ダムの緊急放流と住民避難
特集:シンポジウム「大規模水害と防災気象情報」を振り返って
特任助教
安本真也
2025年6月1日
本講演では、ダムの緊急放流と、その際の住民避難行動に焦点を当て、避難誘導体制の課題と今後の方向性について述べた。特に西日本豪雨時の野村ダムの緊急放流時の住民避難の事例を通じて、緊急放流の実施過程、住民の行動、地域全体で避難に対する規範を高めることの重要性を明らかにした。
ダムは洪水調整、利水、環境保全など複数の目的を担う。だが、局地的な出来事やこれまでにない気象現象が発生しており、そうした降雨への対応が困難になっている。事前放流で水位を下げても降雨が想定を下回れば、渇水の可能性が生じる。一方で、事前放流で水位を下げても降雨が想定を上回れば、ダムの異常洪水時防災操作に移行せざるを得ない場合がある。この操作では、流入量と同量を放流することであり、それに伴って急激な下流域の水位上昇を引き起こす可能性がある。通常、こうした操作に移行する際には3 時間前に予告情報、1時間前に正式通知が行われるが、降雨の変動性が高いため、情報が変更されることが少なくない。令和元年東日本台風の際の城山ダムの事例では、放流の予定が中止された後に再実施され、混乱が生じた。そのため、ダムの洪水調整は非常に難しい。
異常洪水時防災操作に移行した後に人命被害が出た事例はそれほど多くないが、一定の浸水被害は報告されている。したがって、ダムの下流域での避難誘導とリスク認知を高める体制が不可欠である。たとえば、2018 年の西日本豪雨における野村ダム周辺では、過去に例を見ない規模の降雨が局所的に観測された。前日まではそれほどの雨ではなかったが、7 月7 日の深夜から早朝にかけて急激な大雨となり、野村ダムとしての1 時間雨量は既往最大であった。結果、野村ダムは異常洪水時防災操作を実施した。そのとき、西予市の野村ダム下流域の住民では数多くの住民が避難していた。この避難行動の主な契機は、消防団員による個別の声掛けであり、住民の多くが緊急放流や避難指示の情報を彼らから得ていた。地域の消防団は元々、地域内の区画ごとに4 人組で担当を持ち、顔見知りの関係があった。そんな彼らが、ハザードマップが存在しない中でも、強い危機感を持って住民に働きかけたことが積極的な避難行動の要因といえる。ただし、避難の即応性には課題が残る。多くの住民は、自宅が浸水しないと考え、消防団員からの呼びかけにもすぐには動かなかった。ダムの存在が逆に氾濫は起きない、と考えていた人も多くいた。
また、ため池の決壊リスクも考える必要がある。福島県須賀川市の藤沼ダムでは、東北地方太平洋沖地震の揺れに伴い、決壊し、大きな被害が発生した。日本全国には耐震・豪雨耐性評価がなされていないため池が多数存在し、その下流に住む住民の避難方策も整っていない。今後は、局地的な大雨が頻発する中で、ため池に対する避難体制の整備も急務である。
最後に、ダムの緊急放流という極端な事態は頻繁には起きないものの、発生すれば下流域に大きな影響を及ぼす可能性がある。行政と専門家は、このリスクに備えた情報伝達と避難体制を整備する必要がある。また、地域全体で避難行動の規範を共有し、日頃から住民への危機意識の醸成を図ることが重要である。本事例では消防団のような地域に根差した組織による声掛けが、避難率を高めるうえで極めて有効であることが示された。避難の在り方を再考し、住民が災害リスクを主体的に認識して行動できる環境を整えることが、今後の防災において不可欠である。
