東京都の新しい地震被害想定で取り上げた地震と地震動
特集:これからの東京の地震対策
東京大学名誉教授
平田直
2023年6月1日
2022 年5 月に、東京都は10 年ぶりに地震被害想定を見直し、「首都直下地震等による東京の被害想定(令和4 年5 月25 日公表)」(以下、2022 年被害想定と記す)を公表した。この10 年で、人口構成、建物・構造物の種類・分布、市民の生活スタイルが変化したことを地震防災対策に取り入れるためだ。自然現象としての地震の起こり方や性質は、10 年程度では変化しない。しかし、この想定の前提となる地震動(揺れ)の予測については、近年の地震学の進展によって、いわば認識論的な変化があった。10 年前との違いを念頭に解説する。社会構造の変化と想定された地震による人的・物的な被害については、別論考を参照されたい。
自然現象としての地震に対する知見は、地震そのもの(震源断層)に対する考え方、地震波が伝播して増幅・減衰する性質、表層地盤での地震動の増幅(揺れやすさ)への理解の点で進展があった。本稿では、これらのうち、想定地震選定の考え方と揺れの大きさを中心に解説する。
2022 年被害想定では、想定地震が「東京湾北部地震」(プレート境界地震)から「都心南部直下地震」(スラブ内地震)に変わった。なお、スラブ内地震とは、沈み込む海洋プレート、ここでは、フィリピン海プレートの内部で発生する地震を指す。前回の想定時、2012 年当時の最新の中央防災会議の想定では「東京湾北部地震」が採用されていたため、東京都も2012 年の地震被害想定では、「東京湾北部地震」を採用した。その後2013 年に中央防災会議は新しい被害想定を発表して、その中で、「東京湾北部地震」が、「都心南部直下地震」へ修正された。そこで、東京都の2022 年被害想定では、「東京湾北部地震」から、「都心南部直下地震」に修正された。
この修正は、地震学的には以下の理由による。首都圏では、約300 か所の観測点からなる首都圏地震観測網(MeSO-net)が2007 年から東京大学地震研究所等によって整備され、地下の構造が明らかになりつつあった。これらの研究によって、南関東の下に沈み込むフィリピン海プレートの上面深度が、従来考えられていたものより東京湾北部で約10㎞浅くなることが分かってきた。この新しいプレート形状を用いて1923 年の大正関東地震震の震源断層の推定をやり直すと、この地震によって破壊された震源断層の広がりが、これまでの推定領域より北側、つまり東京湾北部にまで広がった。この結果、これまで想定されていた東京湾北部のフィリピン海プレート上面は、1923 年大正関東地震の時に破壊されたと考えられるようになった。もし、東京湾北部のプレート境界が破壊されるとすると、これは次の関東地震のときであり、東京湾北のプレート境界が単独で破壊される、つまり「東京湾北部地震」が単独で発生する可能性は低い。フィリピン海プレートの内部では地震が発生する可能性があるので、中央防災会議は、スラブ内地震として「都心南部直下地震」を想定した。
地震調査研究推進本部・地震調査委員会の長期評価によると、相模トラフで沈み込むフィリピン海プレートと陸のプレートの境界付近で発生するマグニチュード(M)8 クラスの地震と、南関東地域の直下でプレートの沈み込みに伴い発生するM7 程度の地震は、共に高い確率で発生する。1923 年大正関東地震は、前者のM8 クラスの地震の一つであり、1985年安政江戸地震は、後者のM7 程度の地震の一つである。このM7 程度の地震は、プレート境界の地震とスラブ内地震の両方を含む地震である。このM8 クラスの地震は、前回の関東地震からちょうど100 年経ており、30 年以内に発生する確率はほぼ0% から6%、後者のM7 クラスの地震が30年以内に発生する確率は70% 程度と推定されている。30 年以内に6% という数字は小さいように見えるが、30 年以内に火災で罹災する確率は約0.94%、交通事故で負傷する確率12%、台風で罹災する確率0.4% と比べ決して少なくない。一方、M7 クラスの地震が30年以内に70% の確率で発生する確率は極めて高い。なお、ここで言っているM7 程度の地震の発生確率は、南関東全体、東西・南北約150 km 四方のどこかで発生するプレート境界地震とスラブ内地震を含んだ地震であること、さらに、決して「都心南部直下地震」の発生確率ではないことに注意する必要がある。
東京都の2022 年被害想定では、「都心南部直下地震」(M7.3)と、大正関東地震(M8 クラス)をともに想定した。その他、立川断層帯地震(M7.4)、多摩東部直下地震(M7.3)、南海トラフ巨大地震(M9 クラス)の5 つの地震を想定して、被害を見積もった。この他、3 つのスラブ内地震を想定して震度分布を計算して公表した(表1)。
そもそも、被害想定で地震を想定するとはどういうことか。行政機関が被害想定をするのは、地震対策を行うために具体的な被害を見積もる、対策の前提となる被害規模を仮定する必要があるからである。東京都の場合には、区部で被害が最大となる地震として「都心南部直下地震」(M7.3)、多摩部で被害が大きくなることが予想される地震として多摩東部直下地震(M7.3)を想定した。これは、あくまで対策を講じるための前提を評価するためで、次に発生する確率が最も高い地震を選んだのではないことに注意する必要がある。大正関東地震の想定はもちろん、関東大震災のような大被害が起きることへの対策を行うために必要だからである。
震源断層の想定とともに重要なのは、地盤、特に表層地盤の情報である。ボーリング調査、常時微動の観測研究などによって、表層地盤の知見が増えた。2022 年被害想定では、10 年前より全体としてはやや表層地盤での震度増分は少なくなった。しかし、区部東部と南部の一部では震度増分が大きくなり、より揺れやすいと認識されるようになった。
さらに、地震動(揺れ)の想定には、地震が発生する場所・深さと地震規模(マグニチュード)だけでなく、震源の巨視的パラメータ(断層の走行、傾斜、滑り角など)の他、微視的パラメータ(強震動生成域、応力降下量、破壊伝播方向・速さ等)などを決めて、震源断層モデルを作る必要がある。しかし、これらのパラメータを事前に予測することは困難である。そこで、被害想定では、あくまで地震学的に起きておかしくない範囲で、複数のモデルを仮定して地震動(震度)の計算を行い、そのうち典型的な一つを選び被害想定のためのモデルとして採用する。これが、被害想定に使う震源断層モデルである。
こうした仮定のもとに、揺れが推定された。最悪の被害が出る地震(「東京湾北部地震」、「都心南部直下地震」)を比較すると、震度6 強の面積は2012 年想定では、約444 ㎢であったものが、2022 年想定では、約388 ㎢ に微減した。震源断層が異なるので、この比較は厳密には意味は無いが、想定した地震による揺れの特徴を理解するための比較と考えていただきたい。
多少減ったとしても、東京都内全体で、震度6 弱の面積は約604㎢、震度6 強の面積は388㎢、震度7 の面積は約14㎢ である。つまり、区部のほぼ全域で震度6 弱以上、区部東部、区部南西部を中心に、区部の約6 割が震度6 強の強い揺れになるのである(図1)。震度6 弱以上の強い揺れでは、耐震化されていない木造家屋は、倒壊の可能性がある。
この状況は、10 年前と変わりはない。都内の建物耐震化率は決して100% になっていない。一刻も早く耐震化する必要のあることが、この揺れの想定から得られる結論である。この想定に基づいて、東京都は地域防災計画の修正に取り掛かった。2023 年度中には公表される。