岩手県野田村における復興教育への関わりから
シリーズ「東日本大震災」
定池祐季
2014年12月1日
東日本大震災を受けて、特に被災地の学校教育現場は大きな変化に見舞われている。人的・物的被害に加えて、大きな環境の変化に直面した学校は多数に上り、各学校において様々な取り組みがなされている。そこで、本レポートでは岩手県の復興教育、特に筆者が関わりを持っている岩手県野田村立野田中学校の取り組みについて報告する。
いわての復興教育は、「郷土を愛し、その復興・発展を支える人材を育成するために、各学校の教育活動を通して、3つの教育的価値(【いきる】【かかわる】【そなえる】)を育てること」(岩手県、2013年)と位置づけられ、2012年度より本格的な取り組みが始められている。復興教育には、「防災教育」「健康教育・こころのサポート」「キャリア教育」「ボランティア教育」「道徳教育」「地域との交流」「他地区との交流」「各教科指導」というアプローチがあり、従来の教育活動を踏まえつつ、新たな取り組みもなされている。
筆者が最初に野田村を訪問したのは2013年3月11日であり、弘前大学発のボランティアバスに同乗し、村の追悼式に参加した。その後、大阪大学野田村サテライトキャンパスのオープンセミナーにて、筆者自身が体験した北海道南西沖地震(1993年)の復興プロセスについて話題提供をした際に、中学校の先生方と出会い、その後の展開に結びついた。
まず2013年6月、キャリア教育の一環としてキャリア講演会が開催され、奥尻島での体験から研究者になるまでの道のりについて講演をした。その際に生徒から寄せられた感想の中には、中学生だった筆者の実感として述べた「当たり前に来ると思っていた明日が来なかった。日常は当たり前のものではなかった」という点についての共感や、進路選択に際する思いが寄せられた。
続いては2013年11月、1年生25名を対象とした理科の授業に参画した。地震の単元といえど、教科書の内容を逸脱せずに防災の視点を盛り込む難しさを痛感した。どのようなアプローチをするか事前に打ち合わせを重ね、最終的に担当教員のアイディアにより、教科書中の防災に関わる「3行」の記述を1時間の授業に発展させるという試みを行った。担当教員が授業を行い、筆者は事前の資料提供と、ポイント的な解説役として授業に関わった。その後、学内の研究会が開催され、授業内容の吟味、他の防災授業との関連性、筆者を含めた「外部人財」の活用方法について教員間で議論がなされた。
そして今年度は2014年9月19日、こころのケアの専門家である兵庫教育大学冨永良喜教授とスクールカウンセラー石塚氏と共に、防災教育とこころのサポートを合わせた特別授業に加わった。ストレスマネジメントの話の後に、筆者が中学生の時に書いた災害時の作文を配布・朗読し、冨永教授からのインタビューに答える形で、筆者が中学生だった頃のエピソードを語る形式をとった。その後、生徒からの質問や感想に応え、再びこころのサポートに関する授業内容へと移行した。生徒からの感想では、筆者の体験談をきっかけに、「被災」をするとはどういうことか、という観点でのそれぞれの思いが吐露される場面が見られた。また、生徒から寄せられた授業の感想の中には、中学生時代の筆者の体験への共感や、思いやりの言葉、将来に向けた思いなどが記されていた。
筆者が野田中学校の教育活動に関わったのはこれまで3回に過ぎないが、野田村では、野田中学校に加え、野田小学校、久慈工業高校が村の都市公園事業に参画する試みが行われている。この都市公園は2016年度の完成を目指して進められている津波防災緑地であり、中学校は現在、どのような種類の木を植えるかを決定し、苗木を育てるという役割を担っている。これらの試みは東日本大震災以降、継続して続いているものであり、東日本大震災からの復興に地域の子ども達が関わるということと、将来的には災害経験の継承につながっていくことが期待される。今後も野田中学校の教育活動に関わる中で、防災教育を含めた災害経験の継承などについても調査研究を進めていく所存である。
参考資料
「いわての復興教育」プログラム 改訂版 2013年2月 岩手県教育委員会
謝辞
野田中学校への訪問を含む、野田村における研究等の活動は、文部省科学研究費「北リアスにおけるQOLを重視した災害復興政策研究−社会・経済・法的アプローチ」(研究代表者 李永俊)の一環として実施している。