関東地震時にまわりの揺れがわかったら

連載:関東大震災100年・これからの100年 第1回

酒井慎一
2021年12月1日

 大正関東地震(1923 年)の発生から約100 年。首都圏に被害を及ぼす巨大地震(マグニチュード8 級)は、また必ず起きるに違いない。であるならば、それに備えて、我々には何ができるのだろうか。帝都復興計画によって作られてきたこれまでの東京を振り返り、次の大地震の発生までにやるべきことを考えていきたい。

  1. はじめに
     大正関東地震(1923 年)の発生から、もうすぐ100 年を迎える。この地震は、首都圏に、もっとも大きな被害をもたらした地震である。あれから98 年が経過し、首都圏も大きく変わってきた。その中で、この地震が残した傷跡や果たしてきた役割、そして、将来発生するであろう首都直下地震に向けての教訓や課題等、この関東大震災にまつわる様々な話を、これから8 回にわたって連載することとする。
     関東地震は、相模湾から沈み込むフィリピン海プレートの上面で発生した逆断層型の地震(マグニチュード7.9)である。その後の火災等による死者が10 万人を越え、その被害がクローズアップされているが、地殻変動による大きな津波も発生し、強い地震動による大規模な土砂崩れや多くの建物の崩壊もあった。ここでは、その第1 回目として、関東地震時の「揺れを知ること」に注目する。
  2. 首都圏の揺れを知る
     地震が発生すると、断層運動によって地震波が生成され、それが伝わり地面を揺らし、その結果、建物等が崩壊し、火災が発生するなどの災害を引き起こす。地面の揺れに強い建物にすることで、崩壊を免れる建物が増え、その結果、その後の火災被害を減らすことになる。しかし、むやみに建物を堅牢にするのは非効率的である。場所によっては、揺れの強い所や揺れが長く続くところなど、揺れ方には特徴があり、一様ではないからである。その場所の揺れの特性に合わせ、建物に見合った対策を施す必要がある。
     そのためには、まず、地震による揺れがどのようなものだったのか、その分布を知る必要がある。しかし、関東地震が発生した1923 年当時、地面の揺れを測る地震計は、首都圏に数台しかなかった。東京大学地震学教室等の地震計で、紙に描かれた波形がすべてである。したがって、多くの場所で、その揺れの強さがどの程度のものだったのかは、わからなかったのである。そこで、当時の建物の被害を調査し、その壊れ具合や倒壊家屋の頻度等から、その地域の揺れの強さを推定した(例えば、諸井・武村、2001)。それによると、震度が大きかった地域がある一方で、さほど揺れの大きくなかった地域もあったことがわかっている。
  3. 自分とまわりの揺れを知る
     地面の揺れは、いくつかの要因によって、その強さを推定することができる。主に、地震の規模、震源地からの距離、発生した地震波の放射パターン、伝播経路の構造、地面付近の地盤構造である。あらかじめ揺れを推定
    することは、建物の崩壊に対して、どの程度の対策が必要なのかの目安になっている。しかし、その後、新たな被害につながるかどうかは、そこに居る人々の行動によっても左右される。人々が、適切な安全確保行動をと
    ることができれば、被害を拡大させないですむ可能性がある。
     例えば、自分の周囲の揺れの状況をすぐに知ることのできる仕組みの構築を提案したい。揺れが強ければ、ただちに逃げる必要があるが、それほど強くないことがわかれば、避難する必要はないのではないだろうか。関東地震の際、東京での揺れは、すべての場所で震度7 だったわけではない。人によっては、避難ではなく、消火や救援を行うべきだったのかもしれない。何もわからない状態では難しいが、現場にいる人々が周囲の情報を得て、何をすべきなのか、その後の安全行動の助けにすることができれば、それは、全体として被害を減らす方向に向かう可能性はないだろうか。まずは、現状を把握する仕組みを作り、その情報を見て次の行動を決められる防災リテラシーを持った人々を増やすことから始めるのが良いのではないかと思っている。