いま、東日本大震災・原子力災害の入口に立つために
特集:東京電力福島第一原子力発電所事故からの10年間
情報学環・准教授
開沼博
2022年3月1日
例えば、大学院に進学しフランスの研究をして論文を書きたいと志ざせば、いずれ誰かに「どれだけ仏語をできるのか、その歴史をいかに把握しているか、現地に行った経験は」等々、口うるさく問われるだろう。そして、実際に知識・経験において(趣味でやるならそれで良かろうが)一定の前提条件をクリアできなければ、その研究の入口に立つことすらできなかろう。
この10 年の福島に関する書籍等の粗製濫造の状況、そして未だに全く的はずれなデマが断続的に流布される現状を見れば、どうやら、福島は誰でもお気軽にお手軽に、何の前提条件も無くその入口に立つことができるものであり続けているようにも見える。背景には日本国内の問題だから、とか、自分は同時代に生きていてメディアや現場で多少の情報を手に入れてきたからという感覚が広く存在することもあるだろう。一方、押さえておくべき前提条件が明示される機会が少なかったこともそれに拍車をかけているかもしれない。
東京電力福島第一原発事故について、その研究や学習に手を付けようとする上でのややこしさは、押さえておくべき前提条件の複雑さにある。つまり、その登場人物・ステークホルダーの多さと立ち位置のバラツキが一方にあり、他方に、10 年以上の短くはない時間軸が、どこを切っても金太郎飴のように同一なわけがなく、切る場所によってその世相・時代模様が大きく違うという事実がある。
前者、「登場人物の多さ」について押さえておくべきは、地元のレベルと中央のレベルに分けて整理できる。
地元には、まず「福島県」があるが、その中でも避難指示等がかかった「12市町村」は被災の度合いや制度的な取り扱いにおいて他との明確な差がある。12 市町村の中でも特に福島第一原発が立地する双葉町・大熊町の2 町、それに隣接する浪江町・富岡町は他に比べて明確に復興の進捗に差があることも10 年以上たってより鮮明になっていることだ。
中央には、大きく政治・行政・東電がいる。この関係性・内実はもはや外から覗いてもすぐに把握するのは困難だろう。もっともシンプルに理解するのに必要なのは、行政の担当分野を把握することかもしれない。まずは、原発の内と外とを分けて整理する。つまり、原発の内側=廃炉を担当するのが経済産業省、原発の外側=除染・中間貯蔵事業を担当するのが環境省。そして、この廃炉と除染という2 本柱の周辺にその時々に、例えば避難指示解除や一次産業の復興といったテーマが現れ、その課題ごとに省庁横断型組織である復興庁・内閣府を中心に、ものによっては農林水産省や外務省なども関わって捌いていくという構造になっている。
この基本を押さえれば、より細部も見やすくなる。例えば、東電は廃炉を実務的に進める主体であるが、その経営権を株式保有によって得ている原子力損害賠償・廃炉等支援機構を通して政府、特に経産省がそれを支配する関係の中にある。一方、除染は、環境省が主体となり大手ゼネコン等の協力を得ながら進めている。東電はそのコストを支える。日本原子力研究開発機構(JAEA)や大学等も外から廃炉・除染の進展に必要な技術の開発を進める。そういった構図をまず押さえなければ、いまどこで何が起こっているのか、次に何が起こるのか、深い分析はできない。複雑にも見えるが、この10 年間で根本的な「建てつけ」は変わっていないし、今後もその基本構造がかわることは無く、ここに「建て増し」されていくのを理解していけば良いだけだ。
後者、「時間軸における切り口の多様さ」については、より複雑だ。この10 年間はのっぺりと均一に進んできたわけではなく、何らかの波が時々にあった。それを詳細に捉える上では、どこに波の断絶=区切りを見出すのかということが重要になる。2011 年から現在までは、5 年区切りで復興関連の予算の区切りが訪れ、それに従って生じた被災地の動きは確実にある。そういった行政上の区切りは多くの人が想像しやすい。一方で隠れた区切りが様々にあるはずだ。例えば、熊本での災害はじめポスト3.11 の大規模災害による政治やメディアの軸足の置き方の変化の背景にある区切り、美味しんぼ事件・吉田調書問題等が集中した、ある種の風評問題のフェーズの転換があった2014 年の前と後という区切りなどが考えられる。そういった点での整理は今後の研究の深化が求められるところだ。
原発事故の特殊性を捉えつつ、この10 年をいかに振り返るか。入口を整備する作業としてすべきことはまだまだ多い。