10年間で避難はどのように変わったか?変わってないのか?
特集:東日本大震災から10年-防災対策は何が変わったか?
特任教授 片田敏孝
2021年3月1日
避難とは文字通り難を避けることであり、迫り来る難から命を守る行動を意味する。東日本大震災の大津波に始まり、近年の豪雨災害の激甚化、そして今まさに猛威をふるうコロナ禍につながる10年間は、長年にわたり強く意識することのなかった難を避けることの現実感を国民一人ひとりに突き付けた10年だった。
東日本大震災の大津波は、ハード対策による安全確保に限界があるという当たり前を我々に再認識させ、時に荒ぶる自然に対峙して生きることにおいて、避難(Evacuation)は必然であるという原則を強く意識させることになった。
また、近年の気象災害の激甚化は、ハード対策で提供される安全が、想定外力範囲内に限られるという当たり前を再認識させると共に、災害対応行動の根拠を委ねた避難情報もその精度はおろか発出すら時に困難となる現実を見せつけ、行政に委ねて難を避けることを常態としたわが国の避難(Evacuation)のあり方を根本的に見直す必要性を明確に示した。
さらにわが国における避難は、一般的に発災時の避難情報に従って行政が指定する避難所に行くこと(Sheltering)と認識されており、行政が準備した避難所であるが故に安全性は確保され、快適性についても滞在に耐えうる環境が当然のように要求されてきた。しかし住民の求める避難所の快適性は、避難者の集中によって確保が難しく、行政が準備し得る避難所に完全な安全を確保することも難しい事態が散見されるなかで、行政主体で進めるわが国の避難体制に限界が見え始めている。
行政主体の避難体制の限界は、コロナ蔓延下における災害避難において一層明確なものとなった。避難所はそれ自体が多くの人が集まる場所であり、コロナ感染リスクの高さは誰もが直感できる。このため災害避難が躊躇されることによって、災害被害の拡大が危惧される。このようなコロナ感染と災害被害の両面から難を避ける対応として分散避難が推奨され、在宅避難や縁故避難、ホテル利用など、一人ひとりの条件に応じて2つの難を避ける方法を自ら考えることが求められた。コロナ感染のリスク軽減は、手洗い、マスク着用、三蜜回避など、全て自らが対応する以外に難を避ける(軽減する)術はなく、他者への依存は生じ得ない。分散避難が社会に無理なく理解された背景には、コロナ感染リスクの軽減の必然としての当事者感があったからである。
このような分散避難は、ゼロメートル地帯の大規模広域避難においても求められている。江東5区の250万人の広域避難においては、行政が250万人の避難先を域外に確保することは困難であり、避難時の渋滞によって避難そのものが困難な事態が想定されている。このため当地域の大規模広域避難は、自らの避難先を準備して、渋滞に巻き込まれる前に行動を開始する必要があり、避難先を自ら確保したうえで、早い段階で自ら避難を決断する主体性が求められる。大規模広域避難の成否の鍵は、生じうる事態の直視によって、コロナ禍と同様の当事者感を導くことが必要となる。
東日本大震災における津波避難、激甚化する豪雨災害に関わる避難、コロナ蔓延下における災害避難と、この10年間の避難を振り返ると、これらの避難に共通して求められることは、住民一人ひとりの主体的行動である。しかし、そこには以下の問題がある。
長年にわたる行政主体の防災によって、国民は主体的な災害対応の必然は理解しても、その行動の具体に現実感が持てないこと。わが国の行政と住民の関係構造において、行政は住民の要望に応え続ける姿勢が染み付いており、住民に主体性を求めることへの戸惑いがあること。そして、災害対応に主体性を求めるとしても、主体性を発揮できない要配慮者の問題は何も変わらず残り、わが国の防災において最大の課題であり続けること。
東日本大震災を含め激甚化する災害に向かい合ってきたわが国の防災は、ここ10年間でこれまでとは異なった対応の必要性を明確化してきた。これからの10年はそれらの対応が強く求められることになろう。