報告書 1984年9月長野県西部地震における災害情報の伝達と住民の対応
1985年9月1日発行
① 災害の概要
1984年9月14長野県木曽郡御岳山附近を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生した。木曽郡王滝村は推定震度6の揺れに襲われ、規模な崩落が発生し死者29名、重軽症者5名、全壊住家14棟,半壊73棟,一部破損340棟、被害総額は230億5000万円に達した。
② 調査の内容
おける住民アンケート:昭和59年12月~60年1月、王滝村に在住する20歳以上の男女、無作為抽出、留置自記式、回収数:529名中355名、回収率:67.1%
非難行動面接調査:発震当時に滝越地区に在住していた成人男性6名,女性8名の合計14名、昭和60年3月20日から21日合計6名集団面接。昭和60年4月住民11名個別面接
③ 主な結果
地震当日の避難指示の伝達:長野県西部地震は9月14日午前8時48分に発生したが,王滝村では地震当日「王滝村災害対策本部」を設置し、午前9時10分住民に避難の勧告・指示を決定した。避難指示の伝達は主として,消防団による伝達,および村役場職員による伝達,の2ルートで行なわれた。滝越地区が外部とはじめて連絡がとれたのは午前11時頃のことであり木曽福島のアマチア無線と交信し王滝村と連絡をとってもらった。
行政間情報連絡の混乱:都道府県防災行政用無線が輻輳のため使用不能になった。重要加入電話は関係者や報道機関からひっきりなしに問合せや取材が続き、重要加入電話としての機能を果たさなかった。初期の情報連絡にはもっぱら孤立防止用無線電話機が活用された。無線の周波数が互いに近かったため、著しい混信が起こったという。信越放送が「王滝村臨時放送局」を設置し有線放送の内容がそのまま信越放送の放送として流した。
避難準備指示の発令:避難準備指示を避難指示と誤解し混乱が起こった。
長野県西部地震におけるマス・メディアの対応:王滝村で被害の取材は、マス・メディアは全て情報源が長野の公的機関だった。今回の地震の取材は、取材記者の無神経なマナーやルール違反により民のマスコミ拒否の姿勢が強まった。
長野県西南部地震に関する新聞記事の分析:発災期には被害報道が最も多く,捜索期では行方不明者の捜索救出状況の情報が最も多かった。復旧期においては、情報ニーズの高いライフラインの復旧状況の記事が少ない。
長野県西部地震における住民の対応:当日の地震は,「あまりにも揺れが激しく,非常に危険だと思った」人が過半数に達し(56%),また「無我夢中で何も考えられなかった」人も21%あった。屋内の家具等の被害は72%であった。避難指示を聞いた人は住民の65%。自宅を離れて避難した人は全体の71%であった。9月17日の避難準備指示を23%が「避唯指示」を聞いたと答えている。9月17日流言を聞いた住民は46%であった。地震の当日困ったものは、水道71%、電話65%、交通の便56%、食料や飲料水54%であった。
孤立地域における住民の非難行動:集団非難は,地区住民の側に,日常的な連帯意識と暗黙の合意および自律性が存するために可能となった。
④ 提言・結論
孤立危険地域への情報伝逢手段の設置:王滝村では,滝越地区等は交通が途絶するとともに,情報からも孤立した。こうした孤立危険地域への情報伝達手段を設置することは意義がある。
情報伝達手段の耐震化:情報伝達手段があっても,局舎の耐震化あるいは非常用電源の確保がなければ,緊急時にこれを使用することができない。したがって情報伝達手段の整備にあたっては,その耐震化と非常用電源の配備まで考慮した計画が必要であろう。
情報伝達手段の効果的利用(重要加入電話,都道府県防災行政用無糾など):王滝村では,発災後,都道府県防災行政用無線や重要加入電話が有効に使用できなかった。運用面で輻輳を減少させる工夫も必要となろう。