東京都慰霊堂の倉庫に眠る震災当時の収蔵品

特集:今でも見られる大正関東地震/関東大震災の遺構

立命館大学歴史都市防災研究所 客員研究員
北原糸子
2022年9月1日

 
 

 東京都慰霊堂という建物をご存じだろうか。都営地下鉄両国駅近くの横網町公園にある、かつて「震災記念堂」として親しまれてきた建物である。この場所は、陸軍省被服廠跡地であったが、第一次大戦後の軍縮策により東京市が陸軍からこの地を引き取り、公園を企画していた。たまたま、地震発生当時空地であったため、地震の揺れと火を避けてここに逃げ込んだ3 万8 千人以上の人が焼死した場所である。焼骨の山を前に、ここは自然発生的に慰霊の場と化した。震災から7年後には一般の寄付を募り慰霊
堂が建立され、さらに、戦後は、東京大空襲による戦災の犠牲者10 万人余の遺骨もここに納められることになり、東京都慰霊堂と改称され、現在に至っている。同じくこの横網町公園のなかには、震災記念堂竣工の一年後に、記念堂と同じ設計者伊東忠太が手掛けた復興記念館がある。現在は、関東大震災の被害と復興、戦災の被害を伝える展示館である。ここには、関東大震災を語る記念物が展示され、現在自由にそれらを見ることができる。しかし、今回は、復興記念館の未公開の収蔵品で、いずれ、来年
100 周年に向けて公開を目論み、整理中のもののなかから「今でも見られる関東大震災の遺構」を紹介したい。


震災と復興の震災物品を引き継ぐ「復興記念館」
 復興記念館には、戦前3 回(1924 年、1929 年、1930 年)の震災復興展覧会の展示品が引き継がれている(東京震災記念事業協会清算事務所、1932)。3 回の展示経過の分析によれば、震災の記憶と復興とのせめぎ合いがあると指摘されている。これは、まさに震災の被害の記憶の主体である「民」と復興を担った「官」とのせめぎ合いでもあるという(高野、2010)。太平洋戦争後、医療施設の欠乏状態から、一時は復興記念館の1階が日本赤十字支部病院として使われ、展示館としての機能は2 階部分に限られたと推定されている(森田、2021)。こうした時期を経て、1956 年日本赤十字社から復興記念館が東京都へ返還され、改修工事が施された。
 復興記念館の本格的なリニューアル構想が生まれたのは、それから35年後の高度成長期終焉の1991 年であった。漸く社会が震災の悲劇を伝えるマイナーな存在への眼差しを取り戻したのである。リニューアルに際しては収蔵品の調査が行われた。その時に整理された報告によれば、書籍(新聞、雑誌、単行本、報告書類)4,368 点、生活雑貨品(陶磁器、衣類、木製品、石材、救護用品、時計・カメラなど)5,614 点とされている。


震災100 周年に向けた新たな試み
 1991 年の調査内容の不備から、100 周年に向けて再調査が行われ、新しく意味が見出されたものも少なくない。ここで紹介したいのは、巖谷小波(1870~1933)の『震災記念おとぎ歌舞伎 閻魔裁判鯰髯抜』(写真①)である。原作は「読売新聞」朝刊に1924年8 月15 日~9 月2 日連載された子供向け御伽噺である。震災で亡くなった多くの亡者が三途の川を渡るので、その渡し賃で大稼ぎをした閻魔大王が、お礼に大鯰を地獄に招き、そこに乙姫や浦島太郎など御伽噺の面々が登場するという筋立てである。9 月21 日には日比谷公園音楽堂で上演された。今回100 周年に向けた展示の見直し作業で、この作品を新たに子供向けの漫画仕立ての動画として、今年秋には公開する楽しみな企画が進行中である。
 写真②は未整理品の中から調査員が見出したものの一つである。皮鞄には泥が付着、その中身は教
科書と時間表ノート類である。ノートの裏表紙には、「第三学年 福田典充」と記されている。福田典充君の生死は不明だが、恐らく彼はこの鞄を抱えながら被服廠跡地へ逃げ込んだ一人だったのではないだろうか。復興記念館には、被服所跡地から見出された遺留品も数多く残されていることが収蔵目録から判明する。福田君の泥が着いた鞄もその一つであったのかもしれない。彼は巌谷小波の震災御伽歌舞伎も観ることも読むこともできなかったのではないだろうか。合掌

[参考文献]
東京震災記念事業協会清算事務所,1932,被服廠跡.
高野宏康,2010.「震災の記憶」の変遷と展示-復興記念館および東京都慰霊堂収蔵・関東大震災関係資料を中心に-’,年報非文字資料研究⑹,神奈川大学非文字資料研究センタ-.
森田祐介,2021.1931 年から2019 年に至る復興記念館の展示の変遷,歴史地震㊱.

    

写真① 巖谷小波『震災記念おとぎ歌
舞伎 閻魔裁判鯰髯抜』1924 年、読
売新聞社、東京都復興記念館蔵

    

写真② 震災の遺品「鞄」中に「尋常
小学校唱歌」、ノートなどがある。東
京都復興記念館蔵