日本海側の地震による地盤の側方流動

特集:日本海側の地震津波の被害と教訓 ⑵


元エイト日本技術開発㈱
磯山龍二
2024年9月1日

 1982年6月12日、秋田県から青森県にかけての日本海でM7.2の地震が発生した。昭和58年(1983年)日本海中部地震である。東大生研の久保・片山研(当時)の調査チームに加えていただき地震発生の翌々日から秋田・能代の調査を行った。当時東海大学の浜田政則先生(早稲田大学名誉教授)と一緒に能代市の市街を見て回った。市街地のほぼ全域にわたり液状化が顕著で特に地割れがいたるところに見られ、地盤が大きく動いたのではないかとの疑念を抱いた(図–1)。濱田先生は早速この現象を調査するプロジェクトを立ち上げ、安田進先生(東京電機大学名誉教授)等に著者も加えていただき液状化の状況を調べるとともに測量により地盤の変動の計測を企画した。地上測量ではとらえることができず、地震前後の航空写真を用いた航空写真測量による方法にたどり着いた。地盤が数%程度の緩やかな勾配にそって数m、最大5m程度、おおむね標高に従い系統的に流動していることが判明した1)(図–2)。この変位が埋設管や家屋の被害を顕著なものにしたものと考えられた2)。
 1964年の新潟地震は液状化研究の契機となった地震として知られるが、同じ手法でこの地震の地盤変位を測定した(図–3)。地盤の変位は信濃川の両岸に見られ、河心方向に最大8mに及ぶ変位が発生していることが分かった1)。信濃川にかかる昭和大橋の落橋などはこの変位の影響が大きいことが推察された。新潟地震では地盤が動いているのではないとの指摘もあったようであるが、地震から約20年を経てこれが証明されたことになる。
 これらの測定結果から側方流動のパターンが示され(傾斜地盤、河川護岸裏など)、その変位量の推定式が提案された2)。
 この研究を契機として、新潟地震による新潟市東部の液状化による地盤の側方流動、平成5年(1993年)北海道南西沖地震による北桧山町・後志利別川流域での地盤側方流動の研究などが行われ、わが国はもとより世界中で地盤側方流動に関する研究が行われるようになった。
 令和6年能登半島地震では内灘町、かほく市で液状化に伴う地盤の側方流動が起こった。砂丘の内陸側のおそらく造成した緩やかな傾斜地盤で側方流動、というかやや広範囲な滑りといった現象が起こった。能代市の流動に近いが、一様ではなく、滑りの下端で道路を押し上げたり、内陸側の水路にまで流動が達していたりと様々であった。典型的な例を図–4に示す。
 日本海沿岸は北海道から九州にかけてきれいな砂が分布しており、平野部では液状化の可能性が高く、地形によって側方流動が発生する。今回の能登半島地震では内灘町のほかに新潟市の砂丘際でも同じような流動が発生しており、条件がそろえばこのような流動が発生することに留意すべきであろう。

1)浜田政則,安田進,磯山龍二,恵本克利:液状化による地盤の永久変位の測定と考察,土木学会論文集第376号/Ⅲ–6,1986年12月.2)浜田政則,安田進,磯山龍二,恵本克利:液状化による地盤の永久変位と地震被害に関する研究,土木学会論文集第376号/Ⅲ–6,1986年12月.

図–1 能代市前山付近の地割れ。中央の人物は濱田先生

図–2 能代市の地盤側方流動の計測結果1)(部分)。中央が前山

図–3 新潟市、信濃川にそった地盤側方流動1)(部分)

図–4 2024 年能登半島地震による内灘町の道路の波打ち。右が滑りの上流側、道路の右側が盛り上がっているが、一様ではなく結果として波打っている。