報告書 1988(昭和63)7月「浜田水害」と住民の対応
1990年1月1日発行
① 災害の概要
1988年7月14日から15日にかけて島根県浜田市に集中豪雨が襲った。浜田市は過去にもしばしば集中豪雨に見舞われてきたが15日の日雨量は394.5ミリに達し1912年に浜田測候所が開設されて以来最大の記録となった。15日明け方には浜田市内を流れる浜田川などの河川が氾濫し、多くの住家が全半壊・床上浸水などの被害を受けた。また山間部ではがけ崩れが多発し、とくに三階町や後野町の被害がいちじるしかった。浜田市の被害は死者2人、行方不明3人、重軽傷27人、住家の全壊61世帯、半壊65世帯、床上浸水1640世帯、被害総額494億5800万円にのぼった。
② 調査の内容:
島根県浜田市牛市町・紺屋町・錦町・下府町の全世帯、平成元年3月、留め置き自記式、世帯数:910、有効回収数:734、有効回収率:81%
③ 主な結果
被害の概要:床上浸水住宅は,避難命令の発令された牛市町・紺屋町・錦町のほうが,下府町より住宅被害が多少多くなっていた(牛市町・紺屋町・錦町28.7%,下府町15.9%)。「家財道具に被害を受けた」人は両地域ともほぼ2割程度だったが「商品被害」、「設備・機械被害」、「戸や壁の被害」などは牛市町・紺屋町・錦町のほうが多かった。
大雨洪水警報の認知と信頼:松江地方気象台が7月14日午前発令た「(大雨洪水警報を)水害の起こる前から知っていた」という人は、牛市町・紺屋町・錦町で49%,下府町で37%である。大雨洪水警報の情報源は両地区とも「テレビ」が圧倒的に多い(牛市町・紺屋町・錦町75.2%,下府町78.9%)。「警報どおり大雨や洪水が起こるかもしれないと思った」人は牛市町・紺屋町・錦町のほうが多く、「雨はかなり降ると思ったが災害が起こるとは思わなかった」人は下府町のほうが多くなっていた。
避難した人々の対応:「避難しなかった」人が牛市町・紺屋町・錦町で9割、下府町で7割であった。少数の避難者があげた避難の理由は「雨が激しくなったので家族と相談して」(牛市町・紺屋町・錦町53.3%,下府町43.3%)だった。
避難しなかった人々の対応:避難しなかった人の半数近くの人が「2階に逃げればいい」「避難の必要はないと」と考えていた。
水害時の情報ニーズと情報行動:65%の人が「気象情報」、48%の人が「災害情報」のニーズを強く感じていた。同報無線が理解できた人は半数程度であり、そのうちの4割程度の人は同報無線が有効であったと思っている。
避難命令への対応:6時15分に避難命令が出たが、それを受け取った人は3分の1程度であった。「市の防災無線」から聞いた人はそのうちの6割程度で、3割程度は「広報車」から聞いている。避難命令を聞いても、9割弱のひとは避難しなかった。同胞無線から避難命令を聞いた人のうち内容がよく理解できた人は2割弱であった。
個別受信機の導入について:半数近くの人が全世帯に個別受信機の設置を望んでいる。自己負担で導入を望む人は3割程度で2万円程度なら許容できるひとが大半である。
日頃の防災対策とその効果:日頃の防災対策を何もしていない人は1割程度で、大半の人が何らかの防災対策(情報行動:6割程度、保険に加入:4割程度、非常持ち出し品:3割程度、貴重品を高所に保管2割前後)を行っており、半数近くが有効であったと考えている。
④ 提言・結論
今回の水害では、物的被害は1983年の水害と相違がないのに人的被害がいちじるしく少なくなっていた。その理由はいくつかあるが、住民の水害への防災意識が高まったこと、および災害情報システム(同報無線)が導入されたことによって今回は住民の早期避難が可能になったといえる。