2014年御嶽山噴火における長野県の対応

特集:2014年御嶽山噴火災害から5年 火山防災はどのように変わったか?

長野県木曽建設事務所 次長 南沢修
2019年9月1日

 御嶽山(標高3,067m)は、長野県の木曽町、王滝村、岐阜県の下呂市、高山市の4市町村に跨る山で、3,000mを超える山としては、高い地点まで車等で行くことができ、日帰りも可能で、初心者も登りやすいため、人気がある山である。
 静穏であった御嶽山は、2014年9月10日に52回、11日に85回の火山性地震を観測したが、気象庁は、噴火警戒レベル1を維持。その後、火山性地震は低下傾向を示していたものの、9月27日、突如、噴火直前の11時41分頃から連続した火山性微動が発生し、11時52分頃に噴火した。

 当日は、久々の快晴な土曜日。紅葉真っ盛りで、数多くの登山者が入山。噴火時は、昼食のため火口近くの山頂に、多くの登山者が滞在していたようである。
 御嶽山は、火口から4km以内に居住地はない。地震や風水害であれば、被災情報が早くに収集できるが、火山の登山者が被災した噴火災害の初期の情報は、警察・消防に頼るところが大きく、また、断片的にしか入ってこない。情報のない中、危険な噴火口近くにやみくもに救助隊を入れることも出来ず、また、登山者の多くは、地元外からの者であったため、登山届などからの個人の特定には、時間を要し、災害の全体像の把握は非常に困難を呈した。
 山頂付近には、有毒な火山ガス(二酸化硫黄、硫化水素)が噴出。自衛隊から火山ガスに対応した装備(ガスマスク等)が必要との指摘を受け、装備を整え、噴火の危険がある火口近くで、警察・消防・自衛隊を中心とした救助隊が、要救助者の救助・救急活動を開始した。
 この災害では、警察・消防・自衛隊の3隊の協力・連携が非常に重要であることが、改めて認識された。県庁では県・気象庁・3隊が同じ部屋に入り活動調整を実施。現地では、3隊の実働部隊が現地指揮所で情報共有・意思決定を行い連携して、救助・救急活動を行った。この枠組みは良く機能し、高く評価されている。
 長野県は、13時20分に「御嶽山噴火災害警戒・対策本部」を設置。その後、被害が甚大と判断し、14時10分に災対法に基づく「長野県御嶽山噴火災害対策本部」に切替え、国レベルでの救助・救急対応が必要と、知事から14時31分に自衛隊に災害派遣要請、20時30分に消防庁に緊急消防援助隊の派遣要請を行った。
 木曽町は12時20分に、王滝村は12時30分に災対本部を設置。気象庁は、12時36分に噴火警報(火口周辺)を発表し、噴火警戒レベル1を3に引上げた。両町村は、噴火警戒レベルの引上げに合わせ、噴火警戒レベル3の規制場所において、警戒区域を設定し、立入規制を行った。
 国は、28日17時に「御嶽山噴火非常災害対策本部」、22時に長野県庁に「御嶽山噴火非常災害現地対策本部」を設置。現対本部に、関係省庁から情報連絡員が派遣され、県と国との情報共有は円滑になった。
気象庁は、火山活動の把握と最新の気象情報が迅速に把握できるように機材を設置。これらの情報は非常に重要で、救助・救出活動の方針決定、救助隊の入下山の判断等に必要だった。
 救助・救出活動は、火口から近いところでは、数百メートルの場所や、腰付近まで積もった火山灰で移動が困難など悪条件の中、常に噴火の危険と背中合わせの中で命がけの活動が行われた。
 活動は、9月27日~10月16日に実施。最初に登山道・山小屋・避難小屋を中心に点と線による活動。次に、目撃情報、登山者の証言を参考に頂上付近に重点的なエリアを定め、金属探知機、捜索棒を使用しながらの活動。最後は、再度全てのエリアでの活動。最終段階では、山頂付近は冬期に入り、降雪や、火山灰の凍結などのため、これ以上の活動は限界と判断し終了した。この時点で、死者57名、行方不明者6名であった。
 翌年の2015年7月29日~8月6日に6名の行方不明者の再捜索を実施。行方不明者1名を発見したが、今なお5名の行方不明者の発見には至っていない。
現在の御嶽山の噴火警戒レベルは1。木曽町・王滝村ではハード・ソフト両面の安全対策を長野県とともに進め、安全対策が整った登山道から、順次、規制を緩和し、山頂まで入山できることを目指している。
 なお、一部の登山道からは、山頂まで入山が可能である。