 噴火による社会経済的影響に関する調査 | アンケート(山梨県、静岡県、神奈川県、東京都の企業・行政) | 火山噴火 | 聞取り用調査票 | <b>① 災害の概要</b><br /> 富士山はこれまで平成12年末から、低周波地震が多発するようになった。ただちに噴火する兆候は見出されていないが、その活動状況を正確に把握し情報を適確に発信する体制を整備する必要がある。大学などの研究機関や内閣府防災部門において、富士山噴火を想定したハザードマップの策定、富士山噴火時の防災対策の策定が進められている。<br /> <b>② 調査の内容:</b>山梨県・静岡県・神奈川県・東京都の企業・主要ライフライン企業・行政、聞き取り調査、理論的サンプリング、対象75組織、実施37組織、実施率49%<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>【降灰地域の物流・交通面への社会的影響】:</b><br /> <b>一次的影響(物理的被害):</b>交通・国内物流(故障車による渋滞、高速道などの通行止、鉄道の運行停止、バスの運行停止、空路の遮断)、国際物流(空路の遮断)<br /> <b>二次的影響(波及的被害):</b>交通・国内物流(迂回路の渋滞)<br /> <b>【降灰地域の物流・交通以外への社会的影響(物流・交通による波及的被害含)】:</b><br /> <b>一次的影響(物理的被害):</b>人的被害(富士周辺地、降灰除去の問題)、農業(地上露出作物の被害、降灰による土壌変化)<br /> <b>二次的影響(波及的被害):</b>農業(風評被害、離農)、通信(通信輻輳)、医療(医薬品・患者の輸送手段の欠如)、産業(供給・原材料遮断、労働力欠如)<br /> <b>【降灰地域以外の人々への影響】</b><br /> <b>二次的影響(波及的被害):</b>交通障害・物流麻痔、企業活動の障害、生活物資の全国的不足(国内・国際)、輸出輸入手段の限定<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・富士山が噴火した場合の宝永噴火規模の「降灰被害」だけを想定したものであり、それ以外の現象(土石流、溶岩流、火砕流など)があった場合はさらに大きい被害になると予想される。本研究で示唆される重要なことは、降灰による被害だけを想定しても、甚大な被害を受ける可能性があり、それは、富士山周辺の局地的な災害というよりも、全国的な社会経済的被害になる可能性が高いということである。<br /> ・今後の課題としては、「物流・交通面で、中央道、東名道、首都高、新幹線および降灰域の鉄道、首都圏鉄道、国内・国際線航空路が遮断された場合に生じる社会経済的影響の検討」、「想定した一次被害、二次被害の予測項目が安当なものであるかの検討」、「取引業者の持つ供給不安によって受ける製造業の被害、消費者の旅行取りやめなどによって受ける観光業の被害についての詳細な検討」、「④降灰処理をどのような方法で行うのか、またそれが可能なのかの検討」などが、政策科学的に重要になると考えられる。<br /> ・本報告は、聞取調査を元にした想定シナリオの中間報告であり、今後、企業に対する調査票調査、サーベイ研究、降灰被害を経験した地域の関係機関の聞き取り調査、防災関係専門家に対する有識者調査を行い、これらにより批判・検討を重ね、想定シナリオなどを精緻化していくことが必要である。<br /> ・なお本研究では、個別具体的な影響は各企業、行政、ライフラインの実務家への聞取りをもとに議論が進められたが、降灰の下水施設に与える影響一内水氾濫、河川の氾濫の想定(降灰後、降雨があった場合排水面でどのような状況が想定されるか)、河川底に溜まる降灰量の推定(溢水の可能性の推定)、火山灰による無線通信、電波への影響、火山灰による水質への影響、火山灰による屋外精密機械・自動車機械への影響、火山灰によるボイラー・燃焼系統への影響(飛行模エンジンには影響を与えるので)、山灰による室内への流入状況、屋内精密機械への影響、<br /> などの影響に関しては、今後の検討項目である。<br /> | 富士火山の活動の総合的研究と情報の高度化(噴火による社会経済的影響に関する調査研究 火山情報と避難のあり方の研究 その1) | saigairep060.pdf | youyaku060.pdf |
| 61 | 富士噴火の社会的影響:火山灰被害の影響についての富士山周辺製造業郵送調査 | 2005-01-01 | 火山 | 神奈川、山梨、静岡に本社・事業所を構える製造業の防災管理者 | 関谷直也、廣井脩 | 企業調査 | アンケート | 噴火 | アンケート調査票 | <b>① 災害の概要</b><br /> 平成12 年10 月から12 月、平成13 年4 月から5 月に富士山周辺で低周波地震が観測された。そして、これは富士山の噴火活動と関連性があることが火山関係学者によって指摘された。<br /> <b>② 調査の内容:</b>比例配分無作為抽出による郵送自記式質問紙調査、神奈川・山梨・静岡県下に本社・事業所を構える製造業の防災管理者、回収票数768社(回収率38%)、2003年2月<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>富士山噴火への関心、富士山関連情報の認知:</b>「関心がある」と答えた企業は8割近くになる。「低周波地震と火山活動の関連性(78%)」「ハザードマップの作成(65%)」「避難訓練(56%)」の順に認知度が高かった。<br /> <b>企業の富士山噴火対策の現状と積極度:</b>約半数の企業が、避難訓練への参加要請があった場合参加意志がある、と答えている(45%)。8割以上の企業が、富士山噴火を想定した防災マニュアルを作成する意図がある。富士山噴火を想定した防災マニュアルがある1.5%、防災マニュアルを作成する予定がある19%であった。富士山噴火関係の情報を得ている企業ほど、富士山噴火対策に積極的である。資本金規模が大きいほど富士山噴火対策に積極的であり、また従業員規模が大きいほど富士山噴火対策に積極的である。風評不安がある企業ほど、富士山噴火対策に関して積極的である。元々防災対策に積極的な企業ほど、富士山噴火対策に積極的である。<br /> <b>富士山噴火対策の促進・阻害要因:</b>防災担当者が富士山噴火に関連する社会事象を認知している企業ほど、富士山噴火防災対策に積極的である。富士山噴火によって自社に風評への不安を考える企業ほど、富士山噴火防災対策に積極的である。<br /> <b>富士山噴火の企業活動への影響:</b>クリーンルームが製造工程で重要な工場においては、「富士山噴火による大量の降灰」でこれがが機能しない場合は、生産活動はストップする。自動車が使用できない場合は、従業員が出社できない場合も考えられる。従業員が仮に出勤できたとしても、従業員が通常業務で使用するさまざまな交通手段が利用できない場合が考えられる。その場合は、商品の入荷・出荷や打ち合わせ・営業活動に多大な影響を与えると思われる。<br /> <b>生産への影響:</b>医療用ソフトカプセル製造業者が、富士市、富士宮市地域で全国の8割程度を生産しているので、多大な影響があると考えられる。また、大手医薬品等製造Y 社が位置するので、抗癌剤などある種の特定医薬品の供給ができなくなる可能性がある。静岡県下には、再生古紙を利用したトイレットペーパーは富士市だけで全国シェア65%を占めている。これらが製造不能、出荷が難しくなる可能性がある。ある大手、複写機メーカーの感光体、トナーの生産拠点が神奈川県西部にあり、コピー機の消耗品が不足する可能性もある。ある大手フィルムメーカーのフィルム製造拠点が位置しており、医療用フィルム、カメラ用フィルムが不足する可能性がある。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>短期的な影響:</b>従業員が出勤できないことにより生産活動の停滞、原材料の入荷先企業の休業、交通マヒによる入荷不能、入荷遅延、在庫不足、製造商品の出荷先企業の休業、交通マヒによる出荷不能、出荷遅延、降灰の直接的影響として、クリーンルーム、そのほか生産ラインの機能不全、品質低下や商品への灰・ちりの混入をさけるため生産・製造ラインの自主的判断による停止。<br /> <b>中長期的な影響:</b>受注生産の場合、そもそも発注されない可能性がある。発注企業側のリスク回避のため、発注数減、もしくは、発注自体がなされない可能性がある。住宅関連商品、生活必需品以外の商品など災害の長期化により、需要が冷え込み、そもそも受注されない可能性がある。<br /> <b>長期的な影響:</b>発注企業の海外や他地域のメーカーへの受注シフト。カンバン方式、長期的取引慣行の崩壊による企業活動の停滞、停止(中小企業の場合)。・製造拠点の変更(大企業の場合)。<br /> | 富士山噴火の社会的影響:火山灰被害の影響についての富士山周辺製造業郵送調査―富士山噴火対策研究:噴火による社会経済的影響に関する調査研究 その2― | saigairep061.pdf | youyaku061.pdf |
| 62 | 2003年7月水俣市土石流災害における災害情報の伝達と住民の対応 | 2005-01-01 | 土砂災害 | 熊本県水俣市宝川内 | 池谷浩、國友優、中森広道、関谷直也、中村功、宇田川真之、廣井脩 | 災害の住民対応の現地調査 | アンケート<br />(熊本県水俣市宝川内) | 土石流 | アンケート調査票、住民ヒアリング調査 | <b>① 災害の概要</b><br /> 平成15年7月九州の広い範囲で集中豪雨に見舞われた。この豪雨により、7月19日には福岡県太宰府市で、7月20日には熊本県水俣市で土石流災害が発生した。福岡県太宰府市では、死者1名、住宅の全半壊20棟。熊本県水俣市では、死者15名、住宅の全半壊15棟の被害が生じている。<br /> <b>② 調査の内容:</b>宝川内集地区(被災地域)、宝川内 丸石・新屋敷・本屋敷地区、20歳以上の男女、エリアサンプリング、平成15年12月、訪問面接法および留置法、回答数・回収率:集地区76.5%(62票)丸石・新屋敷・本屋敷地区67.6%(94票)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>2003年7月20日の行政の対応:</b>水俣市の第1号配備体制を構築が完了するまでに、約2時間30分程度を要した。市民からの情報を受ける準備はできていたものの、市役所雨量計以外の降雨状況の調査、地域振興局、警察、消防本部の連携は、ほとんどできていなかった。午前4時前頃から市民からの災害情報が増加し、総務班はその対応に多忙な状態であった。調査対策班は、夜の明けきらない内は非常に危険であったため、庁内に待機していた。<br /> <b>災害対処活動の概要:</b>午前5時に対策本部が設置され、水俣警察署への協力要請、知事に対する自衛隊派遣要請が行われ、市内全域を対象に避難勧告が発令された。最後に土石流災害現場で15体目の遺体が発見されるまでの1週間余りで延べ8,990人による捜索が行われた。この間、多方面からの捜索協力が得られている。<br /> <b>災害後に見直された体制:</b>初動体制の迅速な立ち上げを図るため、第1号配置の見直しを実施した。宝川内集地区および深川新屋敷地区の被災地に土石流監視システムが稼動した。消防本部、警察署、県地域振興局との情報交換については、迅速かつ的確な対応ができるよう見直した。<br /> <b>水俣市土石流災害における住民の対応:</b>被害を受けていないのはわずか21%にすぎなかった。警報を聴取したかどうかについては、集地区で82%が、また、丸石、新屋敷、本屋敷地区(他地区)では68%の人が聞いていない。警報を聞いた集地区の6人は、家族から3人、集落の人から1人、テレビから1人、インターネットで見た1人であった。土石流発生前、「ずっと寝ずに起きていた」集地区で41%、他地区で21%だった。また、「目を覚まして起きていた」、集地区で37%、他地区で69%だった。集地区で「土石流が起きたときは眠っていた」14%、他地区で「ずっと寝ていた」という人は7%であった。ほとんどの人が、「雨や雷や河川の音で起こされた」と答えている。災害が起こった夜、集地区では、約半数の46%が、「川や崖の様子を見に外へ出た」(他地区では22%)。災害当夜「洪水が起きる」と思った人は、集地区で36%、他地区で35%だった。「がけ崩れが起こる」と思った人は、集地区で40%、他地区で51%だった。土石流が発生したとき、「自宅から避難していた」集地区で26%、他地区で21%、「1階から2階へ避難していた」集地区で10%、他地区で4%であり、「避難していなかった」、集地区で57%、他地区で67%である。<br /> <b>災害発生前の災害に対する意識と対応:</b>家族や家財が被害にあうような災害経験のない住民が多かった。災害の危険があるときに「サイレンが鳴ることを知っていた」人は37%であったのに対し、「知らなかった」人が40%であった。「防災無線を知っていた」人が57%、半数以上の人が防災無線の存在を知っていた。集地区の住民に、集川が土石流危険渓流であったこと「知っていた」人と「知らなかった」人がほぼ半々であり充分に周知されていなかった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・ 土石流危険渓流沿いの住民に、土石流のことを徹底的に周知させる活動が求められる。<br /> ・ 行政側が避難勧告を出す場合には、避難対象地域を指定するだけでなく、安全な避難場所も指定することが重要である。<br /> ・ 住民側としても、自主避難のときに備えて、安全な避難場所もよく知っている必要がある。<br /> | 2003年7月水俣市土石流災害における災害情報の伝達と住民の対応 | saigairep062.pdf | youyaku062.pdf |
| 63 | 自治体における火山噴火対策の現状 | 2005-01-01 | 火山 | 活火山周辺の150自治体の災害対策担当者 | 中村 功、福田 充、廣井 脩 | 自治体対応の調査 | アンケート(活火山周辺の150自治体の災害対策担当者) | 火山噴火。 | アンケート調査票 | <b>① 災害の概要</b><br /> 一般的な火山噴火による火砕流、溶岩流、噴石、火山灰、火山ガスなどにより多様な災害<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 火山周辺自治体を対象に火山防災対策と火山情報に関するアンケート調査を実施した。調査は2003 年12 月から2004 年1月にかけて、自記式郵送法でおこなった。活火山周辺の150 自治体(市町村、都道府県、都道支庁)の災害対策担当者に調査票を送付し、回収率は62%であった。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>火山防災体制:</b>多くの自治体の防災担当者は兼任職である。約半数の自治体が専門の部署で防災計画を作成しており、過半数が2000 年以降に防災計画を改訂されている。防災計画の原案は約7割の自治体が、過去の地域防災計画を元に自治体内部だけで作成している。火山周辺の複数の自治体間で64.5%の自治体に協議会組織がある。約半数の自治体が観測データなどの情報を定期的に関係機関からもらっている。また、4割程度の自治体は異常があったときに相談できる専門家がおり、2割程度の自治体では防災会議のメンバーに火山専門家をおいていた。<br /> <b>火山情報の伝達:</b>ほぼ半分の自治体で、火山情報と「職員の非常参集の基準」が連動している。多くの自治体が使っている住民への連絡手段は、広報車と防災無線およびその組み合わせである。これらに加えて、警察・消防・自治体等による戸別訪問での口頭伝達、ホームページによる広報、ヘリコプターによる広報、ラジオ・コミュニティFM による放送などの連絡手段をとる自治体もある。緊急時に住民がアクセスできる電話番号などを、火山防災マップ、ホームページ、地域防災計画等の刊行物などに載せている。夜間の通報に関しては「役所の宿直が受ける」か「消防で受ける」体制となっている。<br /> <b>避難体制:</b>約半数の自治体は風水害と同じ避難場所を指定していた。約3割の自治体が近隣の自治体と避難協力協定を結んでいた。噴火直後の対策(噴火時の交通規制箇所、住民の避難経路を指定・公表、避難用のバスや船などを用意、自家用車の使用規制など)講じている自治体は2割以下であった。約半数の自治体が避難所の設置計画をもっており、約3割が長期化した場合の仮設住宅の建設計画持っている。<br /> <b>日常の広報体制:</b>広報には火山ハザードマップ(自治体の48.4%)、広報誌(39.8%)、自治体のホームページ(30.1%)、火山防災パンフレット(21.5%)の他、3割弱の自治体で街頭や登山口に看板、掲示板などを設置している。約4割(39.8% )の自治体で火山防災訓練をしており、また、3割強(34.4%)の自治体で講演会などのイベントを行っているが住民参加率は低いところが多い。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> ・ 自治体の枠を超えた協力体制と近隣市町村との協定等が必要である。<br /> ・ 火山噴火は場所・形態に応じた多様なシナリオ設定ごとに多様な対策を想定する必要がある。<br /> ・ 登山者等に対する周知方法、外国人観光客のために看板の設置など住民への情報伝達手段の充実が必要である。<br /> ・ 自家用車やバス等の交通機関を計画的に利用する避難計画を事前に検討することが必要である。長期避難となった場合の仮設住宅供給計画の策定が必要である。自治体の枠を超えた広範囲にわたる避難所確保、災害弱者の避難計画、入院患者の転送体制の確保、地域を超えた住民避難による安否情報の確認などについて対策が必要である。<br /> ・ 現在の地域防災計画には火山防災対策の記載がない自治体や火山に対する対策をとっていない自治体があるが、新しい想定に基づく防災計画の改訂が必要ある。<br /> ・ 各自治体は国や都道府県に対し、防災対策財源の確保・補助金の拡大、都道府県主導の災害対策、国立公園内での火山対策、火山対策広報の強化、情報伝達システムの構築、の他ハード面の支援、などの要望を持っている。<br /> | 自治体における火山噴火対策の現状 | saigairep063.pdf | youyaku063.pdf |
| 64 | 自治体における津波防災対策の現状 情報学研究 調査報告編新 | 2004-10-01 | 津波 | - | 廣井脩、中村功、中森広道、福田充 | 自治体の現状調査 | 郵送調査 | 津波 | アンケート調査票 | <b>① 災害の概要</b><br /> 予想される東海地震、東南海・南海地震、および北海道・東北地方による津波。<br /> <b>② 調査の内容</b><br /> 津波の危険性のある420の自治体を対象、郵送調査、平成16年4月、回答数・回収数307 (73%)<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>自治体の防災体制::</b>全体の88%の自治体が地震防災対策の中で、津波被害を想定した対策を行っている。専任の防災担当者がいる自治体は31%、兼任であるが、防災業務の割合が高い自治体が33%、兼任であって、防災業務の割合が低い自治体が30%と、ちょうど約3割ずつ分布している。東海地震強化地域では100%の自治体がこれまで津波を経験していない。また、東南海・南海地震の推進地域の自治体も、東南海・南海地震推進地域と東海地震強化地域の両方に指定されている自治体も、津波を経験した自治体は1割に満たない。それ以外の沿岸自治体の28%が津波によって災害対策本部を設置した経験を持っている。「津波防災対策の章がある」自治体が67%で、これが一般的な形であることがわかる。全自治体の59%が「過去の地域防災計画を元に、自治体職員のみで作成している」。<br /> <b>津波警報と避難に関する対策:</b>津波警報が発表された場合「幹部職員と防災担当職員が非常参集する」自治体が48%、「全職員が非常参集する」自治体が26%、「幹部職員が非常参集する」自治体が21%となっている。幹部職員への伝達手段は88%の自治体が一般加入電話を用いる体制になっている。一方、携帯電話を使用する割合も75%と高く、ポケベルを使用する割合は7%。津波への注意呼びかけは「自治体の広報車」が60%と多く、続いて「防災行政無線」59%と過半数を超えている。津波の避難実施計画は「全ての地域について決めている」自治体が30%、「いくつかの地域について決めている」自治体が17%と低く、避難実施計画が決まっていない自治体が全体で50%ある。災害時要援護者の避難施設は15%とまだ2割に達していない。<br /> <b>津波対策の訓練・研修:</b>津波防災訓練の平均参加者数は全体で874人、住民の19%程度が参加していた。津波防災訓練の実施頻度は1年に1回以上訓練を行う自治体が約5割程度、2~3年に1回程度行う自治体が8%、ほとんどしていない自治体が34%ある。自治体職員に対し過半数の56%が研修を「したことはない」と答えている。自治体職員訓練を「定期的にしている」は33%、「したことがある」が23%、「したことはない」が35%ある。<br /> <b>津波ハザードマップ:</b>23%の自治体で津波ハザードマップがあった。現在作成中の自治体が13%あったものの、残りの6割以上の自治体では作成の計画もない状況であった。マップ作成済みの自治体の27%が更新していた。更新したら配布するという自治体はマップを作成している自治体の60%であった。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>地域指定と津波経験:</b>津波対策はまだまだ十分とはいえない。避難計画の策定、警報と避難勧告の連動、津波避難場所の別指定など、各種の津波対策を行っていない自治体も多かった。<br /> <b>自治体が考える問題点:</b>津波対策の基本となる被害想定やハザードマップの策定ができていないこと、浸水予想、被害予想に基づく計画の策定がないことなどが全体の問題点といえる。各種の津波対策の阻害要因としては、地域の津波経験のなさ、市町村合併などがあげられていた。<br /> <b>都道府県・国への要望:</b>災害関係の補助金(補助率の増大・補助対象の拡大)の要請な切実である。自治体が具体的に要望する補助の対象は、防潮堤や避難タワーの建設、避難路の整備といった土木工事のほか、防災無線設備の更新や既存自主防災組織の機材整備などのメンテナンス事業もあった。特に北海道地域では、ハザードマップに対する要請が多い。ハザードマップは、国または都道府県などが被害予測と基本マップを作成し、それを市町村が印刷して配布するのが望ましいといえる。さらに、専門職員の派遣、指導など、人的支援の要請がある。市町村など自治体の津波防災対策を推進するには、国が法律や制度を作ったり、都道府県が条例を作るだけでなく、資金面、データ・知識面、人材面での、国および都道府県のバックアップが不可欠といえる。<br /> | 自治体における津波防災対策の現状 | saigairep064.pdf | youyaku064.pdf |
| 65 | 2003年十勝沖地震における津波避難行動 | 2005-03-01 | 地震 | 北海道沿岸8市町 | 廣井 脩、中村功、福田充、中森広道、関谷直也、三上俊治、宇田川真之、松尾一郎、 | 津波非難行動の住民聞き取り調査 | 聞き取り調査 | 津波 | アンケート調査表、厚岸町床潭地区住民聞き取り(抜粋) 、補論 津波警報について | <b>① 災害の概要</b><br /> 2003年9月26日、十勝沖の深さ25km を震源として、マグニチュード8.0の地震が発生し、北海道の太平洋岸の9町で震度6弱の揺れを記録し、3~4メートルの津波が発生した。行方不明2名、負傷者849名の被害が生じ、全壊116 棟、半壊368 棟、一部損壊1580 棟の家屋被害が生じた。<br /> <b>② 調査の内容:</b>津波警報が出た北海道沿岸8市町の住民2500人を対象にアンケート調査を行い、全体像を把握し、その後、特徴的な3地区を抽出し、住民に聞き取り調査を行った。<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>住民の避難行動及びその要因となる条件:</b>避難した人の割合は全体で55%、住民の避難開始までは平均14分、避難完了までは平均50分もかかっており、全体としては迅速な避難とはいえない。<br /> <b>避難した人と、しなかった人を分けた要因:</b>その場所にとどまると危険度が高いと認識すること、および近くに安全な避難場所があることといった2変数が、最も避難を促進する要因である。津波警報の認知は、津波警報が出る前に、すでに避難した人が多かったため大きな要因ではない。<br /> <b>避難の迅速性に対する影響要因:</b>津波が来る不安がある、避難の切迫性がある、居た場所の危険度の認識が高い、年齢が30代-40代、守りたいものはないなどがあった。一方、避難の迅速性に対して抑制的な相関をもつ要因として、警報後の避難で間に合うと思う、津波の怖さを実感できない、通帳・印鑑を守りたいなどがあった。<br /> <b>厚岸町床潭地区:</b>避難を促進するもっとも大きな要因は「地震時にいた場所が津波に対して危険である」という認識であった。津波経験が避難の決定的な要因ではなかった。避難のスピードをアップさせたのは、奥尻島の記憶であった。アンケート調査ではっきりしなかったのが、避難勧告の効果であった。地震があるたびに決まった場所に迅速に避難する彼らには、津波警報や避難勧告はほとんど関係がなかった。その一方で、過去に津波の経験がない人には行政の避難の呼びかけや、周りの人の避難する様子が、避難を促進した。<br /> <b>静内町・海岸町地区:</b>地震を契機とした避難というより、避難の呼びかけやテレビの津波警報の認知による避難が多い、情報を待っていたため避難までの時間が遅かった世帯が多い、多くの住民が6時前という早い時間に戻ってきている、声を掛け合って逃げている世帯が多い、避難行動が緩慢である、津波を全く経験していない地域ではあるが、「津波経験」や「津波経験の伝聞」が非常に避難行動の大きな促進要因・阻害要因になっている、などが特徴である<br /> <b>豊頃町大津地区:</b>発生時刻が早朝であったため、住民の多くは自宅で就寝中であった。地震によって目を覚ました住民の大半は、すぐに津波を予想し自らの判断で、大津地区内の指定避難所であるコミュニティセンタ―に避難したか、あるいは大津地区外の高台に避難した。これに対し、津波を予想せず避難もしなかった住民は、ごくわずかであった。漁業関係者の多くは、地震発生時には既に海上で作業にあたっていた。漁船のうち、港から遠く離れていた釣り船は、津波がおさまるまで沖合で待機した。これに対し、地震時には港の近くにいた定置網の漁船の大半は急ぎ港へ戻った。また、地震時にまだ港内にいた釣り船は、地震後に「沖出し」を行った。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 避難を促進するためにはいまいる場所が危険であるということを納得させることが鍵となり、シミュレーションに基づいたより現実的なハザードマップを作成する必要がある。<br /> その危険度を徹底的に住民に周知することである。ダイレクトメールを送ったり、危険箇所に立て看板を立てたり、道路などを危険度によって色付するなどの工夫が考えられる。<br /> 危険度の特に高い場所に住む住民には、相談会のようなものを開催し、個別に危険性を納得してもらうことが重要であろう。<br /> かつて津波の襲った場所あるいはその近傍に記念碑や立て看板などを建てるなどして住民にアピールし、地域の経験を生かす努力も重要である。<br /> | 2003年十勝沖地震における津波避難行動―住民聞き取り調査を中心に- | saigairep065.pdf | youyaku065.pdf |
| 66 | 2004年7月新潟・福島豪雨水害における住民行動と災害情報の伝達 | 2004-10-01 | 水害 | 三条市、見附市、中之島町 | 廣井脩、中村功、田中淳、中森広道、福田充、関谷直也、森岡千穂 | 豪雨水害における住民行動と情報伝達 | アンケート調査 | 豪雨水害 | アンケート調査票 | <b>① 災害の概要</b><br /> 2004年7月12日新潟県中部から福島県にかけて記録的な集中豪雨となった。信濃川水系の5河川の11箇所が決壊して洪水となり、土砂崩れも発生した。死者16名、ケガ4名、家屋の全壊70棟、半壊5354棟、一部破損94棟等の被害をもたらした。<br /> <b>② 調査の内容:</b>個別面接聴取法、三条市、見附市、中之島町、20歳以上の男女、サンプル数900有効回答数639、回収率71%、平成16年10月<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>決壊前の対応:</b>河川決壊前に警報を認知していた住民は全体で約3割であり、約7割の住民が知らなかった。この警報を認知した3割の住民のほとんどは、独自にテレビやラジオなどのメディアからこの警報を知った。水害によって自宅が被害を受けるという不安がなかった住民が6割いる一方、水害の被害を受ける不安を感じていた住民は4割であった。住民が、水害に備えて行った行動で55%の人が何も行っていないことがわかる<br /> <b>避難勧告の認知:</b>三条市では13日午前10時、11時目11時半に非難勧告を発令し13時に川が決壊している。見附市では11時に発令し、14時半に川が決壊している。中之島町では川が越水した12時半に発令され、13時に水害が発生している。避難勧告が発令された昼頃、全体の69%が自宅にいたが、全く聞いていない住民が全体で61%いた。<br /> <b>避難:</b>災害当日に避難した人は、三条市で23%、見附市で18%、中之島町で35%だった。避難したきっかけは、中之島町では「避難勧告を聞いたから」(45%)が多かった。一方、三条市では「自宅が浸水する危険を感じたから」(35%)という人が多く、「避難勧告を聞いたから」という人は3.3%と圧倒的に少ない。10 分程度で比較的すばやく避難した人が多い一方で、避難するまでかなりの時間を要した人もいる。多くの人が乗用車を使って避難し、水につかりながら歩いて避難した人が多かった。「突然水がおそってきて、避難する余裕がなかった」という人が非常に多く、避難しなかった人のうち、三条市では30%、中之島町では41%に達していた。<br /> <b>情報:</b>全体では「越水や堤防の結果情報」が56%と最も多く、次いで「川の水位の情報」が46%、「浸水に関する情報」が44%、「災害予測情報」が41%、「避難勧告や避難指示」が36%の順で、被害や被害の要因となる現象や避難に必要な情報が上位を占めた。<br /> <b>通信:</b>固定電話を利用しようとした468人のうち、32%の人が停電や水没で使えなくなっていた。電話は、41%の人が機械的には使えたがつながりにくかったと回答し、いつものように使えたと回答した人は26%であった。携帯電話やメールは、水没や停電で使えなかった人はそれそれぞれ11%、17%と少ない。逆にパソコンメールは73%が停電で使えなかったと回答している。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> <b>通信:</b>災害用伝言ダイヤル、災害用伝言板利用などのサービスの知名度の低さと利用率の低さが題であるといえる。これらの促進のためには、マスコミは、より早く、より頻繁に、より広範囲にこれらのサービスを告知することが望まれる。<br /> <b>共助の実態と可能性:</b>住民避難の共助には、住民同士の顔の見える付き合いを活性化していく必要がある。要援護者が集中している地域では、要援護者を把握しておき、日頃から介護に従事している福祉関係者や消防団によって避難させる体制の整備が急がれる。<br /> <b>行政施策への要望:</b>被災者の行政に対する特徴的なニーズとして、避難の意思決定を行う契機となる情報を早く確実に伝達すること、ダム・河川改修による洪水防止効果とその限界を周知しておくこと、水害時に安全な避難所を確保すること、および浸水危険のある学校施設から児童を適切に避難させること、生活支援の査定基準を明確化し、住宅の改築補修費を費目として認めること、災害弱者対策における共助の限界を、公助で補うこと、の5点をあげることができる。<br /> | 2004年7月新潟・福島豪雨水害における住民行動と災害情報の伝達 | saigairep066.pdf | youyaku066.pdf |
| 67 | 災害時における携帯メディアの問題点 | 2005-03-01 | 災害調査以外 | 新潟・福島水害、台風23号、中越地震 | 中村功、廣井脩、三上俊治、田中淳、中森広道、福田充、関谷直也 | 災害時における携帯メディアに関する調査 | アンケート(関東圏携帯電話利用者) | 地震、水害、噴火等 | | <b>① 災害の概要</b><br /> 一般災害時には、どのような情報ニーズ(通信ニーズ)があり、各種のメディア(固定電話網、無線、テレビ・ラジオ、携帯電静等)はどのように伝えているのか、そこにはどのような問題があるのか、についてはこれまで起きた大災害をケースに検討を行う。<br /> <b>② 調査の内容:</b>800人、年齢12歳以上、関東圏50地点(層化2段無作為抽出)、訪問面接法、回収数621、回収率77%、2005年3月<br /> <b>③ 主な結果</b><br /> <b>「災害時の情報ニーズに関する文献整理」:</b>発災前後の情報で重要なものは、避難のための情報(発災前の警報や避難勧告など)、助ける(助かる)ための情報(発災直後の被害情報や医療情報など)、安心するための情報(安否情報など)がある。<br /> <b>「新潟・福島水害と情報伝達の問題」:</b>情報メディアの欠如から避難勧告が伝達されず避難が遅れた。情報が強制的に伝わる、プッシュ型の情報伝達手段の重要性が指摘された。また高齢者の犠牲者が多く、災害時要援護者への情報伝達や救出方法についての課題も明らかになった。<br /> <b>「2004年台風23号による水害と情報伝達の問題」:</b>同報無線が整備され、避難勧告や避難指示が6割以上の住民に伝達された。当日の避難率も3割と高かったが、逃げ遅れた人も多かった。住民にどのように危機意識を持ってもらうかが次の課題である。また水害時には多くの国定電話が水没したために、携帯電話の役割がより重要になったほか、多くの被災者が、避難勧告等を市役所から携帯メールに強制的に送信するなどのシステムへの期待を持っていた。<br /> <b>「中越地震と情報伝達の問題」:</b>固定電話や携帯電話が激しく輻輳し、安否情報の伝達に支障が出ていた。また停電のためパソコンのインターネットも使えなかったが、そうした中で、携帯メールは最もつながりやすく、災害時に有効であることがわかった。<br /> <b>「災害医療システムにおける通信の役割」:</b>患者搬送先の決定に必要な連絡が携帯電話に大きく依存している実態が明らかになった。その一方でインターネットを使った広域災害救急医療情報システムは導入されていない消防本部が多く、導入されていてもほとんど本格的な稼働がなされていなかった。モバイルメディアが基幹メディアになっているが、災害時に輻輳など大きな問題が発生する。<br /> <b>「インターネット網の脆弱性」:</b>インターネット網には、電源設備の脆弱性、回線・設備の集中、事故対応の難しさ、などの問題があることが明らかになった。<br /> <b>「災害用伝言サービスの活用」:</b>安否の問い合わせが多かったこと、被災者に利用のきっかけがなかったこと、システム的には機能していたこと、携帯電話を駆使できる若い人にとっては使い勝手には問題はなかったこと、などが明らかになった。<br /> <b>「携帯メディア利用調査」:</b>携帯電話またはPHSの利用率72%、携帯メールの利用率は57%、携帯ウェブの利用率37%であった。携帯電話の操作能力について携帯ウェブの利用で低めになっているが、メールの受発信、アドレス帳の登録、写真撮影などは「できる」とする利用者が多かった。一方、伝言ダイヤルを知っている人は50%、iモード災害用伝言板は31%と知っている人が多かったにもかかわらず、その使い方はわからない、という人が多かった。<br /> <b>「携帯電話を使った新防災システムについて」:</b>災害時の携帯メディアの可能性について、携帯メールを使った119番通報システム、緊急地廣速報の伝達、携帯メールによる防災情報の配信、について検討した。<br /> <b>④ 提言・結論</b><br /> 本調査研究における検討を通じて、災害時のモバイルメディア運用の実態が明らかになり、現在においては、災害時にモバイルメディアが大変重要な責任を担うメディアになったこと、しかし輻輳を中心とする問題があることなどがわかった。様々なハード面の工夫がされ、輻輳などの問題に対しても成果が上がりつつはあるものの、それらの成果の利用面ではなお問題があり、さらに新たなハード上の試みが必要であることなどがわかった。<br /> | 災害時における携帯メディアの問題点 | saigairep067.pdf | youyaku067.pdf |
| 68 | 日本人の安全観 | 2005-03-01 | 災害調査以外 | 静岡県、長野県、茨城県、埼玉県、熊本県、東京都 | 中村功、関谷直也、中森弘道、森康俊、鈴木敏正、仲田誠、福田充 | 日本人の安全観に関する調査 | アンケート(静岡県、長野県、茨城県、埼玉県、熊本県、東京都、) | 地震、原子力発電所事故、公害・環境問題、食品問題 | フォーカスグループインタビュー結果、アンケート調査結果、報告書概要 | <b>①災害の概要</b><br /> 大地震、原子力発電所事故、公害・環境問題、食品汚染などの人間の生命・健康に関わるリスクに関する情報伝達は、迅速且つ正確でなければならず、関連する情報の公開性・透明性も確保されていなければならない。しかし、そのような情報伝達が行われたとしても、これらのリスクに対する人々の評価が適正になされるとは限らない。日本人の安全観を解剖し、現代生活における主要な安全問題への心理的意味を把握し、有効なリスク・コミュニケーションのあり方を探る必要がある。<br /> <b>②調査の内容</b><br /> <b>「日本人の安全観」に関する社会心理学的調査:</b>調査対象者:住民基本台帳により抽出した各地域20歳以上の男女600名(静岡県、長野県、茨城県、埼玉県、熊本県、東京都)、調査方法:訪問面接調査法、調査期間:平成15年3月1日~14日、平成16年1月31日~2月14日、平成17年1月8日~19日(東京都)<br /> <b>「日本人の安全観」に関する社会心理史的調査研究:</b>調査対象者:朝日新聞、毎日新聞、調査方法:新聞からの関連記事の収集・分析、調査期間:平成15年3月、平成15年11月~平成16年2月、平成16年5月~平成17年3月<br /> <b>「日本人の安全観」に関するインタビュー:</b>東京都在住の子持ち主婦、子持ちの企業務め男性、抱く新女性、独身男性からそれぞれ6名で4グループ形成、グループインタビュー<br /> <b>③主な結果</b><br /> <b>日本人の安全観:</b>日本人の安全や安心を構成する要素には、1)科学的安全性、2)安全性への知識、3)安心・不安感情、がある。不安感情を強める要因として、多層に積み重なる安全観の存在が認識された。専門家でない人々の安全への認識や安心・不安感情を考えるには、科学的安全性以外の要素が重要となるが、それは、1)報道・情報に影響を受けやすい不安の存在、2)災害観と呼ばれる考え方・概念が事故や環境汚染にも関係すること、3)感情的な安全認識の存在、が示唆されている。<br /> <b>報道の分析:</b>安全に関する認識以外に「信頼」に関することについても抽出された。a)信頼を取り戻すのは大変である。b)安全性を主張していても不信感が増すだけである。c)政府は原子力の必要性、経済性を強調しすぎている。d)信頼感の熟成には情報公開が必要である。e)国民との理解・対話による信頼感の熟成が必要だ。f)地道な努力が必要である。<br /> 原子力の安全:</b>原子力のイメージは多様であるが、中でも「事故の危険性」が多く挙げられている。最も多く不安感情を説明しているのは、「安全性については誰の言うことも信じられない」「国が人体に安全だといってもそれは信用できない」など、安全そのものへの不信感、安全に携わる人間への不信感である。「科学的安全性」を問題にしているのではなく、「安全は絶対にない」「人間に絶対は無い」「安全に携わる人への不信感」を問題にしている。<br /> <b>④提言・結論</b><br /> ・ 安全を伝えることが必要とされている時ほど、安全は伝わりにくいという「リスクコミュニケーションのパラドックス」がある。<br /> ・ 「科学」「技術」の問題というよりも「人間」の問題である。人々は「安全対策は当然するべきだと思うが、だからといって安心できるものではない」と考えている。<br /> ・ 安全観から考える「原子力広報」:安全を積極的に広報しない。安全の伝え方を工夫する。人間は「科学的安全性」ではなく、「粛々とした安全対策」「人間としてのあり方」によって「安全」だと判断するので、「信頼」を高める必要がある。<br /> | 日本人の安全観 | saigairep068.pdf | youyaku068.pdf |