カスリーン台風から70年

特集:カスリーン台風から何を学び、どう評価するのか

国土交通大学校 副校長 須見徹太郎
2017年9月1日

 1947(昭和22)年9月16日午前0時20分頃、埼玉県北埼玉郡東村(現加須市)の利根川右岸堤防が決壊し、その氾濫流は、利根川、江戸川、大宮台地に囲まれた中川流域の低地を流れ下り、都県境の桜堤を決壊させ都内に流入、決壊から5日目の9月20日午後2時頃、東京都江戸川区の新川堤防でようやく止まった。カスリーン台風による人的被害をみれば、赤城山周辺の土砂災害や渡良瀬川の氾濫による犠牲者が多く、約1,100名の死亡者のうち群馬県、栃木県で944名とその大半を占めるものの、社会的には首都東京まで洪水が及んだこの中川低地の氾濫の影響が大きかったと言える。戦後急速に市街化が進んだこの地域にカスリーン台風の氾濫が再来したら直接経済被害が34兆円に及ぶという試算もあり、大規模水害への対策が必要とされている地域である。
 この中川流域であるが、江戸時代以前には利根川と荒川という関東の二大河川が流下しており、その痕跡は中川支川の大落古利根川・元荒川とういう河川名にも残されている。江戸初期の利根川東遷、荒川西遷により中川は二大河川から切り離され、中川低地の農地開発のための用排水路として使われてきた。明治43年の大水害を受けて荒川、利根川、江戸川の大改修が始まるが、その関連工事として大正5年から始まる中川大正改修によって、従来江戸川に合流し島川、庄内古川を中川につなぎ替えて現在の姿になった。その流域面積は987㎢で、外周河川(利根川、江戸川、荒川)と大宮台地に囲まれ「フライパンのような」と形容される全体的に低平な流域であり、中川の最上流端と河口での標高差が20mという緩流の河川である。このため河道の流下能力が低く、調整池等の流域対策に加え、首都圏外郭放水路や三郷放水路などの放水路と大規模排水機場により江戸川に直接排水することで洪水を処理している。
 そのような中川流域であるので、外周河川が決壊すれば、大量の氾濫流が中川低地に流入し氾濫することになる。やや文学的表現だが「河川は昔の流路を知っていて、氾濫するとそこに戻ってくる」と言われることもある。カスリーン台風による水害では、東村の利根川右岸決壊の他に、荒川の熊谷地先で左岸堤防が2カ所決壊しているが、その氾濫流も元荒川を通じて中川に流れ込んだ。元荒川合流点より下流では、埼玉県南埼玉郡八条村(現八潮市)と葛飾区亀有の2カ所で中川右岸堤防が決壊し、足立区や中川右岸の葛飾区が浸水したが、その氾濫水には荒川起源のものも含まれていることになる。2015年の関東東北豪雨における鬼怒川の氾濫では、常総市内を流れる県管理の八間堀川に氾濫流が流入し、下流で溢水する現象が生じているが、このような氾濫原の中の中小河川が氾濫流に与える影響については、通常氾濫計算に用いられる平面二次元不定流計算では必ずしも正確に反映されていないこともあり留意する必要がある。
 1947年当時の浸水区域の人口は約60万人であったが、住民の避難には相当の混乱を来していた。桜堤の決壊が19日の2時頃であるが、22日時点での警視庁の報告では、「(都下で)2万余人を下らず何れも二階、屋根裏等に居り、之が救出救護に舟艇に依り・・」とあり、浸水4日目でも多くの被災者が取り残されている状況がわかる。同報告には、「罹災民は、(中略)避難勧告に従わず、増水迄に相当の余裕ありたるに、避難用意不十分であり、一途に当局の防水策にのみ期待した様である」とも記されており、現在にも共通する課題を抱えていた。また、広域避難については、江戸川を越えて、千葉県の野田、流山、松戸、市川等に避難した被災者も多く、縁故避難の他、鴻ノ台兵舎(市川市)などに大規模な避難所も設けられていた。終戦後間もない当時、被災者の救護や自治体間の連携についてもGHQの強力な指導の下に行われていたと思われる。
 桜堤の上流で滞留する氾濫水を排除するために江戸川堤防を開削する際にもGHQが協力している。結局上手くいかなかったが、爆薬で堤防を爆破しようと試みたのである。中川低地の氾濫被害の減災のためには、外周河川の堤防強化等の対策と併せて、このような桜堤等の二線堤の管理や滞留水を排除するための堤防開削等、決壊を想定した氾濫流の制御手法についても、事前に様々なシミュレーションを行い、対応を検討すべきではないか。
 現在、中川流域の約50%が都市化し、「利根川首都圏広域氾濫」の想定浸水人口は230万人に達し、高度経済成長期に進行した地盤沈下の影響により浸水深や氾濫流速も増加すると想定されている。外周河川である江戸川、利根川、荒川のどの河川が破堤氾濫してもその氾濫水が押し寄せ、首都圏経済に深刻なダメージが生じることも予想される地域である。住民の命を救う広域避難対策に加え、社会経済に対する壊滅的な被害を生じさせない対応が必要だ。