特別警報と災害情報のインフレ化
特集:特別警報ー課題と改善の方向性ー
関谷直也
2014年12月1日
7月8日あたりから台風8号においては日本で初めて台風を原因とする特別警報が出された。沖縄県では県民の4割にあたる54万人に避難勧告・避難指示が出された。とはいえ、死者は発生していない。沖縄で「特別警報」が初めて出たことによって、「どこに避難すればよいのか」と役場や気象台に問い合わせが相次いだ。また広域に出されたため、地域によっては風雨がなくなっても、この警報が出続けた。
沖縄県では「台風文化」がある。常に台風が来襲しているので、基本、建物は鉄筋コンクリート建ての家が多く台風のときは、家から出ない、飛んで行って危険なので傘を差さない、という文化がある。沖縄県民にとっては、通常通りの台風への対応をすればよかったのだが、情報体系が変更されたことによって行政は戸惑い、人々もどう対応すればよいか迷った。「混乱した」といってもよいだろう。
もともと、特別警報は府県単位の広がりをもった広域の警戒を促す情報である。また特別警報が出されるときは、府県単位で出されている警報がすべて特別警報へ切り上げられる。台風襲来時にはそれまで出されているほかの種類の警報が特別警報に切り替わる。
それらが住民、行政、マスコミに伝わっていないという点を問題にするのは簡単だ。だが問題なのは、そもそも住民、行政、マスコミが「特別」な警報に求めているのは「広域」に異常な気象現象が発生していることを知りたいのではなく、「ある地域」で災害に至るような事態が発生するかという点である。だからこそ、伊豆大島の土石流、山梨を中心とした大雪、広島の土砂災害など、災害が起こるたびに、なぜ特別警報が出なかったのかが論点になるのである。また、気象庁は、これまで市町村毎に警報をだすように制度を変えてきた。だが、それと府県単位で警報をすべて特別警報へ切り上げる点は整合性がとれているとは言えず、分かりにくい。
技術的に可能かどうかの問題ではない。「気象庁の出せる情報」と「社会が求めている情報」が異なっており、その間を理解しないまま制度が設計されてしまったから混乱をうんでいるといってもよいだろう。このコミュニケーションのギャップを埋め、情報への啓発を行うことも重要だが、その前に、特別警報のみならず、場当たり的に積み上げてきた予警報の体系の整理が必要である。
また、特別警報がはじまってから、「特別警報がでるかもしれない」という会見を気象庁が事前に行うようになった。このため本来警戒、注意をしなければならない「警報」「注意報」の意味が薄くなってきたという点も問題である。
これは特別警報のみの問題ではなく、災害情報全体の問題だ。災害情報の提供方針は「空振りを許容する」「見逃しを少なくする」という方向性にあるといってよい。いわゆる「オオカミ少年を恐れるな」「空振りを恐れるな」というのが合言葉になっている。平成26年9月には、「避難勧告等の判断・伝達マニュアル作成ガイドライン」が制定された。ガイドラインでの基本的な姿勢は、「『屋内での待避等の屋内における安全確保措置』も避難勧告が促す避難行動とすることとする」となっており、空振りを恐れずに避難勧告・避難指示を躊躇せず出すように促している。災害対策基本法の改正によって、避難勧告・避難指示とは、屋内にいる安全確保行動も含まれることになったから別に呼びかけ自体はおかしくないという言い訳もわからなくはない。
これらの行きついた先が、現在の「避難勧告・避難指示のインフレ化」である。どこに災害が発生するかわからないから、またマスコミからの批判をさけるために「空振りを恐れずに」自治体の全域に避難勧告を出すという自治体が多くなってきた。2014年10月に来襲した二つの台風でも、台風18号では12都府県で357万人に台風19号では22府県で181万人に避難勧告・避難指示が発表された。だが一体どれだけの人数が避難行動(台風を意識しての安全確保行動も含めて)をとったのだろうか?避難勧告・避難指示などは小学校、中学校、高校では習うことはないのでその意味すらも知らない人がいるし、約60年間、「避難勧告=避難所への避難」と呼びかけてきたのである。法律が変わったからといって、それがすぐに周知される訳ではないのである。
「空振りを恐れるな」と市町村が「全域一斉避難勧告」を行い、全国で避難勧告・避難指示が乱発されればされるほど、危険な地域とそうでない地域、風雨や河川、土壌雨量の状況などをみて地域毎にきちんと判断している市町村ほど割をくう。避難勧告・避難指示が乱発されれば、住民も避難勧告・避難指示の意味をしっかり把握できなくなるし、マスメディアも伝える価値がないと判断していくようになる。避難勧告・避難指示の価値は低下する。
特別警報の呼びかけのみならず、災害情報を早め、広めに出すのは正しい訳ではない。避難の判断を住民自らが行うという「自助」の前に、その判断を促すために危険性を伝えるという行政としての「公助」の責任を自覚する必要がある。