田中先生の印象Before/After
特集:田中淳センター長のご退職に寄せて
東京大学地震研究所 教授 古村孝志
2020年3月1日
2008年4月に創立されるCIDIRに地震研から異動が決まったころ、ある会議で田中先生に初めてお会いする機会がありました。3月中旬の、都心で桜の開花が報じられた頃のことです。以前から田中淳教授のご高名は存じ上げておりましたが、なんとなく四角い黒縁眼鏡をかけた長髪の気難しい学者先生をイメージしていました。ところが、「私が田中です」と挨拶された先生は、グレーのスーツにフレームレスメガネが光るダンディな紳士。CIDIRの明るい未来を確信した瞬間でした。
しばらくして、高知県四万十町の津波避難行動調査のヒアリングに同行する機会がありました。そこでは、避難率が高かった意外な事実を知ることになるのですが、それはさておき、田中先生の話を続けます。高知龍馬空港から四万十町までの車内では、Webアンケートとインタビュー調査の精度やクロス集計を想定した調査項目設定などの打ち合わせが、いつのまにか幼少期に高知に来た時の話、大学での奥さんと出会い、シンクタンク研究員そして大学人へ、さらにどこでどう話が繋がるのか、船でしか行けない秘湯大牧温泉の観光まちづくりの話と、先生のこれまでの多彩な経験と研究者への長い道のりを、実に楽しくお聞きすることができたのでした。
その長話が理由かどうかわかりませんが、町役場でのインタビューの時間に遅れそうになり、昼時で混雑するうどん屋に駆け込み、カクカクしかじか事情を訴え注文の順番を割り込ませてもらいました。店のおばちゃんが「特別よ」と先生に目配せして運んでくれた熱いうどんを急いで掻き込むと、今度は約束の時間まで間が空いてしまいました。「アイスコーヒーでも頼んで一息つこうか」と言う先生をせき立て、まだ注文が届かない客の視線を避けるように急いで店を出ましたが、流れで支払いは田中先生持ちになりました。