報告書 1983年10月三宅島噴火における組織と住民の対応

1985年2月1日

① 災害の概要

1983年10月3日、三宅島は62年8月24日以来21年ぶりに噴火した。阿古地区に向かった溶岩は集落に至り、焼失・埋没による全壊家屋340棟、溶岩流のため出入不能となった家屋190棟、文教施設の全壊2校7棟、歯科診療所1棟を数える被害を生じた。また、マグマ水蒸気爆発により噴出した大量の噴石と火山灰が農作物等に大きな被害を生じた。噴火による罹災世帯は総計510世帯(三宅村全世帯の11.6%)、被害総額は推定217億1800万円にのぼっている。

② 調査の内容

避難住民調査:1983年10月26日~29日、避難所にいた一般成人、調査方法:調査票を配布

阿古・坪田地区住民調査:在住の20歳以上の男女1200名、昭和59年1月12~17日

バス運転手調査:噴火当日住民の輸送にあたった運転手11、昭和59年2月

阿古小・中学校調査:阿古小学校90名、阿古中学校58名、昭和59年3月1日

集団面接調査:阿古小学校児童5名、坪田中学校児童13名、昭和59年3月1日

③ 主な結果

三宅島測候所:10月3日午後2時地震計は無感の火山性地震を記録し始め2時46分所長は村長代理に電話連絡した。3時30分頃突然サイレンが鳴り、同報無線から噴火の放送が聞こえてきた。

三宅村役場:三宅村役場では、午後3時40分、「三宅村災害対策本部」に移行し、阿古地区に対し避難指示を発令するとともに、避難先を伊豆地区に決定し、午後3時50分阿古地区10ケ所の固定子局を通じて避難指示を行った。避難ため村営バスの出動を決定した。

三宅島警察署:「甲号三宅島現場警備本部」を設置し、雄山の監視、本部への状況把握、異常発生時における住民の避難誘導、を指示した。

三宅村消防本部・三宅村消防団:午後3時40分、村役場災対本部が設置されると、消防本部では直ちに警鐘によって各分団の分団員254名の招集を指示した。

三宅島噴火における住民の対応:噴火当日の10月3日の避難者は1,774人、4日は713人、5~10日は600人台となっている。島外避難も少なくなく延べ859人となっている。

阿古・坪田地区住民の対応:噴火の数ケ月前からさまざまな異常現象に気づいたという人が少なくなかった。噴火当時自宅以外にいた人が阿古地区46%、坪田地区52%、また、仕事に従事していた人が阿古地区60%、坪田地区55%と最も多くなっている。

小・中学生の対応行動:阿古小中の生徒達の実に64.2%は、自宅から離れていたものは家に向かい、あるものは避難の準備をはじめ、阿古小中学校に行くといった避難行動をとっていた。

バス避難の実行:噴火時の避難手段として両地区とも乗用車を使った人、阿古地区では59%、坪田地区では52%に達していた。阿古地区では村営バスで避難した人が第二位を占め、26%もあった。

④ 提言・結論

防災機関の対応の特徴:人的被害はきわめて少なかったのは.噴火直後の防災機関の対応が迅速だったため。避難誘導活動が適切であった。噴火の1ケ月半前に総合防災訓練を実施していた。

情報伝達・連絡体制の問題:噴火当日は放送がこだまして聞き取りにくかった地域があり同報無線の使用マニュアルをきちんと作っておくことが必要である。移動系無線機の電源点検と確保の問題は、今後の重要な課題であろう。