報告書 火山噴火の予知と報道

1992年12月1日発行

① 災害の概要

昭和61年11月21日、伊豆大島三原山が大噴火を起こした。「昭和61年伊豆大島噴火」と命名されたこの噴火は、全島民の島外避難、一か月に及ぶ避難所生活という事態となった。

1991年5月24日雲仙普賢岳で火砕流が発生するようになったが火砕流は日ごとに規模が大きくなり、6月3日の火砕流では報道陣・消防団・警察官・住民など43人が死亡する惨事となった。

② 調査の内容

伊豆大島と雲仙普賢岳の報道に関して記録を分析した。

③ 主な結果

1986年伊豆大島噴火と予知報道:

11月15日の噴火に関する報道:「朝日新聞」は見出しにおいて「噴火ない」とし、「毎日新聞」は「規模の大きい噴火になる可能性は薄い」という表現を使い、「読売新聞」は見出しで「溶岩流出なさそう」といった書き方をしている。21日までの新聞報道では「朝日新聞」「毎日新聞」「読売新聞」各紙と17日の段階では溶岩流が住宅まで来る可能性は低いと報じている。

11月21日の噴火に関する報道:各社第一面の大半を使ったトップニュースであり、社会面だけでなく総合面等に特集記事を掲載している。

11月28日の予知連会長コメントに関する報道:11月21日夕方突然の割れ目噴火による溶岩流出し大島町は島内各地域に避難命令を出し、約一万人の島民が島を脱出した。28日ふたたび予知連の緊急連絡会が開かれ会長コメントが発表され、翌29日の一時帰島が決定された。

全面帰島決定までの報道:一時帰島が終わった翌日8日に第一回の予知連大島部会会議が開かれ、これ以降の予知連の見解が全面帰島のよりどころになり、12月12日に前面帰島が決定した。

社説における「予知」および「予知連」の評価:三紙の社説をみると、これまでのストレートニュースであまり出てこなかった予知および予知連の現状に対する理解が示され、それが正確に把握されたうえで、大島噴火における反省点と今後の課題について述べており、予知および予知連に対しほぼ妥当な評価がされていると思われる。

1991年雲仙岳噴火と火砕流報道:

火砕流の発生:この火砕流は当初、噴火に伴う「溶岩の崩落」と発表され、火砕流と公表されたのは、翌25日17時10分発表の「臨時火山情報第34号」においてであった。新聞記事にも「小規模な火砕流」という表現がまるで熟語のようにしばしば登場し、「小規模」は文字どおり「たいしたことはない」ものと受けとってしまった。

5月26日のやけど事故以降、6月3日まで:5月26日、火砕流により作業員がやけどを負うという出来事があった。火砕流によるやけどの重大性がテレビではほとんど報じられていないという印象を受ける。時間を追って火砕流の規模が大きくなり、専門家の発言は、火砕流警戒の呼びかけが強まっていくようすが理解できるだろう。

火山噴火予知連絡会の統一記者会見:5月31日の火山噴火予知連の統一記者会見について、6月1日の全国紙のなかにはこの会見の記事がまったくないものや、あっても小さくしか扱わないものが少なくなかった。

④ 提言・結論

新聞で報道されたことと予知連や気象庁が発表したものとが違うかたちで報じられ戯けではないが、言葉の表現、一部の誇張、一部の欠落などによる「報道の歪み」とでもいったものが生じている。その原因は「発表の聞き逃しや勘違い」、「ゲート・キーピングにおける判断」、「記者の先入観や観念的な見方」、「意図的な報道や期待する方向への解釈」、「記者の専門的な知識の欠如」ということがあると思う。