報告書 1988年12月の十勝岳噴火をめぐる自治体・住民の対応 -「見えない」危機との戦い-

1990年12月1日発行

① 災害の概要

昭和63年(1988年)末に十勝岳が噴火した山麓下の一部地域で住民の避難が行われたが、直接的には人的・物的被害をもたらしてはいない。しかし、昭和37年(1962年)6月の噴火では、硫黄採掘作業員が5名死亡、11人負傷という惨事を生んだ。1989年4月末以降、その活動は静かである。3カ月余も避難生活を強いられた白金温泉地区住民への避難命令も解除され、地元の住民生活は一応平常に復している。

② 調査の内容:

上富良野町日新、草分・日の出地区の緊急避難地域及びその周辺地域、上記地域の120世帯の世帯主、1989年2月20日、調査員による個別面接法、回収数(回収率):112(99%)

③ 主な結果

今回の十勝岳噴火で上富良野町と美瑛町は・地域防災計画の修正・充実や,災害予測図を住民に公表した。災害予測図の作成・公表は、防災計画以外にも副次的効果をもたらすことが町・住民の対応から明かになった。その一つは,自治休や住民の災害に対する関心を高めるということであり、自治体の側は防災対策に一層責任感を強くし,住民の側も防災への関心が高まるものと考えられる。「緊急避難図」の公表には93%の住民が賛成し、賛成の理由として「噴火のときにどうしたらよいかわかる」を上げた人が75%いると同時に,「防災への関心が高まる」と回答している人が50%いる。

④ 提言・結論

十勝岳噴火は、1988年末から今日までの町や住民の対応は、全ての防災対策にとって貴重な教訓を残すものといってよい。十勝岳は,集落から25キロも離れた場所にあり、気象条件から麓から観察することもできず、町や住民の噴火時の対応はまさに「見えない危機」との戦いであった。教訓の第一は,災害に備えての事前の防災対策の重要性である。今回の十勝岳噴火で渦中におかれた上富良野町と美瑛町は・地域防災計画の修正・充実や、災害予測図を住民に公表した点などから、「火山防災先進地域」といわれた。このような町であればこそ,昨年末からの具体的な対応が可能であったということができる。

両町の地域防災計画や災害予測図は、今回の噴火でいくつかの欠陥があることが明らかになった。被害想定や災害予測図は、防災計画を立案する上で不可欠のものである。今回の十勝岳噴火では,町と住民が一体となって災害に対処し状況に応じて町職員や住民からの提言を即座に実行に移していった。欠陥がはっきりした最初の「緊急避難図」の修正と,新しい「緊急避難図」の配布は,職員の提言後3日で実行したとか、避難者カードの作成・配布などの対応はかなり素早いものであった。昨年末の避難命令が,結果的には「空振り」に終わったにもかかわらず、大多数の住民は好意的に評価している。上富良野,美瑛の両町が,住民への情報伝達にきわめて積極的であったことも,「住民参加型」の防災対策を作り出したともいえる。

 十勝岳噴火に対して町や住民がやるべきことは既に尽くされたといってよく、今後に残された課題は,より抜本的な防災対策であると考えられる。上富良野町と美瑛町は、「活動火山対策特別措置法に基づく避難施設緊急整備地域の指定」「火山噴火観測体制の強化」「泥流監視装置の充実」「防災行政無線の整備」「十勝岳火山砂防事業の促進」等を含む8つの要望書を国に対して提出した。これらはいずれも、財政規模の小さい地方自治体では解決できない問題であり国の火山対策に待つところが大きい。

さらに今後の検討課題として「避難命令」は,災害対策基本法60条に基づいて市町村長が「指示することができる」避難勧告や避難指示であるが,それに従わないものに対する強制力がないにもかかわらず、発令解除も同条で法的に定められ、発令者の責任のみが強く問われるためその発令が躊躇される場合が少なくない。今回の十勝岳噴火でも、「避難命令」が両町長からだされたが、その後数次にわたって火山活動情報が気象台から発表されたにもかかわらず、「避難準備指示」とか「待機指示」とかの法的根拠のない警報が出されただけであった。避難の意志決定は住民主体であるべきという立場からすると、発令者の責任が問われるような「避難命令」の考え方は検討すべきではないかと思われる。市町村行政の最高責任者である市町村長は,防災行政にも責任を持つことはいうまでもないが、その責任があるが故に発令が躊躇されるような「避難命令」の考え方は、現実の災害時にはマイナスに働くこともありえる。もう少し自由に避難勧告・指示が出せるような合意が、防災行政の中で醸成されていくことが必要ではないかと考えられる。