雲仙普賢岳火山砂防対策を顧みて
特集:雲仙普賢岳噴火火災から30年
株式会社オリエンタルコンサルタンツ/建設省九州地方建設局雲仙復興工事事務所長(当時)
松井宗廣
2021年6月1日
雲仙普賢岳の平成噴火は1991(平成3)年6月3日の火砕流で死者40人、行方不明3人という犠牲者を生じ、テレビの映像をとおして火砕流の怖さを全国民に知らしめた。噴火活動は平成7年に至るまで約4年半続き島原地域は度重なる火砕流と土石流被害に見舞われた。当初、長崎県が中心となって災害対策にあたったが、火砕流により山麓一帯には約1億7千万㎥もの不安定な火山噴出物が堆積、これを発生源とする土石流被害が繰り返された。
建設省(現国土交通省、以下同じ)は長崎県からの直轄化要望を受け1993(平成5)年4月、島原市に雲仙復興工事事務所を新設、火山砂防対策を開始した。以下に建設省が水無川で実施した主な対策と事務所開設以来約4年間、現地で対策にあたった経験を改めて顧みる。
火山砂防対策について
1)火山砂防対策の計画施設
山麓周辺に堆積する膨大かつ不安定な火山噴出物を安定化する砂防堰堤・床固工群と、土石流を早くかつ安全に有明海に流す導流堤を計画施設とした。
2)計画施設の建設に先行した緊急対策工事
より短期間で建設可能な仮設構造物(鋼製矢板を用いた仮設導流堤等)による緊急対策を先行実施した。
3)警戒区域内の有人施工と無人化施工
緊急対策工事は火砕流の危険性がある「警戒区域」でも実施する必要があった。そこで、火砕流の到達時間に着目し工事地点への到達時間内に余裕をもって避難できる地点では有人での作業が可能なことを検証、また「火砕流シェルター」を設置する等の安全対策を講じたうえで有人施工を実施した。しかし、より上流では火砕流の到達時間が短く危険なため無人化施工により対策工事を実施した【写真】。
火山砂防対策から得た教訓について
1)平時における対策検討の必要性
1993(平成5)年は4~7月にかけて土石流被害が急拡大した。そのため、急遽、仮設構造物による緊急対策を検討、実施を試みたが事務所が発足して間もない時期で用地確保がゼロであったため着手できなかった。漸く8月5日に着手できたがその間、土石流の被害は拡大する一方であった。この時、火山砂防対策では噴火活動の活発化後での対策は後手に回らざるを得ないことを痛切に思い知らされた。
2)火山噴火緊急減災対策
雲仙での経験は「火山噴火緊急減災対策」という新規施策に生かされることとなった。雲仙での対策実態を踏まえて、国土交通省は「事前に噴火に備えた資材備蓄や緊急対策工等の検討が必要」として2007(平成19)年4月「火山噴火緊急減災対策砂防計画策定ガイドライン」を策定、全国の主要活火山で検討を開始した。御嶽山2014年噴火、浅間山2015噴火でこの事前検討が功奏し短期間で緊急対策が実施された。
3)地域住民との協働
水無川と導流堤に挟まれた安中三角地帯を土砂処分場とし地上げすることで安全・安心の地域づくりに貢献できた。これは被災住民と国が一致協力した成果である。この「民と官の協働」が最も大切な教訓と考えている。
土石流の氾濫被害で荒廃した当時の島原地域は30年の時を経て見事に復興した。ここまでに至る関係各位のご尽力に深甚の敬意を表するとともに、島原地域のさらなる発展を心から祈念する次第である。
参考文献 災害救訓の継承に関する専門調査会(2007):1990-1995雲仙普賢岳噴火報告書、中央防災会議