関東大震災当時の警察活動と首都直下地震に際しての警察活動

特集:これからの東京の地震対策


東京大学生産技術研究所 客員教授
伊藤哲朗
2023年6月1日

 
  

  1. 関東大震災当時の警察活動
     大正12 年の関東大震災は、全焼、全半壊家屋50 万戸以上、死者、行方不明者10 万人以上となる大災害となった。警視庁では、震災発生後直ちに臨時警戒本部を組織し、警察官の非常招集を行い非常時任務の遂行に当たった。また同時に、警視総監の権限に基づき、近衛師団に出兵を要求、
    災害応急対策に従事せしめた。警視庁が行った主な応急対策の一つが罹災者の救護であるが、震災の罹災者は東京だけで190 万人以上に及び、関東一円では340 万人以上を数えた。
     救護措置の一つは傷病者の救護であった。当時、衛生部局及び消防部局は警視庁の一部局であったため、警視庁の衛生部員をもって救護班を編成、各被災地方面に分散出動して現場での傷病者の応急措置を行うとともに傷病者を警視庁の臨時収容施設に収容したが、その数は約5 千人に上った。
     また、罹災者の食糧、水の確保が急務であったため、各警察署に食料の収集及び炊き出しと配給を指示し、軍隊から釡等の資材を借り受けて警察官が炊き出し等を行った。皇居前広場及び日比谷公園地区だけでも約30万人の罹災者があふれていたが、この水、食料の配給により人心の安定が
    図られたという。特に、水の配給は困難を極め、板橋方面で水を確保した上、酒樽に水を入れて貨物自動車で給水を行なった。
     警察がこの時、特に苦労したものの一つは、罹災者の人心不安が引き起こす流言飛語であった。特に「社会主義者や朝鮮人が放火している。」、「朝鮮人等は機会に乗じて暴動を起こし、毒物を井戸水に入れることを企てている。」、「朝鮮人が襲撃してくる。」などは、人心に大きな不安と憤激を与え、市民の動揺は、警戒警備上大きな障害となった。市民が、根も葉もない流言飛語に惑わされて自警団を組織するなどして、憤激した勢いのままに市民を殺傷したほか、警察に反抗するなどの行動に出るものが多数に上った。このため、警視庁は、朝鮮人の保護及び流言と自警団の取り締まりを管轄下の警察署に命じるとともに軍隊とともに昼夜の警戒に当たった。
     この時、警視庁は、9 月5 日までに6 千人以上の朝鮮人を各警察署等に保護したほか、過激な自警団を取り締まり、殺人45 件161 名、傷害16 件85 名を検挙した。このため、自警団の暴力行為も収束し、自警団の活動も本来の罹災者の救護活動に移った。流言飛語の発生の原因の一つは、新聞等の報道機関の機能停止やラジオ放送がまだなかったことも大きかった。
     一方、政府は、応急対策として発災翌日の2 日、緊急閣議を開催し「臨時震災救護事務局」を設置して罹災者の救援、救護の措置を講じるとともに帝国憲法第8 条に基づく緊急勅令で「非常徴発令」を発出、被害者の救済に必要な食糧、建築材料、衛生材料、運搬用具等の徴発を行った。ま
    た、同日、東京府下及び神奈川県下に、次いで4 日には埼玉、千葉県下に戒厳令が実施されたため、警察は戒厳司令部と協議、協力を行い、警戒警備、罹災者、傷病者の救護に当たった。
     震災に伴う火災や交通機関の途絶は、生活必需品の極端な不足となって現れ、特に食料品の不足は深刻なものとなる一方、買い占めや売り惜しみが行われ、品物によっては50 倍もの値で売られるものも出てくるようになった。このため政府は、9 月7 日、緊急勅令「生活必需品ニ関スル暴
    利取締ノ件」を公布、即日施行し、警察は、市民の通報を得てその取り締まりに当たった。この勅令に違反して暴利をむさぼった者は、3 年以下の懲役という比較的重刑であったため、買い占め、売り惜しみや暴利行為は収束していった。
     こうした警察活動に当たった警察には、全国から応援警察官が派遣され、北は樺太、西は近畿地区から応援に駆け付けた。
     しかし、こうした警察の活動も、昼夜を忘れ、身を顧みぬ警察職員の献身的な活動なしには成し遂げられなかった。災害救助活動に際し、職に殉じた警察職員は、本所、深川、浅草方面を中心に警察署長以下94 名の多きに達したのであった。
  2. 首都直下地震に際しての警察活動
     警察では、来るべき首都直下地震に備え、様々な態様の災害想定とこれに対する警察の対応について計画を策定している。警視庁では大規模災害応急対策プランを計画してその実施と訓練に努めているほか各県警察でも同様のプランを策定して実施と訓練に努めている。これらのプランは、首
    都直下地震に限られたものではなく、あらゆる大規模災害に備えたものとなっている。なぜなら、危機の態様は異なっても、様々な大規模災害の危機管理対策には共通のものがあり、共通する基本的な対策を構築し、これを反復訓練することが様々な災害に対応できるための共通プランとなるか
    らである。
     首都直下地震への対応については、関東大震災当時と現代では社会のインフラをはじめ様々な状況が異なっている。関東大震災で大きな被害を出した火災については、コンクリート造りの家屋が増加したものの、依然、耐震性が低く燃えやすい木造建築やその密集地が数多くみられる。また、燃料タンクをはじめ可燃性物質が大量に集積した箇所が各地に散在している。
     また、首都圏一極集中に伴う人口の増加や当時は少なかった各種インフラの発達は、これらが被災することに伴う各種の被害が、新たに発生することが予想されている。地震による家屋倒壊は免れたとしても、ライフラインや交通機関の途絶による生活の困難や、道路の寸断による物資供給の
    途絶、高層ビルをはじめ多数のビルにおけるエレベーター内への閉じ込め、オフィス街や繁華街での帰宅困難者の発生、医療機関、介護・看護施設などでの機能低下や供給物資の不足による入院患者や入所者の生命の危険は、救護活動上大きな問題となることが予想されている。
     警視庁をはじめ関東各県警察では、発災後、直ちに災害応急対策が行われるが、同時に全国の警察から応援部隊の救援を求めることとなる、また、自衛隊も、全国から陸、海、空の各自衛隊合計約10 万人の応援を得て災害救助活動に従事することとなる。また、消防、医療、インフラ復旧のた
    めの各種要員も全国から参集する。救援物資の輸送も大量に上ることが予想される。警察が行う活動は多岐にわたるが、まず初期段階では、罹災者の救出、救助等の救護活動があげられる。これらは消防、自衛隊、医療機関とともに行われる。また、罹災者や帰宅困難者の避難、誘導と避難施設への収容も直ちに必要となる。さらに、応援要員、救援物資輸送のための緊急車両
    の通行路の確保も当初から直ちに必要である。緊急輸送路がなく、渋滞により緊急活動に支障をきたした阪神・淡路大震災のような状況の発生は、発災当初から予想され、迅速な対応が求められる。
     遺体の収容、検視、身元確認、遺族の支援なども必要である。さらに、混乱した各地の治安維持のためのパトロールや災害に乗じて行われる不法行為の検挙も必要である。売り惜しみや暴利行為の取り締まりも重要になろう。
     また、関東大震災の時に経験した流言飛語は、放送インフラやインターネットの発達した現在でも依然課題となる。SNS を通じたデマの拡散や、不安の拡大が再び行われる可能性が高い。こうした流言飛語をなくすためには、信頼できる情報源の確立が必要である。
     これらの活動は、警察のみならず関係機関相互の協力のもとに行われる必要がある。政府では、首都直下における大規模地震に際しては政府に緊急災害対策本部が設置される。警察は、各自治体の災害対策本部や総理官邸の危機管理センターとの連携の下、救急救命活動、罹災者の救助活動、
    重症者の広域搬送、応援要員や緊急救援物資輸送のための緊急輸送路の確保、治安維持等の活動を同時並行的に行っていかねばならない。
     応急対策の時期を過ぎ、事態がいったん落ち着いた後でも行方不明者の捜索、被災者の支援、生活相談、緊急輸送路の確保等の活動は続く。また、復旧、復興事業に際しても反社会的集団の介入の排除などの活動も重要となる。
     上記のように首都直下地震発生時の警察をはじめ各行政機関の活動は、多岐かつ長期間にわたることとなるが、これらの活動は、たとえ全国からかなりの応援を得られたとしても、その活動があまりに膨大な範囲にわたり、従事できる人員も限られているため、決して罹災者の要求を満たすだ
    けの活動はできないものとみられる。災害に当たっては、公助、共助、自助が重要と言われるが、大規模な首都直下地震にあっては、公助を最大限行ったとしても、その活動には限界があり、自助そして共助のための活動の準備こそが、今、求められているのである。