緊急時の命を守るための説得ー走行中の車内で旅客に適切な行動を促す車内放送に関する研究ー


学際情報学府 博士後期課程(修士課程修了)
福井桃子
2025年9月1日

 
 修士論文では、鉄道車内に刃物を振り回す旅客が現れるなどの緊急時において、いかなる車内放送が旅客に適切な行動を促すかについて、聴取実験での仮説検証を通じて明らかにした。検証した仮説は、車内放送を行う上で車掌が特に留意する「指示の表現」「情報提示順」「協力要請」「語気」に着目し、社会心理学における説得的コミュニケーション研究の理論から導出した以下の4 つであった。

仮説1:端的な表現で指示を出すことが、旅客の適切な行動を促進する
仮説2:他の情報提供に先んじて行動指示を出すことが、旅客の適切な行動を促進する
仮説3:利他性を強調した文言を入れることが、旅客の適切な行動を促進する
仮説4:語気を強く放送することが、旅客の適切な行動を促進する

 聴取実験では、インターネット調査会社の回答モニターを対象に、車掌経験のある筆者による車内放送を模擬した音声を聞かせ、アンケートに回答させた。実験結果は、音声を構成する要素「指示の表現」「情報提示順」「協力要請」「語気」を独立変数とし、アンケートの回答項目を従属変数とし、コンジョイント分析を行った。
 本稿においては、実験結果の一部を紹介する。「他号車への避難」をすると思うかについてのアンケートの結果を図1 に示す。まず、図1 の上部は正の値を示す水準が旅客に適切な行動を促進することを示すグラフである。さらに、図1 中部は実験参加者の回答傾向を示すグラフである。仮説検証においては、仮説で適切な行動を促進するとした水準が正の値を示したと共に、回答傾向が一定であった場合を支持とみなした。加えて、図1 下部は結果の信頼性を示す表である。値が1 に近いほど結果の信頼性が高いとみなされることから、実験結果は信頼性が高いことが示された。
 仮説検証の結果、仮説1 および仮説3 は支持され、仮説2 および仮説4 は不支持であった。本稿においては、不支持であった仮説2 および仮説4 の考察を紹介する。まず仮説2 が不支持であった理由としては、他の情報提供に関する文言が短かったことから、実験参加者は行動指示に関する情報提示順の差異を明確に感じられなかった可能性が考えられた。しかし、車内放送の役割が旅客の行動判断の支援であることを踏まえると、他の情報提供に関する文言は簡潔である必要がある車内放送においては、本実験で設定した以上の情報提示順の差異を実現することは難しい。よって、車内放送の情報提示順には、明確な効果が認められないと考えられるとした。
 続いて、仮説の4 が不支持であった理由としては、語気が強い音声は放送マイクで音割れしない程度の語気の強さで設定し、語気が弱い音声は走行中の車内でも走行音にかき消されない程度の語気の弱さで設定したことで、実験参加者が語気の強弱の差異を明確に感じられなかった可能性が考えられた。しかし、走行中の車内で旅客が明瞭に聞き取れる声量で放送する必要がある車内放送においては、本実験で設定した水準以上の語気の強弱の差異を実現することは難しい。よって、車内放送の語気には明確な効果が認められないと考えられるとした。
 そのため、結論として、緊急時において旅客に適切な行動を促す車内放送とは、最低限の表現で指示を出し、周囲との協力をお願いする車内放送であると述べた。意義としては、説得的コミュニケーション研究の知見を活用し、車内放送という実務場面における効果的な伝え方を実証した点を挙げた。

図:実験結果