報告書 1989年伊東沖海底噴火と災害情報の伝達
1991年3月1日発行
① 災害の概要
1989年6月末から7月はじめにかけて伊豆半島東方沖に激しい群発地震が発生し、地震回数が多く震源の深さも5キロ程度と浅かったため、伊東市では激しい揺れとなった。7月9日マグニチュード5.5の地震が発生し震度6を記録し、負傷者22名、7ヵ所のガス漏れ、2400世帯の停電、屋根・外壁など1445件の家屋被害を生じた。予定を早めて帰宅する宿泊客が続出し、旅館の予約をキャンセルの数も急増した。伊東温泉では8日(土曜日)宿泊客の3分の2にあたる10,000人が解約し群発地震発生以来のキャンセル数は53,000にのぼったという。
② 調査の内容
調査は、1989年9月から10月にかけて、伊東市宇佐美地区の1007世帯を対象に留め置き法により実施した。回収数は859、回収率は86%である。
③ 主な結果
伊東沖海底噴火と災害情報の伝達:
群発地震から連続微動へ:7月3日には震度2が2回、4日には急増して震度2が68回、震度3が56回、震度4が11回、震度5が4回と総計138回の有感地震があった。
マスコミの取材と報道:伊東市には最盛期は500人を越える報道関係者が殺到して観光客がいなくなった旅館やホテルにはかれらの姿ばかりがめだつという状態になった。強引な取材を行い市当局の防災活動を阻害しり無神経な取材をして住民から反発を受けたりしたという。
災害流言の発生:伊東市内では、地震の発生、噴火、津波などの流言が飛び交い7割近くの人は信用しなかったが、行政当局は対応に追われた。
「津波情報さわぎ」の発生:7月15日午後4時の海底再噴火により、伊東市が「同報無線」で津波に対する注意を喚起したが、津波が発生したと誤解した市民が避難などの行動をおこした。
「余震情報パニック」と「避難準備指示パニック」:津波騒ぎは行政機関の流した情報が誤解されて混乱が生じたケースで、県の発表文の「最悪の場合、M6程度の余震が起こる」という表現が「PM6時に大地震が起こる」と誤解されたようである。
伊東沖海底噴火と住民の対応:
群発地震に対する心理と行動:8割の人が過去の群発地震と比較して、今回の地震は今までと違うと感じていた。群発地震時のとっさの行動は「動けなかった」17%、「様子をみた」51%、「火元を止めた」44%である。
連続微動発生時の心理と行動:連続微動を「実際に自分で感じた」人は61%であり、そのうち「くい打ち機や大太鼓のような音」を聞いた人は8割である。
流言の聴取とその信用度:地震微動の後、7割近く人が何らかの流言を聞きそれを信用した人は2割程度であったが、8割のひとが不安を感じた。
海底噴火時の心理と行動:宇佐美地区の住民が海底噴火を知ったのは、マスコミ情報:37%、音を聞いた:23%、目撃した:15%であった。
伊東市民の防災対策:今後の噴火について4割程度の人が不安を感じているが、防災対策を強化した家庭は多くない。宇佐美地区では防災対策をしていない人が15%程度いる。
④ 提言・結論
1989年7月に発生した伊東沖噴火は,高度情報社会における災害情報の問題,とくに予知情報と情報メディアの問題点を,まさに象徴的に示したものであった。そこにはこうした社会がもつ可能性と現実の断絶が投影されているといってもけっして過言ではない。ややおおげさではあるが,このケースの分析を通じて情報社会の「光」と「影」がみえてくるともいえるのではないか。