報告書 1982年7月長崎水害における組織の対応

1983年6月1日発行

① 災害の概要:

昭和57年7月23日に発生した局地的豪雨は長崎市を直撃し甚大な被害を与えた。3時間雨量315ミリの「記録的な短時間弾雨」であった。このため長崎市内では、ガケ崩れ、山崩れ、山津波が41ケ所、河川増水による流失が20ケ所で発生した。死者・行方不明者は262人、流失全壊世帯は463、床上浸水世帯は16,174の惨事となった。

② 調査の内容:

「1982年7月長崎水害」時における各種組織(防災機関、報道機関、ライフライン機関)の対応を、組織内および組織間コミュニケーシンに焦点をあわせて実施した。

③ 主な結果

被害拡大の要因:長崎では、都市化の進展とともに災害に対する脆弱性は増大していた。また、長崎市が集中豪雨に脆弱な地形的条件を備えていた。

長崎海洋気象台の対応:23日の夕刻から集中豪雨が襲いかかった。厳原測候所は午後2時20分、大雨洪水警報を発表した。長崎海洋気象台は3時25分に大雨洪水強風雷雨臆報に切り換えた。

市役所の対応:大雨・洪水警報は総務部企画課に伝達され災害警戒本部が設置された。8時30分に災害対策本部が設置され、翌日以降の避難所の開設と管理、罹災者の救援、台風13号への対応、観光業への影響とその対策など対応を行った。

消防:大雨洪水警報受信と同時に災害対策本部を設置したが当日の夜は、情報が殺到し続け、十分な対応行えなかった。消防隊は出動を開始し住民の救出・救助・避難誘導等の活動を行なった。

警察:7月23日午後県警本部は「災害警備連絡室」を設置し、「警報」発表とともに警備本部に切り替えられた。現場での避難勧告、指示、誘導は各警察署単位で行なわれた。1,713名を主要災害現場に派遣して救助活動に当たらせた。

自衛隊:7月23日午後県知事の派遣要請を受けて、午後9時45分出動準備命令が出された。長崎での捜索活動・救援活動は、県知事からの撤退要請のあった7月31日まで続けられた。

NHK長崎放送:4時56分には警報発令のテロップをテレビで放送し、以後10分から20分間隔でそれを繰り返し、テレビ(スーパー)、ラジオで「避難勧告」が何度か繰り返された。

長崎放送(NBC)の対応:8.時31分からラジオでは以後21時間も連続して水害ニュースだけを伝えることになった。テレビでは午後8時55分のフラッシュニュースに濁流のシーンを送った。

テレビ長崎(KTN): 9時55分には最初の「災害情報番組」を放送した。24日午前零時5分から30分間現場中継を含む災害特別番組を組み込んだ。KTNでは明け方4時まで放送を続けた。

長崎新聞:長崎新聞は、大被害発生の事実を知りながら発災直後は社内からの電話取材が唯の活動であり、他の形での取材は全く不可能だった。災害翌日以降は災害報道では、かなり成果をあげた

水害時の電話輻輳:長崎市では7月23日の午後8時頃から電話網の輻輳が始まり深夜まで続いた。翌日は夜明けと共に電話の呼が急増しその日一杯輻輳状態が続いた。

九州電力:午後7時頃から九州電力の電力供給に支障が出はじめ24日の午前0時にはそのピークに達し、長崎市内で計62,000戸が停電し、停電率は30.4%に達した。

西部ガス長崎支店:10時10分には現地災害対策本部が設置された。24日午前零時30分に八千代町の製造工場より南の41,700戸のガス供給を停止した。ガス復旧作業は8月2日に完了した。

長崎市水道局:7月23日深夜には長崎市の中央水系では断水率が61.4%に達した。

④ 提言・結論

長崎市防災会議は、58年3月末、水害時の経験を反省し、その「地域防災計画」の見直しに関する基本方針を発表し、組織上の問題点として、(1)防災意識の啓蒙、(2)情報の収集及び伝達、(3)避難の勧告、避難誘導、(4)災害直後における応急対策、の四つを指摘している。