ハザードマップを読めているか?
特集:シンポジウム「大規模水害と防災気象情報」を振り返って
客員教授/日本大学危機管理学部 教授
秦康範
2025年6月1日
ハザードマップの理解の実態を通じて、ソフト対策の課題について論じている。内閣府が策定した避難行動判定フローでは、まずハザードマップの確認が起点となっている。しかし、住民の多くが、ハザードマップの内容を正確に理解できていない可能性があることを指摘している。
金井・蟻川・片田(2017)によれば、ハザードマップ配布から3年を経過すると、閲覧率は4 割以下、保管率は3 割以下にまで低下する。自治体の98% が洪水ハザードマップを公表していても、「見たことがない」と答える住民が3 割に達する現状からは、配布するだけでは不十分で、継続的な周知の必要性が指摘できる。2022 年に実施したオンライン調査では、色分けされた浸水深を凡例から正確に読み取れない人が16 ~ 25% 存在し、特に地図に不慣れな層にとっては理解が困難であることが判明した。
さらに、住民がハザードマップからリスクではなく安全情報を読み取ってしまう傾向も指摘された。たとえ浸水想定が3 メートル以上であっても、他の地点よりはましという感覚で安全だと誤認する人が一定数存在すること、リスクの相対評価が災害対応の誤りを誘発する可能性があることが推察された。
土砂災害に関しても、主観的には理解していると答える住民が多数を占める一方で、正確に地形や現象を判別できた人の割合は5 割程度にとどまった。土砂災害特別警戒区域の色分けの理解度はさらに低く、正答率は27 ~ 65% であった。大きなばらつきがあるものの、視覚的に複雑な情報の読み取りが難しいことが実証された。これは山間地域の居住者であっても例外ではなく、地理的な生活経験が理解度に直結していないことも示唆された。
火山災害においては、富士山の統合ハザードマップの理解度は低く、富士山麓住民における正答率は2 割未満から6 割強にとどまっている。とくに複数の災害リスクが重なる地点では、読み取りが極めて困難になる傾向が確認された。国際比較の観点から見ると、地方自治体がハザードマップの作成を担うのは日本だけである(内閣府,2017)。他国では中央政府や専門機関がその役割を担っており、日本のように専門家が不在で予算を十分に持たない基礎自治体が作成主体となる構造に無理があるのではないか。ハザードマップは典型的なソフト対策である。ソフト対策は、住民が正しく理解し、行動に結びつけて初めて効果を発揮する(牛山,2012)。したがって、マップを配布しただけでは不十分であることに留意する必要がある。現行制度では、ほとんど自治体で印刷物によるハザードマップの配布が行われている(法律に「印刷物の配布」と記述されている)。例えば、ある人口7 万人程度の某地方都市では、冊子型マップの作成に2,000 ~ 3,000 万円の費用がかかっている。補助金が使えるとはいえ、自治体のコスト負担は大きい。事業は大手建設コンサルタントが受注しており、地域経済への波及効果も乏しい。筆者は、国がリスク情報をオープンデータとして整備し、自治体が整備している避難所情報などと統合してスマートフォン等で閲覧可能な環境を整備するべきと考える。印刷物を更新するたびに配布する方式から、デジタル更新を基本とする体制への転換が求められる。一方、立地適正化計画と現行のハザード情報との連携も不十分で、浸水想定区域がまちづくりに活用されていない現状がある。住民の防災行動を促すためには、単なる情報提供にとどまらず、情報の理解を促進するための環境整備と、継続的な周知が不可欠である。ソフト対策の要諦は、継続的に地域に関われる専門人材の育成であり、それを可能にする制度設計と予算拡充が求められる。
