金井清先生の思い出(2)
教授
目黒公郎
2024年12月1日
前回の金井清先生の思い出⑴では、金井先生との出会い、先生が東京大学震研究所の妹沢先生の下で研究生活を開始された理由、その後の研究活動、広島で被爆された話などを紹介した。今回は、金井先生の豊富な研究業績の中から、常時微動に関するお話を紹介したい。
一般に自然科学では、実データの観測とそのデータを用いた分析が重要になるが、地震学や地盤震動の研究においても同様である。しかし、規模の大きな地震の発生頻度は低いので、データを増やすには発生頻度の高い小さな地震や弱い地震動のデータを観測し、これを用いた研究が行われることになる。このためには、弱い地震動でも観測できるように、地震計の感度を高めることが求められるが、感度を高めると地面はいつも微小な振幅で揺れていることがわかってきた。この揺れを常時微(microtremor)と呼ぶが、これは地震による揺れではないので、地震による揺れを精度高く観測するには、ノイズである常時微動をいかに除去するかがポイントになる。しかし、金井先生は、一般にノイズとして除去の対象になっていた常時微動が、実は重要な情報を提供してくれる宝の山であるという、逆転の発想に基づいて、常時微動の研究に取り組まれた。
常時微動の振動源は様々で、しかもどれかに特定されるわけでもない。広いエリアには気圧の変化、海に近ければ波浪、鉄道に近ければ列車の走行振動、近くを走る自動車や近くで動く機械の振動、観測点のすぐ近くの人間の歩行などを原因として、微小な振幅で揺れるのである。この常時微動は、観測地点付近の地盤情報を包含しており、これを分析することによって、様々な特性を把握できる。表層地盤の剛性(硬さ)や波動伝播速度、表層地盤の暑さや増幅特性などを、常時微動の観測と分析から把握できるのである。地震計(常時微動計)のネットワークをつくり、アレイ観測することで深い地盤構造なども簡単に評価できる優れた手法である。しかも大規模な装置や体制がなくても実施できるので重宝されたのだ。もちろん、当時はPC を使ったりコードレスの常時微動計もなかったし、データを蓄積するメモリやハードディスクもなかったので、現在とは違って、長いコードを巧みに巻き上げるプロや、データとして安定的な場所を適切に切り出してデータ化するプロもいた。
この手法を用いて東海道新幹線のルート(特に盛土部と記憶しているが)の調査が行われた。ここからの話は、元地震研究所所長で私の恩師である伯野元彦先生から、私が学生時代に伺った話である。金井先生は多くの研究者から尊敬されていたので、金井先生からの声がけがあると皆が集合したという。金井組(金井先生を中心とする常時微動観測チーム)が結成され、観測地に皆で行くのだそうだ。他の大学の研究者の皆さんが同行されることも多かったという。当時は、現在と違い、長時間観測してデータを重ね合わせて安定化させ、分析するということをしなかったので、通常は常時微動が安定する夜に観測することが多かった。ゆえに夕方から観測の準備をおこない、夜の10 時くらいから本格的な観測をはじめ、深夜の1時か2 時くらいまで、場所を移動しながら観測を続けるのだそうだ。1日の観測が終了すると皆で宿舎に帰るのだが、宿に到着するとすぐに観測装置の掃除と手入れ、観測データの下処理をすべて終了させることがノルマだったそうだ。深夜に宿舎に帰って、1、2 時間かけてこれを終えると、金井先生から全員にお声がかかって、本日の観測の反省会と称して、飲み会が開催されるのだそうだ。これを観測期間中毎日繰り返すのだそうだが、若い自分でも大変なのに、金井先生の体力はどうなっているんだ。金井先生は本当にスーパーマンのようだったとおっしゃっていた。ちなみに金井先生は伯野先生よりも25 歳年上である。
しかも昼に次の場所へ移動する自動車の中では、いつも地震研究所彙報(地震研究所が発刊している研究報告書)の原稿の校正をされていたそうである。流石は金井先生である。