南海トラフ地震 自治体が抱える地域課題

特集:南海トラフ地震に関連する情報-社会はどう動くか

静岡大学防災総合センター 岩田孝仁
2019年6月1日

 東日本大震災を経験したことを契機に、従来の東海地震説を脱却して一気に南海トラフ全体を俯瞰した巨大地震発生に議論が拡大した。南海トラフをめぐるここ数年の議論は、ちょうど1976年の東海地震説が出された当時を思い起こさせる。明日起きてもおかしくないとの表現こそないが、南海トラフの大地震はいずれ日本社会が直面する大地震である。中央防災会議から犠牲者は最大で32万人との被害想定が示され、的確な対策が無いまま迎えると日本社会がひっくり返るほどのとてつもない被害である。
 地震学会の意向も反映され、短期的な地震予知はできないとの論から、従来の地震予知は地震予測と表現が変化した。しかし、本質的に何が変わったのか。中央防災会議防災対策実行会議のワーキンググループで議論が進められ、地震発生の可能性の高まりに応じて「臨時情報」が出されることとなった。中でも安政元年や昭和19年の地震のように、震源域のほぼ半分が破壊した「半割れ」状態になると、臨時情報に「巨大地震警戒対応」とのフラグが付けられ、警戒が呼びかけられる。一定のルールを決めたとしても地域社会はかなり混乱するだろう。以下には、地域の防災対応を検討する中で各自治体が抱える個別課題を4点、政策課題を2点列挙する。いずれも早急に解決していかないと、課題だけが取り残され、多くの国民の関心が薄れてしまうことを危惧している。

<個別課題>
① 事前避難の対象地域と対象者の絞り込みの困難さ  
対象者を絞り込むことは突発地震では助からないことの宣告に等しい。地震の直前予知の取り組みを放棄した中、警戒対応の1週間もしくは2週間が過ぎた後に通常の生活に戻れるのかも大きな課題ではあるが、自治体が勇気をもって事前に対象地域を絞り込むことができるかはさらに大きなハードルを抱えた課題である。避難の時間的余裕がなく襲来する津波リスクの高い地域だけでなく、土砂災害は対象が広範囲に点在することから対象地域を絞り込めないという課題を残す。防潮堤などの防御施設や緊急避難施設などのハード面の整備で一定の安全確保ができる地区を増やしていくという緊急整備目標を具体的に示していかないと、地域の混乱を助長するだけになってしまう。
② 震度6強や震度7を迎え撃つ耐震性を備えた避難所が確保できるのか
 避難所で大地震を迎え撃つためには、基本的な耐震性に加え重要度係数1.20を上乗せし、構造部材のダメージを最小限に留める必要がある。併せて、天井や壁、照明器具など非構造部材の耐震性確保も重要な課題である。自治体が従前から指定している多くの避難所は基本的な耐震性の確保は当然必要である。そのうえで、施設内に避難者を収容したまま大地震を迎えても安全が確保できるだけの性能を持たせるためには、大規模な改修が必要となる場合もある。その時間と経費をどう確保できるかも喫緊の課題である。
③ 極端に高齢化が進む地域社会で避難行動要支援者をだれが支援するのか
 山間地域だけでなく沿岸の漁村集落でもいわゆる75歳以上の後期高齢者が30%超える集落も珍しくなくなってきた。津波対策としてこれまで整備してきた高台へ駆けあがる階段など避難施設が、高齢のお年寄りには既に利用困難となってきている。こうした高齢者を支援できる年代の者が昼間は外へ働きに出てしまうと、多くの避難行動要支援者を支えられない地域もある。地震発生直後の緊急避難での対応が困難となれば、おのずから事前避難の対象者は増加することになる。災害時の福祉避難所の指定が十分進んでいない市町村もあり、臨時情報の巨大地震警戒対応という段階で福祉避難所を必要とする要支援者の受入れがどこまで可能か、地域ごとに検討が必要となる。具体的な避難行動計画を考えれば考えるほど、ジレンマに入ってしまう。
④ 地域経済を支える中小企業ではBCPどころか耐震化そのものが進んでいない
 施設の耐震性の不安は、大企業では1割程度(中部経済連合会等の調査)に対し、静岡県が県内企業を対象に行った調査では、施設そのものの耐震性に不安を持つ事業所は中小企業の半数以上、従業員20人以下の小企業に限ると6割に及ぶことが分かった。こうした企業が実際には地域経済の下支えを行っており、臨時情報発表段階でも平常通り事業を継続するためには、中小企業の耐震化に対し官民挙げて資金提供できる制度が必要である。さらに、事業継続のためのノウハウが提供できる人材協力を進めていく必要もある。

<政策課題>
① 地域社会の何がどのように混乱するのかのイメージ共有ができない
 臨時情報が出され巨大地震警戒対応の状況下での社会ルールを構築しようとしているが、そもそもこの状況を地域社会がどのように受け止め、具体的に何がどのように混乱するのかのイメージ共有ができていない。このため、何をどう対応しておけば良いのかの具体策も出せず、社会の共通理解は益々得にくくなっている。行政や経済など地域の各分野の知見を結集して早急に具体的なイメージ共有をする必要がある。特に、臨時情報解除後の対応は、大地震発生の可能性はあるものの社会活動を平常対応に戻そうという試みであり、地域社会の受けとめ方は未知である。
② 対策事業を進めるための財政措置を裏付ける根拠法があいまい
 事前避難所の開設費用について、内閣府は災害救助法適用の方向で検討を進めていると聞く。一方で、事前対策に自治体の財源をどれだけ確保できるかは大きな課題である。東海地震対策のため制定した大規模地震対策特別措置法(大震法)やその財源措置のための財政特別措置法のように、国や自治体が財源措置を伴って政策決定ができるよう、南海トラフ巨大地震対応の根拠法が必要である。政策展開の大きな流れは大震法を準用した法改正で十分対応可能と考える。