防災先進国キューバ

特集:海外に学ぶ防災

東洋大学理工学部 都市環境デザイン学科准教授 及川康
2018年6月1日

 経済的には決して恵まれているとは言えないキューバが、何故に防災先進国と呼ばれているのか。その背景や実状について少しでも理解を得ておくことは、“防災研究者”なるものの端くれとしては決して無駄ではないはずだ、というのが訪問に際しての問題意識であった。
 日本では毎年住民が避難しないことが問題視される。「情報待ち」や「行政依存」などといった表現に代表されるように、防災に対する住民の「主体性の欠如」が繰り返し指摘され、それを如何に克服するかが防災研究の主要な課題のひとつとされてきたように思う。この「行政依存体質を改め、主体的な住民であれ」という方向性は、「受動的態度を改め、能動的であれ」という評価軸、すなわち、【される】か【する】かの対立軸として換言することも出来そうである。同時に、そのような対立軸は、防災の行為者の意志(=責任)の所在を尋問するようなものでもある。最終的な責任は個に帰するという個人主義的な発想は、資本主義的と言っても差し支えないかもしれない。
 そして、その個人主義を貫徹する先に位置づけられるのが「アメリカ型防災」なのだと思う。歴代最強クラスのハリケーン・イルマが昨秋、カリブ海で発生し、キューバはもとより米国も被害を受けた。イルマがフロリダ半島を直撃するとの進路予測が発表され、米国フロリダ州政府は非常事態宣言し、約380万人の州民に避難命令を発令した。しかし、実際の避難者数は、それを遥かに上回る約650万人にも及んだ。対象エリアの外側の約270万人もの住民が自主的に主体的に判断して避難したのである。日本ではあり得ない。「自分の身は自分で守る(すなわち、【する】の徹底)」という米国人の主体性に基づく意志の強さを感じる。【する】ではなく【される】を求める風潮が根強い日本のそれとは対照的である。
 一方、同じくハリケーン・イルマが襲来したキューバでは、地域社会そのものが一体となって整然と避難した。キューバでは、被害が予測される事態になると、気象観測機関が早期から対象住民に丁寧な情報を伝え、避難所が開設される。避難所には、潤沢な食料や水、医薬品が配備され、医師や看護師、またペット同伴のための獣医師まで派遣される。できるだけ日常生活を損なわず、避難しやすいような環境づくりが行われている。というより、むしろ普段の生活レベルに比べて遥かに快適な環境が避難所にて提供されるケースも少なくないという。老人や妊婦、子どもや障害者を優先避難させ、移動には国営バスが提供される。避難後は、軍が警備を行うなど、アフターケアも徹底している。もちろん、自主防災組織も住民の避難支援を行う。平時からの防災教育やコミュニティ単位での主体的な避難訓練も抜かりはない。こうして、ハリケーン襲来時には、危険な地域に住民は全く存在しなくなるという。これでは、犠牲者など生じようがないではないか。防災先進国と呼ばれる所以はここにある。
 キューバ政府は、人民の安全を守るためのあらゆる手立てを徹底的に真剣に考え抜いて実行している。そこにおいて、日本の“防災研究者”の端くれが思いつきそうなアイデアごときは全て、既にとっくに検討され尽くされていると言っても過言ではない。そんな真剣な政府を信頼して依存することの、いったいどこが悪いというのか。資本主義的発想に基づく「行政依存vs主体性」という評価軸を無理矢理あてはめるならば、確かにキューバ国民は「行政依存」的状態とも言えなくもない。しかし彼らは同時に極めて「主体的」でもある。いや、もはやこのような評価軸を適用すること自体がナンセンスなのかもしれない。政府と人民は共に最善を尽くしており、その間には強固な信頼に裏打ちされた一体感が存在する。そこにおいては、防災の責任の所在を問うこと自体、虚しくも感じられる。【する】だけでも【される】だけでもない、そんな「お互い様」の雰囲気の在り様は、図らずも、能動態でも受動態でもない第三の態「中動態」の栄衰の歴史にも重なる。あるいはそれは、やはり社会主義国ならではのものなのか。
 インタビューに協力してくれた50歳手前のタクシー運転手は、「最近は変わってきてね。」と嘆く。近年の規制緩和や米国との国交回復を契機に、資本主義が大量に流入し始めている。その影響下で、この「お互い様」の雰囲気は、首都ハバナ近郊、とりわけ若年層を中心に急速に薄れ始めているという。
「国は、国民に最高の保証とサービスを提供する義務がある」とするキューバと、「国民は、最低限の生活が保障される」とする日本とでは、「国情が違う」と言ってしまえば、それまでなのかもしれない。しかし、少なくとも、いわゆる“防災研究”において自明とされてきた価値観や評価軸のようなものを、いまいちど徹底的に疑ってみることの大切さを、このたびの訪問であらためて突き付けられたような気がする。併せて、「日本の行政と住民は双方とも本当に真剣に防災に最善を尽くしているのか?」と厳しく問われているようにも感じられた。