教訓を昔話にしないために

防災コラム

片田敏孝
2017年6月1日

 東日本大震災から6年。被災地では教訓を後世に伝える努力が模索されている。被災者個人にとって時間の経過は、被災した事実を受け入れざるを得ないことに気付き、それが新たな平常となって徐々に悲しみが癒やされる過程という前向きな意味がある。しかしそのことは一方で、悲しみや後悔のなかで得た教訓を忘却する過程でもあり、被災者当人が得た教訓であっても、それが当人に維持されることも容易なことではない。
 教訓の世代間継承となると、その難しさは一層深まる。被災後6年程度であれば多くの場合、被災経験を共有しており、被災を語り合う場合にあっても暗黙のうちに前提が共有されている。しかし、被災経験を共有しない場合の教訓の伝承は、語り部の心情とは無関係に、聞き手にとってのリアリティは必然的に欠落することになり、時間が経過すればするほどその傾向は顕著になる。10年もすれば小学生と大人の間で被災経験の共有は無くなり、30年もすれば世代が一つ更新されて教訓の口頭継承は単なる経験談となり、100年後の津波では少なくとも3世代は更新されて、教訓は昔話に成り下がる。教訓を語り継ぎたいとの被災者の切なる思いとは裏腹に、時間の経過のなかで教訓の継承が困難である事実は直視しなければならない。
 教訓を継承するための方策は語り継ぐことではなく、今の自らの行動に反映することだ。その行動が日常的となって、それが次世代の育みの環境となるなら、教訓は語るに及ばない形で次世代に継承される。教訓は語り継ぐのではなく今の行動に反映してこそ次世代に継承される。