東京「広域ゼロメートル市街地」の大規模水害への備え
特集:大規模水害に立ち向かう
東京大学生産技術研究所 加藤孝明
2015年6月1日
日本の三大都市圏は、海抜ゼロメートル地帯を抱える。国土交通省によれば、東京、名古屋、大阪、それぞれ176万人(116km2)、90万人(336km2)、138万人(124km2)が居住する。ここには、膨大な都市ストックが現在までに形成されている。万が一、大規模水害が発生した場合、甚大な被害が発生する。このことは、カスリーン台風(1947)、国土交通省浸水想定区域図、内閣府の大規模水害の被害想定報告書を見るまでもなく、明らかである。水は高いところから低いところに流れるという自然の法則を考えれば、至極当然の話なわけである。
今後の気候変動の影響をふまえると、「治水は国土交通省河川局(あえて旧称で)に任せておけばよい」という時代はとうの昔に終わりを告げている。治水に加え、はん濫を前提とした避難計画といった市街地側の対策とセットで行うことは必然である。しかし「広域ゼロメートル市街地」に関してはそれだけでは不十分である。「広域ゼロメートル市街地」とは、海抜ゼロメートル地帯に広範囲に連坦する低層・高密な市街地と定義し、私達のグループで2004年ごろから使い始めた言葉である。広域ゼロメートル市街地では、はん濫時の避難計画がある意味破綻していると言ってもよい。例えば、葛飾区では、荒川はん濫時にはほぼ全域が浸水する。浸水深の大きい沿川地域に居住する約27万人が千葉県内を含む10km程度離れた場所に避難することになっている。しかし洪水までのリードタイム内での避難のオペレーション、すなわち、移動手段の確保、交通規制、災害時要配慮者への支援を考えると、現実的な解を見出すことは難しい。かといって、マンション等の身近な非浸水空間への避難は、そもそも絶対量が不足していることに加え、取り残された場合の苦難を考えるとこれも現実的ではない。海抜ゼロメートル地帯であるがゆえに排水する必要があり、完了までに3週間以上かかるとも言われている。その間、数十万人が救助の順番待ちをするという構図である。現在、行政、市民、専門家がこうした現実を見据えた上で、協働して知恵を出している。
そもそもどうしてこういう状況に陥ったのか。一つは大量の地下水汲み上げによる地盤沈下である。地盤沈下は、日本の近代化、工業化に伴って始まり、天然ガス採取のための揚水を終える昭和47年(1972)まで続いた。東京都の記録によれば、最大4.5mが観測されているが、観測開始時点ですでに地盤沈下がすすんでいた地点があるので、実際はもっと大きい可能性が高い。理由はこれだけではない。それは市街化のあり方である。例えば葛飾区新小岩周辺は、日本の近代化が始まる明治時代から終戦までは一貫して田園地帯のままである。市街化が進むのは、戦後の高度経済成長期である。わずか、10年~15年の間に一気に低層建物による市街化が進み、現在の現実的な解を見つけづらい市街地となったのである。市街化が本格化したのは、すでに地盤沈下が記録された時代、かつ、その後の経済成長の見通しをふまえれば地盤沈下がさらに加速することが認識できた時代であった。歴史に「たられば」はないが、もしもその後の地盤沈下を予め織り込んで計画的に市街化していたとするならば、現在の困難な状況を防げたのではないか。例えば、地盤沈下の進行を見越し、同時期に計画された多摩ニュータウンのような中層住宅団地を計画的に建設していったとするならば、現在のオランダのように垂直避難で対応できる街になっていたはずである。ハザードを考慮した計画的な都市づくりが如何に重要かを示している事実である。翻って今後の広域ゼロメートル市街地のあり方を考えると、長期的な視点に立って「ハザードを考慮した都市づくり」という概念を重要な柱として位置づけ、今後の市街地の更新、建物の建替えを通して、浸水に対応できる安全な市街地を形成していく必要があると考える。すでにその議論は始まっている。広域ゼロメートル市街地・葛飾区新小岩北地区では、行政、学識、住民、NPOが同じ方向性で議論を行う枠組みがボトムアップで形成され、短/長期、ソフト/ハード、日常/災害時のバランスのとれたまちづくりの活動と議論が「悠々として急ぐ」をモットーに今進められているところである。