日本海東縁のプレート境界について
特集:日本海側の地震津波の被害と教訓
飯高隆
2023年12月1日
日本海においては、秋田県沖で1983 年に日本海中部地震(M7.7)が発生し、1993 年には北海道南西沖地震(M7.8)が発生した。それら2つの地震はともに津波による災害が大きく、日本海における津波被害の備えの重要性を考えさせられる地震であった。日本列島下には太平洋プレートやフィリピン海プレートが沈み込んでいる。そのため、太平洋側では、繰り返し沈み込み帯の地震の被害を受け、津波に対しての危機意識が共有されている。しかし、日本海側では、津波を引き起こす地震の発生サイクルが長く、警鐘として津波の恐怖を伝えることができていないことや地震発生域が陸地に近いこともあり、地震発生後短時間で津波が襲ってくるため、逃げる時間がなく被災するということになる。そのことを示すかのように、1983 年の日本海中部地震では河岸にいた釣り人や遠足の生徒が津波で亡くなるという痛ましい災害にみまわれた。
日本海から北海道・東北地方にかけて2つのプレートがぶつかり合っていると考えられている。2つのプレートはユーラシアプレートと北米プレートであるが、マイクロプレートであるオホーツクプレートやアムールプレートが存在するというモデルも提案されている。その境界線は、Chapman & Solomon(1976)では、サハリンから北海道を2分するように日高地方にかけて続いていた。その一方で以前から、サハリンから日本海東縁にかけての活発な地震活動が示されていた(例えばFukao &Furumoto, 1975)(図1)。この領域で発生する地震も逆断層型の地震であり、ここがプレートの衝突域であることをうかがわせるものである。そのような状況の中、小林(1983)と中村(1983)によって、このサハリンから日本海東縁にかけてプレート収束域が存在し、このエリアがプレート境界であるという提案がなされ、北米ーユーラシアプレートのプレート境界がサハリンから日本海東縁を通り、日本列島を縦断するフォッサマグナにつながるモデルが提案された。また、マイクロプレートであるオホーツクプレートが存在するモデルも提案された(瀬野,1995)。北米プレート(オホーツクプレート)のこの領域は、日本海中部地震や北海道南西沖地震が発生するなどして、ここがプレート境界であることを示すかのように、活発な日本海東縁の地震活動がうかがえる。このプレート境界の位置やマイクロプレートの存在はいまだ議論の余地があり、今後も調べていく必要がある。しかし、明らかに言えることはこの日本海東縁では、地震活動が活発で、大きな津波を引き起こすような地震が発生する可能性があり、それに備えた対策が必要であるということであろう。