これまでの被害想定とこれからの震災対策
特集:これからの東京の地震対策
東京都立大学名誉教授
中林一樹
2023年6月1日
- 震災時に脆弱な東京の都市構造
東京の都市構造は、世界都市として先端を行く都心中枢区域とそれを取り囲んでいる木造密集市街地のパラレル構造であり、東京の震災に対する脆弱性はその構造に対応する。都心中枢区域は都市空間・情報・エネルギー・意思決定が24 時間365 日を活動継続している4 次元構造である。それ
を取り囲んでいる木造密集市街地は古典的に地震動・火災にも脆弱な居住地域である。東京の地震に対する脆弱性は、時代とともに先進する都市機能が集積しその影響は世界に波及する未経験で未知なるリスクを潜在させる都心中枢区域と、定量的に想定できる古典的な地震被害が集中的に発生
する木造密集市街地都にある。
この都市構造の起源は100 年前の関東大震災(1923)の帝都復興事業に由来する。震災は木造家屋が密集した中心市街地3,150ha を焼失させ、その周囲を含む3,600ha を創造的に復興した。それは、震災直前に東京市長であった後藤新平が実現できなかった8 億円計画といわれた東京改造計画を帝都復興事業として7 年間で実現し、今日まで東京と日本を支えてきた都市改造で、今や超高層ビルと地下街・地下鉄の立体都市空間に都市活動が集中し日本の意思決定の都心中枢区域である。その都市基盤整備は帝都復興事業のレガシーであり、その街路網が東京に地下鉄網の整備を可能とし、その移動性こそが超高層ビルの林立を可能としている。
この100 年前の帝都復興事業は、災害廃棄物処理から街路・橋梁整備、土地区画整理、ビル建設まで全て人海工事であった。被災者のみならず全国から人々が集まり復興事業に邁進した。その被災者や流入者のための住家は、復興事業区域及び東京の周辺地域に無秩序に建て込んでいった。その市街地は、東京大空襲で多くが焼失した。その市街地の基盤整備を目指した戦災復興計画を棄却された東京では、戦後の混乱期に密集市街地のまま再生され、拡大し続けたのが今日の木造住宅密集市街地である。 - 戦後東京の震災対策の2 つのスターター
東京の震災対策は、関東大震災からの復興事業にその端緒を見ることができる。都市の耐震耐火対策として鉄筋コンクリート造・鉄骨造によるビルや橋梁の建設、都市大火を延焼遮断する高幅員街路による市街地の分節化、学校と小公園を隣接配置した地区防災拠点の整備などや、初期消火と
飛び火警戒による市民消火の重要性も広大な被災地に焼け残った佐久間町の教訓として残された。しかし、終戦とともにこれらの教訓も忘れられた。
東京では、焼失した木造密集市街地2 万ha の戦災復興区画整理を実現できぬまま、戦後復興から高度経済成長に向かい、都心中枢区域を取り囲む木造密集市街地が再生拡大し続けた。この東京に震災対策の火を付けたのが、新潟地震(1964) と「関東南部地震69 年説」であった。
1964 東京オリンピックを控え首都高速道路や幹線街路を整備していた東京の都民や企業は、その100 日前に発生した新潟地震の惨状をテレビで見た。全域が液状化、県営住宅の転倒、低地の津波浸水、石油精製工場の出火と水没市街地の火災、信濃川橋梁の落橋などの映像は、都民には41 年前の大震災での東京下町の惨状を思い起こさせた。
そこに東京大学地震研究所教授河角 廣*による「関東南部地震69 年説」が、東京の震災が遠い未来ではなく、標準偏差± 13 年により関東大震災から56 年後つまり15 年後には大震災の危険期に入ると伝えた。こうして、ポスト東京オリンピックの都市政策の柱に震災対策が位置付けられた。 - 東京の震災対策における被害想定の役割
東京都が最初に取り組んだのが、人口稠密な木造密集市街地であった江東デルタ地帯(墨田・江東区)の火災シミュレーションで、最悪なら関東大震災を超える犠牲者もあり得るという結果を受けて、都民の命を守る火災時の避難場所としての江東防災拠点の整備に1965 年に着手した。同時に、区部全域での地震火災の被害想定を行い、火災に脆弱な木造密集市街地が都心・副都心を取り囲んで山手地域にも広がっていることが示され、区部全域に震災対策を広げた。都民の命を守る避難場所の確保と避難指示という区部の広域避難計画は、区境を超える広域避難が不可欠となったが、この隣接区への広域避難の法的規定が災害対策基本法にもなく、東京都は1971 年震災予防条例(現、震災対策条例)を制定した。その第十二条に「知事は、震災の発生原因及び発生状況、地域の危険度その他震災に関する事項について、科学的、総合的に調査及び研究を行う」、同条3 に「調査、研究及び技術の開発の成果を、積極的に震災対策に反映させるとともに、都民に公表しなければならない」とした。東京都の被害想定や地域危険度は、この条例第12 条に則り定期的に見直されてきた。
東京の震災対策における「被害想定」の基本的役割は、他自治体と同様に基本的には災害対策基本法による地域防災計画の災害対策編の前提条件である。災害予防対策である木造住宅密集市街地での防災まちづくりには、被害想定ではなく震災予防対策による町丁目単位に市街地の脆弱性を評価する「地域危険度」に基づいて取り組んできた。
その中で東京都の被害想定の特徴的な取り組みとして、1983 年には東京らしい被害として「帰宅困難者」を想定した。また、首都直下地震の被害想定に初めて取り組んでいた1995 年には阪神・淡路大震災が発生、その建物被害11 万棟よりも概算中の想定被害が4 倍以上(被害想定(1997:M7.2)では全壊全焼約42 万棟)であったため、復興も事前準備が不可欠と「事前復興対策」の取り組みや、木造密集市街地の災害予防のために「防災都市づくり推進計画」を策定して被害軽減を目指す取り組みのきっかけを与えた。
2006 年に政府の首都直下地震M7.3 に合わせて見直した東京都の被害想定では、全壊焼失約44 万棟に増えたが、東日本大震災(2011)を踏まえた東京都の被害想定(2012)では全壊焼失約30 万棟と2/3 に、そして被害想定(2022)では約19 万棟とさらに2/3 に軽減した。しかし建物被害軽減の要因は建物の個別建て替えで、木造密集市街地が基盤整備されて安全安心な市街地に解消したわけではいない。
4.“ 想定外”に備えるこれからの東京の震災対策
最新の被害想定(2022)では、従来からの木造密集市街地に集中発生する古典的な定量的被害想定に加え、科学的根拠による定量化ができない被害の定性的シナリオ被害想定を行った。しかし区市と都は、定量的被害を踏まえた災害対応対策の点検に留まるのではないか。
しかも古典的な定量的被害の大幅な軽減は、東日本大震災よりも被害規模が大きいのに、都民や企業に過大な安心感を与えないか。また、被害項目間の相互関係など地域で想起される被災状況とその推移は十分に区市や都民・企業に伝わるだろうか。とくに、都心中枢区域の立体化著しい都市
空間と先進する都市機能は、東日本大震災の長周期地震動以外に被災経験もなく、被災実態も乏しく定量的な被害想定は困難である。
しかし起こしてはならない事態、そして軽減し回避できる未経験の被災状況は多々ある。それらを行政のみならず都民や企業が認識し、その様相と対応に備えることこそ、東京に必要なこれからの震災対策であろう。委員をしていた筆者のそんな思いもあり、定性的シナリオ想定に取り組んだ。報告書の49 項目のシナリオ想定では、「(地震火災時の広域避難に係る)人的被害」「(高齢社会で多発する)関連死」「(被災後の在宅避難の)マンション問題」「ゼロメートル地帯における水害との複合災害」「行政機能」「超高層ビル街」「移動・物流」など、これからの東京の震災対策を議論し、一人一人にも備えてもらう鳥羽口を開いたつもりである。
たとえば、筆者は参考値としてでも定量化すべきと提案し、これまでに震度7 を記録した五つの地震から直接死者数、全壊等住家棟数、避難所避難者最大数に対する関連死者数を推計すると、最大で各々27,790 人、5,080 人、16,170 人の参考値となるが、報告書には記載されてはいない。
しかし、高齢社会化の中で在宅避難を選択する多くの高齢被災者を視野に、“避難所運営マニュアル”よりも“避難生活者地域運営マニュアル”による取り組みこそ、これからの東京に求められる“想定外に備える震災対策”なのだと考える。
未経験の重大事態としては、何棟焼失ではなく大規模地震火災時の課題に対応する被災想定など、これからの大都市には、定量化できない“想定外を想定する”被害想定が、人の命を守る震災対策の構築に不可避である。
*河角 廣(1970)「関東南部地震69 年周期の証明とその発生の緊迫度ならび
に対策の緊急性と問題点」地學雜誌、第79 巻第3 号、東京地学協会、PP.
115–138。(本論の趣旨は、1964 年に国会で参考人として進言した。)