日本海中部地震から40年、そして、北海道南西沖地震から30年
特集:日本海側の地震津波の被害と教訓
目黒公郎
2023年12月1日
今年、2023 年は関東大震災から100 年目の年ですが、同時に日本海中部地震(1983(昭和58)年5 月26 日11 時59 分、M7.7)と北海道南西沖地震(1993(平成)年7 月12 日22 時17 分、M7.8)から、それぞれ40 年と30 年の節目の年でもあります。
当時は、日本海側で甚大な津波災害が発生するという認識は高いとは言えない状況でしたが、両地震では大きな津波が発生し、甚大な被害が発生しました。両地震による死者・行方不明者は日本海中部地震では104 人、北海道南西沖地震では230 人でしたが、この中で津波による犠牲者は、前者で100 人、後者では約200 人に及びました。
ここでは津波を中心に、両地震で観測された特徴的な被害を紹介します。日本海中部地震では、秋田県の牡鹿半島の加茂青砂海岸で、山間部から遠足に来ていた小学生13 人が津波の犠牲になりました。合川町(現北秋田市)の旧合川南小児童の4 年生と5 年生の児童が、2 台のバスで遠足をしている途中に、この海岸を訪れた際に地震に襲われました。バスの中で揺れが収まるのを待った後に、海岸に降りてお弁当を食べようとしているところを津波に襲れたのです。児童の中の32 名は自力や他の人達によって救出されましたが、13 人が津波にのまれて亡くなりました。引率の先生、バスの運転手、子供たちのだれか1 人でも津波の危険性に気づいていれば、避けることができた可能性が高かったことから、津波防災教育の重要性が強く確認された災害でした。また日本海中部地震では地下の液状化現象を原因として、地表地盤が水平に数m から10m も移動する「側方流動」という現象も明らかになりました。能代市で最初に発見されたこの現象は、過去の新潟地震でも、その後の兵庫県南部地震でも起こっています。
北海道南西沖地震では、津波と火災による甚大な被害を受けた奥尻島に、地震発生の3 日後に新聞社のヘリコプターで向かい被害調査をしたことがつい先日のことの様に思い出されます。この地震では、震源が奥尻島周辺にまで広がっていたことから、奥尻島の一部には地震発生から3 分程度で津波の第1 波が襲いました。当時の津波警報は地震発生から7 分を目安に発表していましたが、この地震では早期に津波の襲来を受ける可能性が高かったことから、気象庁は地震後直ちに震源とマグニチュードを推定し、津波情報の発信を急ぎました。その結果、気象庁は地震発生から5分後の午後10 時22 分に、北海道の日本海沿岸と奥尻島を含む北海道西方四島全域に津波警報(大津波)を出し、それを受けたNHK は地震発生から7 分後の午後10 時24 分47 秒に1 回目の緊急警報放送を行いました。10 年前の日本海中部地震では、地震発生から津波警報発表まで約14 分、津波警報の報道までに約19 分を要したことを考えれば、格段に早かったのですが、警報が間に合わない地域が少なからずあったため、気象庁は津波警報システムの大幅な見直しを行いました。従来の地震発生後に津波の計算を行う方法から、事前に日本周辺で津波を引き起こす可能性のある全ての地震を対象に津波シミュレーションを行い、その結果をデータベース化し、実際に地震が発生した際にはその地震の位置とマグニチュードや断層特性からデータベースから類似地震のデータを引き出す方法に変えたのです。こうすることで、事後の津波計算は不要となり、概ね3 分以内に津波警報が出せるようになったのです。避難行動の分析からは、10 年前の日本海中部地震の教訓を踏まえた自主的な避難で助かった人が多かったことも印象深かったです。