住民は被害想定をどのように活用すればよいのか

特集:被害想定とは何か(後編)


特任助教
安本真也
2024年6月1日

 
 地震の被害想定という情報は住民向けのものではない、そのような言葉をしばしば耳にする。確かに、前号の特集にあったように、被害想定の推定結果には幅があり、想定以外の地震が発生する可能性もある。中々、そうしたことを住民が理解することは難しいため、行政の災害対策の前提として用いればよい、ということである。だが、科学的成果を社会に還元する、というサイエンスコミュニケーションの観点からも情報を住民向けでいかに活用するか、改めて議論が必要であろう。
 津波や雨などといった水害の被害想定は、「ハザードマップ」という形で活用方策、有効性が認められつつある。では、地震の被害想定はどうか。これは、ほとんどの都道府県で実施されており、かつ発生すると被害だけではなく、日本経済に多大な影響をもたらすような地震については南海トラフ地震や首都直下地震といった名称がつけられ、想定地震として国が別途、作成している。本論では、この首都直下地震の被害想定を事例として、その情報の受け手の実態と活用方策を述べたい。
 まず、情報の認知度である。安本ほか(2023)では、2022 年に、東京都民に対してWEB を用いたアンケート調査を実施し、東京都や国(内閣府)から出されている首都直下地震の被害想定の認知度を尋ねた。結果、「想定の内容まで知っている」と回答した人は5.7% に過ぎない(n=4,478、以下同)。「想定が出ていることは知っているが、内容はよくわからない」と回答した人が52.8% いることから、ある程度の認知があるものの、その内容は、分かっていない人が過半数である。また、そもそも被害想定という情報を認知していない人が4 割以上いるということも重要な知見であろう。
 一般的に、受け手である住民が被害想定という情報に接するのはテレビや新聞である。そこでは、「首都直下地震は最大で死者6,000 人を超える被害が想定されており…」というように、最大の死者数・建物被害を用いてその想定地震が説明される。こうした数値は、確かに、想定地震の規模や危険性を知らせる上では使いやすい。だが、その実態は判然とせず、被害想定という情報が活用されているとはいえない。あくまで想定地震の形容詞として用いられているにすぎない。また、本来は首都直下地震を知ることが重要なのではなく、地震の防災対策につなげることが必要である。これでは地震防災対策を行うという行動に結びつかないであろう。
 では、具体的な防災対策に昇華させるためにはどうすればよいのか。
 ひとつの手法として、映像を用いることが考えられる。最近では、映像技術の進展に伴い、想定地震についてもVFX などを用いて容易に表現することが可能となっている。テレビ局でもシミュレーション映像を用いて防災啓発の試みが行われている。たとえば、NHK は2019 年12 月に『パラレル東京』という、内閣府が2013 年に作成した被害想定を基にした、ドラマ仕立ての番組を放送した。この番組の放送前後で、3 波の縦断型のアンケート調査を行った結果、認知面を中心に番組の効果がみられた。そして、その認知面への効果の要因としては恐怖感情を刺激したことが考えられた。つまり、多くの人は漠然と、首都直下地震に対して恐怖感情や不安感情を保持している。そうした点を、被害想定を基にした映像で刺激することで、「もしかしたら自分も首都直下地震で被害にあうかもしれない」と考えるようになる。
 一方で、認知面では効果が認められたものの、行動レベルの防災対策の変化という点では、効果がみられなかった。つまり、これまで、水や食料の備蓄、家具の転倒防止といった具体的な対策をしていなかった人が、『パラレル東京』を視聴した後にするようになる、という行動変容がみられなかった。認知面で変化を及ぼしても行動面での変化までは至らないのであろう。むしろ、今まで地震対策をしていた人が『パラレル東京』を視聴した後に、対策の再確認を行ったという結果が得られた。定期的に地震対策を見直すことも重要であることから、一定の効果があったといえよう。これらの結果は、被害想定という情報がやり方しだいでは十分に、防災情報として意味を持つ証左である。
 ただし、課題もあった。上記の結果に基づけば、恐怖感情を刺激することが重要といえるが、強く刺激しすぎると、トラウマに結び付く可能性も認められた。また、実際に地震が発生しても、被害想定の通りにはならない。たとえば、前出の『パラレル東京』において、火災旋風や群集雪崩などは確かに恐怖感情を喚起するという点からは重要なテーマであった。だが、こうした現象は必ずしも起こるとは限らない。番組が映像化した「首都直下地震」は、被害想定のシナリオの1 つにすぎない。地震の大きさ、震源地の位置などで大きく状況が変化する。これらをふまえ、何を映像表現するか、そのポイントを見定めることも必要である。
 地震の被害想定という情報は科学的研究の成果として公表されている。それが、住民には全く認知されておらず、複雑であるから活用できない、と言うのは簡単である。だが、不確実性を内包しながらも、ある情報をいかに防災対策の行動促進や意識啓発に活用できるのかを実証的に研究し、議論する必要があるだろう。


(本論は、博士論文「首都直下地震をめぐるメディアコミュニケーション―ドラマ『パラレル東京』の効果と社会心理―」の一部である)
[参考文献]
安本真也・葛西優香・富澤周・内田充紀・関谷直也,2023,首都直下地震と都民の意識―2022 年東京都民調査から―,東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究・調査研究編,
No. 39,pp. 43-105