報告書 1986年伊豆大島噴火における災害情報の伝達と住民の対応
1988年1月1日発行
① 災害の概要
昭和61年11月21日伊豆大島は200年ぶりの大噴火に見舞われわずか12時間で1万人を超える住民が島外避難を余儀なくされた。61年12月19日から22日にかけてほぼ全員が帰島した。
② 調査の内容
伊豆大島噴火における住民の対応:大島町に在住する20歳以上の男女1000名、選挙人名簿により無作為抽出、調査員による個別面接聴取法、昭和62年2月1日~7日、改修数:807票(80.7%)
伊豆大島噴火後の観光客意識調査:東京(竹芝)、熱海から船で伊豆大島へ行く観光客、1987年2月19~22日、2月26日~3月1日、竹芝(東京)、熱海からの乗船客から515名を有為抽出
③ 主な結果
伊豆大島噴火における防災機関の対応と情報伝達:
東京都の対応:1986年11月15日の第1回噴火後は東京都も警戒体制をとり災害対策部職員を2班(A班とB班)に分け本部に2人が泊まり込みをするなど非常時の出動体制をとった。最初の避難指示は21日午後5時に温泉ホテルの宿泊者、従業員に対してなされた。
大島町の対応:15日の噴火直後、大島町は同報無線を通じて通行規制と住民への注意事項を放送した。21日大島町役場では噴火の直前から住民避難にいたるまで、様々な情報を流している。
伊豆大島噴火における住民の対応:
噴火前の対応:噴火時の防災対策をしていた人も少なく、「何もしなかった」人は73.2%いた。
11月21日の噴火時にいた場所と住民の行動:85%強の住民が自宅ないしその周辺にいた。住民が噴火を最初に知ったきっかけとしては、直接目や耳で知った人が圧倒的に多い。
避難指示の聴取:噴火の当日避難準備指示を聞いた住民は半数程度であった。「町の防災無線の放送(有線放送)で聞いた」人が67%、また「消防団の人から聞いた」人が29%となっていた。
住民の避難行動:噴火当日、自宅を離れてどこかに避難した人は99%ときわめて多かった。
島外避難について:噴火当日に過半数が島外避難を始めている。避難途中で、ひょっとしたら島外避難という事態もあると感じていた人(50%)とそうは思わなかった人(49%)である。
行政への要望:国や東京都に対して要望することは「避難港の整備や避難船の準備」(63%)、「情報連絡体制の充実」(58%)「避難所や避難道路の整備」(43%)など避難関連の要望が多かった。
伊豆大島噴火後の観光客意識調査:
再噴火への不安と危険予想:全体として不安を感じている人が少ない。ほぼ半数の入が前回と同様ないしはそれ以上の噴火を予想している。
噴火前の対応行動予測:「もしあなたが大島滞在中に大噴火が起きた場合、あなたはどうしますか」という質問に対して「避難命令が出るまでしばらく様子をみる」が42%で最も多い。
④ 提言・結論
噴火時の情報収集・伝達上の問題点:同報無線は住民広報用の手段であるが移動系無線は行政連絡用のメディアとしてきわめて有効であり、双方向性をもつため災害現場と対策本部との相互通信が可能であるとともに本部の指示が瞬時に各現場に伝わるという利点もある。大島ではハードの設備が整っていながらソフト面でこれを活用できなかった。今後、中継局の増設、職員の使用訓練の実施、無線局の増設などの措置が必要であろう。また、未確認情報をもう一度確認しなおすというシステムをつくっておくことが望ましいと思われる。火山噴火災害の発生直後には、観光客対策を十分にとっておく必要があると思われる。