想定外を想定する―首都直下被害想定の限界を超えて

特集:企業の危機管理

田中淳

2015年12月1日

 BCPを検討する際に、量的な検討をする必要がある。そのためには、できるだけ具体的な災害被害の想定が望ましい。東日本大震災が我々に突きつけたのは想定外を想定するということであり、この教訓は災害想定の難しさを突き付けたが、同時に災害想定の重要性を指し示すものだったともいえる。
 しかし、首都直下地震の災害想定には難しい点が多々ある。そもそもが、首都直下地震と称される地震タイプは、単一の地震断層が特定されている訳ではなく、震源によって被害が発生する場所や災害の様相は大きく変わってしまう。まして、企業が自社の防災を考えるにあたって、事業所の立地場所や事業所を繋ぐ経路等特定の箇所の被害が重要となる。つまり、国の災害想定とは異なり、企業の災害想定には空間的により細かい解像度が要求される。したがって、国の首都直下地震の被害想定を見る際には、対象とされている19地震からもっとも影響が大きいものを選ぶことになる。ただし、地震によっては社会全体が大きく変わってしまう。災害後の需要は大きく変化するし、資金調達や中間財の調達など市場自体が平常時とは変わってしまう危険性があることから、最大の被害をもたらす都心南部直下についても目配りが求められる。
 首都圏は、90年前の関東大震災以降、大規模地震に襲われていない。他の災害を含めても、大規模噴火の影響は300年間受けていないし、比較的頻度の高い水害ですら、大規模なものは70年前のカスリーン台風にさかのぼる。つまり、首都圏に現在の社会資本が形成されてから、大規模な災害に襲われたことがない。高度に集積している都市機能が、災害によってどのような影響を受けるか分からないものも多い。首都圏という人口密集地であり、低確率の事象も母集団が大きくなると、つまり都市規模が大きくなると発生しうる。構造物のように設計仕様の明確なものは計算やシミュレーションをすることで影響を評価することはまだ可能であるが、円高になるか円安になるかのように、そもそも因果関係が複雑であり、設計図を持たない社会経済活動への影響については、予測するだけの十分なデータ蓄積はない。首都直下地震ともなると、これまでに体験していない、あるいは確率的に表現されない特異な事象の発生が状況を規程する可能性を否定できない。
 この点を意識すれば、被害を地震動の特定からたどって行くだけでは制約があるといえよう。たしかに、物的被害は地震動と言う外力に規定されるが、首都直下地震ではその物的被害の想定には幅がある。しかし、社会的影響は、物的被害の想定以上に幅があり、しかも必ずしも地震動だけに依存するのではなく、事前の対策状況や災害発生後の対策実施状況により強く規定される。
 実は、意識されにくいが、他社の災害対策が災害後の安全確保や経営環境を、それも大きく制約する。分かりやすい事例は、停電であり、鉄道の運休であり、ガソリン等の供給状況であろう。たとえば、鉄道事業者は、震度5を超える程度の揺れとなると、安全確保のために運転を停止し、安全確認を実施する。つまり、運休等は少なくとも初動においては被害によらずに、安全確保のために停止する。電力でも、ガスでも、石油精製においても基本的には状況は同じである。復旧段階においても、最も効率の良い復旧優先順位が選択される。つまり、各社の復旧論理は異なり、復旧される地域も異なる。かつ  
 首都直下地震となると、供給能力が需要を下回る可能性が高く、必要な物資やサービスを入手できるかどうかは、物的被害にだけ依存する訳ではない。企業の対応は電力、鉄道、燃料の問題を含め、応急対策計画に、そして復旧の論理に依存する。BCPは企業内にとどめられ、相互に参照できる環境にない。共有できる仕組みが必要だ。
首都直下地震による災害想定を考える上で、マーケットの変動を視野に入れることは不可欠である。アメリカでのテロ事案から始まったBCPは、需要の変動が十分に議論されている訳ではない。しかし、首都直下地震を受ける人口や企業群は、これまでの災害とは比べようがないほど大きい。日本の人口の1割以上が直接、間接の影響を受けることになるのである。
 同様に、金融マーケットや労働マーケットも大きく変質する可能性を視野に入れておくべきだ。実際に、関東大震災当時の政府は外債を発行している。国内で資金調達を図ると、企業の資金調達に影響がでることを懸念してのことだった。そして、その金利は7%近くであり、その負担は戦争による経済混乱まで続いたという。復興投資の果実は海外へ流出したのである。阪神・淡路大震災の復興投資の9割が兵庫県外に流出したとする試算が出されているが、それを国レベルで起こしてはならない。