被害想定で目標を共有し対策が具体化されていく
特集:被害想定とは何か(後編)
静岡大学防災総合センター 特任教授
岩田孝仁
2024年6月1日
被害想定は様々な被害が発生する事態を定量的・定性的に想像でき、執るべき対策の目標を共有し、対策を具体化するためのツールと考える。ここでは筆者が携わってきた静岡県を事例に、被害想定をどのように組み立て対策に活用してきたのか、さらに、これからの被害想定に何が求められるのかを紹介する。
1976 年に示された東海地震説は当時の静岡県民に大きな衝撃であった。単に漠然とした恐怖ではなく、県民の大半が震源域の真上で生活していて、震度6 や7 の激しい揺れに見舞われれば当時の耐震基準では住宅だけでなく学校や病院など公共施設も相当の被害を受ける。さらに、震源域となる目の前の駿河湾で発生する大津波は地震直後に沿岸を襲い、防潮施設がほとんど無い沿岸部で大きな被害が予想されるなど、直下で起きる巨大地震に対して地域社会は全く無防備であった。
地震対策をスタートさせるためにまず始めたことは、「東海地震の危険度の試算」(1978 年に公表した第1 次地震被害想定)である。想定される揺れ(地震動の強さ)、液状化や人工改変地などの地盤災害、土砂災害、津波、延焼火災などを推定し、その結果発生する建物被害と人的被害を市町村別に示した。こうした被害想定を関係機関だけでなく県民や企業などに示すことで、東海地震の被害の激甚さと対策の必要性を共に認識し、県民・企業あげて地震対策に取組む動きにつながった。
具体的には、想定津波の規模に応じた防潮堤や水門など津波防御施設の整備、地震動の強さに応じて学校や病院など公共施設の耐震化、避難地・避難路、緊急輸送路の整備、地域の自主防災組織の育成など個々の地震対策事業の整備目標を定め、財源確保を図りながら計画的に事業をスタートさせることができた。併せて、国の建築基準法改正(1981 年、2000 年)に先駆けて耐震設計の目標を震度7 対応に引き上げるため静岡県独自の建築物耐震設計指針並びに耐震診断・改修設計指針などを定め、1978 年
から運用を始めた。
地震対策がある程度の軌道に乗ってきた1993 年に第2 次地震被害想定を実施した。大きな目的は、緊急的にスタートさせた地震対策の効果がどの程度あるのか、さらに新たな知見を踏まえ対策の抜けはないのかの検証である。様々な事業でよく行われるPDCA の一環として対策事業の効果評価指標(KPI)を人的被害や物的被害そして経済被害を基に示し、新たな財源確保を行い次の段階に向かう必要があった。
要因別に想定被害を細分化することで対策ごとに被害軽減効果の分析を行い、今後取り組む地震対策事業の組み立てを行った。さらに地域の自主防災会などの強い要望もあり、市町村別に示していた被害想定を約5,000あった自主防災組織(自治会)単位で示し、地域ごとの揺れや液状化、津波や土砂崩れ、延焼火災などの災害危険度の特徴を基にして具体的な対策につながることを目指した。道路や鉄道、電気や水道などの広域をカバーするライフラインに関しては、個々の施設被害を基に地域ブロックごとに供給停止などの影響がどの程度続くのか、住民視点での想定結果を示すことで、自治体や自主防災組織、住民自ら備えにつながることを目標とした。
2001 年に第3 次地震被害想定を行った。ここでは1995 年の阪神・淡路大震災での被害実態や教訓をもとに要因別に被害分析を行った。さらに、ライフラインの被害や災害応急活動の阻害状況を地域ごとの被害シナリオにして提供することで、地域の被害実態だけでなく被害発生から災害応急活動、応急復旧そして復興に向けた地域社会で起き得る状況を示すことで、事前に行うべき防災対策を再検討するなど様々な議論も起き、住民や関係者の理解が促がされた。
2011 年の東日本大震災を受け、政府の中央防災会議で南海トラフ巨大地震の被害想定が示されることとなった。2013 年に発表した静岡県の第4 次地震被害想定では、考え得る最大クラスの地震として国の示す断層モデルをベースに想定の見直しを行い、これまでの防災対策や整備してきた様々な防災施設の再評価を行った。その結果は「地震対策アクションプログラム2013」として整理し、今後10 年間で犠牲者数8 割減を目標にした地震対策事業計画の見直しにつながっている。
以上述べたように、静岡県では半世紀前に始まった東海地震対策から現在までの間、4 回の地震被害想定を行い、様々な対策事業の効果検証をもとに地震対策計画を見直し、次なる目標設定を行ってきた。それぞれの背景として、阪神・淡路大震災などの災害経験を踏まえた対策の見直し、人口増に伴う郊外への市街地の拡大や人工改変地の増加など、変化する社会環境に応じて地震対策の見直しを行う必要があった。常に意識してきたことは、社会構造の変化に応じ、新たな弱点を洗い出して対策に反映させることである。
次なる課題として、例えば、急速な人口減少と高齢化、社会インフラの高経年化、災害弱者の増加と支援、実施してきた対策の経年劣化、変化する経済活動など、事前の防災対策や災害応急活動、災害復旧・復興の各段階において様々な影響が及ぶ事項がある。被害想定にはこうした変化する地域社会の特徴をしっかり捉え、防災対策に反映していくことが望まれる。