東京の大規模水害は予測できるか?浸水予測からわかること

特集:カスリーン台風から何を学び、どう評価するのか

早稲田大学 理工学術院 教授 関根正人
2017年9月1日

 気象の極端化が進み、気温だけでなく日本周辺の海水温も高い状態が続いている。今後、過剰な水蒸気の供給により、これまでにない巨大台風が首都圏を直撃したり、東京の上空に線状降水帯が居座り続けたりすることが懸念される。2015年の鬼怒川の堤防決壊に伴う浸水被害を含め近年の豪雨被害はいずれも自然豊かな流域で発生している。 2000年の「東海豪雨」を除けば、大都市での深刻な浸水被害は発生していない。しかし、いざ発生するとその被害は桁違いとなる。
東京で起こる大規模浸水を可能な限り正確に予測し、その情報を事前にお知らせできるようにする。これを目指して研究を進めてきた。大都市はすべて人の手により設計され創られた空間であり、道路・下水道・都市河川などのインフラや土地利用状況についての情報はすべて我々の手元にある。このため、これらを入力し力学原理に基づいて丁寧に計算すれば、都市浸水が予測できないはずはない。この思いが研究室の学生たちの日々の地道な活動の後押しで実を結び、昨年度末に予測手法が完成した。あわせてその予測精度が十分であることを検証することもできた。
 これを使った数値計算を行うと、東京都23区でどのような規模の浸水がどのように広がっていくのかを精緻に知ることができる。たとえば、渋谷のスクランブル交差点、溜池や日比谷の交差点など浸水の危険性が高い地点が具体的にわかったほか、その地下に広がる地下街・地下鉄駅に向かってどの連絡口から水が流入しやすいかについても明らかになる。特に、道路が鉄道の下をくぐる「アンダーパス部」や地下空間には注意が必要であり、万一これらが水没するような事態になると多数の人命が危険にさらされる。事前に計算をしておくことにより起こりうる浸水の危険を把握して日頃から準備をしておき、豪雨時に適切な対応をとれば被害は最小化できるはずである。
 ところで、東京で発生する豪雨被害はこの程度のもので済むと考えていて大丈夫でしょうか?これまで数値シミュレーションを通じて検討を続けてきた研究者としては、やはりいつかもっと深刻な事態になるのではないかと危惧している。東京で発生する最悪のシナリオは、荒川の右岸堤防が決壊して、都心の低地が水没するほどの大規模浸水となる場合である。最近、耳にすることのある「首都水没」ということもできる。都心部の人口密度は極めて高く、地表の高低差が小さいこともあって、住民が容易に避難できるとは思われない。数万あるいはそれ以上の人が被災者となり、その多くが命の危険にさらされることになる。また、人が創り出した空間であるがゆえに、容易には想像のつかない複雑な浸水拡大プロセスとなることがわかってきた。たとえば、隅田川と荒川に挟まれた「江東デルタ」が被災地となる場合、氾濫水が旧中川などの内部河川に流れ込み、短時間のうちに南西に向かって伝搬し、小名木川などの河川護岸を越えた水が街に流れ出す。また、下水道内では高圧力での水の流れとなり、決壊地点よりかなり離れた地点まで速やかに到達して、その水が地上に吹き出すこともある。気がついたら周囲に水が迫っていた、ということになるのである。以前、内閣府中央防災会議により公表された「首都圏水没」のシナリオと比較すると、そのプロセスはかなり複雑なものとなる一方で、浸水の規模はむしろ面積・浸水深共に小さくなるとの結果が得られている。住民の浸水に対する認識がさらに高まり、正しい情報に基づいて避難行動をとることができれば、当時想定されたものより被害を小さくできるのではないか。
  前述の鬼怒川堤防決壊による大規模浸水時の教訓から、浸水ハザードマップの作成・公表を急ぐ傾向にある。これ自体は正しい方向と言えるが、その計算精度についての議論は十分でなく、少し軽く扱われているように思えてならない。住民の命に直結する情報は、速報性よりも信頼性が重要である。たとえば、この情報を信じて避難した住民が、避難先で命を落とすことになってはならない。また、過大なリスクが提示されることにより、膨大な対策費用が必要となること、住民が希望を持てずに避難をあきらめてしまうこともあってはならない。対策の基礎となる科学的根拠は、これをはじき出す研究者や周知する行政がしっかりと責任を負えるものであるべきと考えている。