雲仙火山における観測研究と火山研究者の地域社会との関わり

特集:雲仙普賢岳噴火火災から30年

九州大学理学研究院附属地震火山観測研究センター 清水洋
2021年6月1日

 雲仙普賢岳の1990‐1995年噴火は、1792年以来約200年ぶりの噴火活動であった。当時の火山噴火予知技術では(現在もほとんど同じ状況であるが)、噴火活動の推移予測については過去の噴火事例に頼らざるを得ないため、雲仙火山では参考にできる過去の噴火事例が少なく推移予測がきわめて困難であった。例えば、歴史時代の2回の噴火がいずれも溶岩流を伴ったことから、これらの数少ない事例に引きずられて溶岩噴出後の火砕流の発生を予想することができなかった。経験則に頼らない予測のためには、マグマ溜りや火道などのマグマ供給系とマグマの上昇・発泡などの噴火機構を物理・化学法則に基づいて記述した定量的モデルが必要である。

 それでも、雲仙火山の場合は1922年から気象庁による観測が、また、1974年から九州大学による観測が行われており、これらの観測が雲仙普賢岳の噴火予知に大変役に立った。特に、地震の連続観測により、噴火開始約1年前の群発地震の発生とその後の普賢岳付近への震源域の移動や、噴火前兆現象である火山性微動の検知に成功したことは、噴火発生前の観測強化と噴火開始後の速やかな多項目観測の立ち上げにつながった。また、噴火以前の静穏期に実施された集中総合観測の観測データが、噴火開始後の火山活動度を評価する際の基準となった。特に水準測量や光波測量の結果は、マグマ溜りの位置やマグマ供給量の推移の把握に不可欠であった。

 これらの経験から、火山観測研究の教訓と課題として、「マグマ供給系と噴火機構の物理・化学モデル」の必要性と「静穏期における長期間・継続的な観測」の重要性があらためて認識された。このうち、前者の「マグマ供給系と噴火機構の物理・化学モデル」の作成に向けた取り組みとして、噴火後間もない火道の掘削を含む雲仙科学掘削プロジェクトが1999-2004年に実施された。また、定量的モデルに基づいた噴火予測システムの構築は、その後の火山噴火予知計画(2014年以降は「災害の軽減に貢献するための地震火山観測研究計画」)においても重要な研究課題となっている。

 後者の「静穏期における長期間・継続的な観測」については、気象庁は、噴火以降も普賢岳に地震計を増設し観測を強化している。一方で大学においては、法人化に伴い短期間で研究成果を出すことが強く求められるようになり、短期間で成果が期待できない観測を長期にわたり継続することは困難になりつつある。マンパワーも含め、大学と気象庁の観測能力の逆転が進行していることから、今後の火山観測研究体制のあり方について省庁や研究機関の壁を超えて議論し、国として必要な体制を構築していく努力が求められている。

 雲仙普賢岳の噴火は、噴火時の情報発信や火山研究者の地域社会との関わり方についても課題を投げかけた。当時、気象庁から発出された臨時火山情報などは、警戒範囲などが不明確で解除もないことから、地元自治体は防災対応に苦慮し、九州大学島原地震火山観測所の太田一也所長が地域の危機管理や防災対応に深くコミットした。このことで自治体などは、いわゆる火山のホームドクターの必要性を認識したが、研究者などからは役割の逸脱との懸念と批判もあった。その後、気象庁は、2007年12月から全国の活火山において「噴火警報」と「噴火警戒レベル」の発表を開始し、火山情報と防災対応がリンクするようになった。これが十分に機能すればホームドクターは不要であるが、少なくとも現状ではそうなっていない。法人化以降の大学の状況を考えると今後ホームドクターの存続は困難であり、自治体の防災対応について迅速かつきめ細かい助言を行えるシステムが必要である。この役割を緊急時に火山防災協議会が担うのも無理があり、最終的には観測研究と監視・情報発信およびリスク評価を一体的に行える体制の構築が望ましいと考える。