東京直下地震において延焼火災による大量の人的被害はあり得るか?
特集:地震火災
東京大学生産技術研究所都市基盤安全工学国際研究センター 加藤孝明
2016年12月1日
20XX年,東京直下地震直後,東京大学生産技術研究所のK氏はマスコミの前に立たされていた.彼は,苦渋の表情を浮かべて絞り出すように回答した.「想定外の事態が発生しました」と.
こんな立場にはなりたくない.東京直下の首都直下地震において関東大震災で経験したような火災からの逃げまどいによる大量の人的被害が生じ得るかどうか,その可能性を科学的に把握し,予め「想定外の事態」を想定し,対策を打っておく必要がある.
東京都の最新の地震被害想定調査(2012)では,火災による焼失は19万棟,火災による死者は4,100名と想定されている.著者は,東京都防災会議の専門委員としてこの被害想定調査に携わった一人である.地震火災による被害に関しては一定の精度を持つが,実は人的被害の精度は高くない.感覚的には400人かもしれないし,40,000人かもしれないという程度の精度感である.なぜなら出火点の数,位置によって当然,死者数は大きく変わり得るからである.
最近の地震被害想定では,地震火災からの逃げまどいによる死者は,過去の統計をもとに想定された焼失棟数から「統計的」に算定されている.とはいっても,1,000人以上の死者が発生した事例は,10事例に満たない.しかも関東大震災をはじめとして大半は昔の出来事である.都市構造,建築構造,気象条件,季節,時間,ライフスタイル等,すべてが異なるデータである.たとえ統計的な手法が適用可能だとしても十分な精度を確保することは本質的に困難である.
関東大震災,あるいは,戦災当時と比べて,現在の東京は火災被害という観点からみてプラス・マイナスの両面を含んでいる.1960年代後半から進められる防災都市計画によって避難場所として機能する大規模なオープンスペースが確保され,広幅員道路の整備と沿道の耐火建築物の集積による延焼遮断帯が整備されている.密集市街地といえども確実に難燃化は進みつつある.日常の暮らしから裸火は激減した.一方で,市街地は劇的に拡大し,当時は田園であった山の手(杉並区や世田谷区等の東京区部西部)に延々と拡がる密集市街地が形成された.また大規模火災を見聞きしたことのある市民は極めて少数になった.
東京の市街地では大規模な焼失被害が発生するか?という問いかけに対しては,確信をもって「イエス」と回答できる.「延焼運命共同体」による以前の評価によれば,3,000棟を超える運命共同体は70か所程度,5,000棟を超える運命共同体は28か所であった1).なお,延焼運命共同体とは,複数棟火災の場合の延焼限界距離以内にある一群の建物群のことを指し,炎上火災(初期消火に失敗した火災)が1か所でも存在すれば,最終的に焼失することを意味するものである.仮に炎上火災の発生確率が10,000棟に1か所程度とすれば,3,000棟の運命共同体では,焼失確率39%,10,000棟では,63%となる.運命共同体は多数存在するので,数千棟規模の焼失エリアが都内で多数発生することが容易に理解できる.
一方,大量の逃げまどいによる死者は発生するか?という問いに対しては,正確にはまだ確認できていないというのが正直なところである.現在,市街地延焼からの広域避難について大規模シミュレーションを行っているところである.これまでの暫定的な計算結果によれば,火災による大量死はあり得るという結果を得ている.地震直後に指定された避難場所に避難行動を開始する「品行方正モデル」,「建物倒壊による道路閉塞無し」,「都心からの帰宅する群衆無し」という比較的好条件下において,世田谷区を中心とする120万人が居住する地域を対象にシミュレーション分析を行った.出火可能性に応じてランダムに出火点を配置し,3,000回試行した結果,平均値・中央値は約200人程度であったのに対して,1,000人~4,000人のケースが数こそ少ないものの,存在することが明らかになった2).つまり「想定外の事態」はあり得るという結論である.ただし,シミュレーションの常だが,様々な仮定のもとでの計算結果例であることに留意してほしい.そもそも大規模火災,いや1棟火災すら経験したことない人が大半である今の時代において市街地延焼から人々がどう行動するかは分かっていない.現在,シミュレーション分析を進める一方で,VR技術を駆使して現代人の避難行動を探る実験も進めているところである.
一連の研究を通して,市街地火災による大量死という「想定外の事態」の背景にあるメカニズムを解明することができれば,それを防ぐ対策も導出可能である.何としても東京直下の地震が起こる前に間に合わせたい.
市街地延焼からの広域避難シミュレーション(杉並区)
1. 加藤孝明:大都市の地震火災の危険性とその対策課題,地震工学会論文集,2016.4
2. 志村泰知・加藤孝明・小林大吉・江田敏男:延焼・避難広域シミュレーション大規模計算による 災害時に発生し得る極端現象の解明と その対処の検討(その3) -避難行動モデルの高度化-,火災学会研究発表会概要集,2016.5