田中先生との出会いと思い出、そして皆様へのお願い
特集:田中淳センター長のご退職に寄せて
目黒公郎
2020年3月1日
私が田中淳先生に最初にお会いしたのは平成5(1993)年らしい。「らしい」というのは、私は覚えていないが、田中先生に指摘されたのだ。2人が会った理由は、消防科学総合センターの[地域防災データ総覧‐災害アンケート編-(1994年3月刊行)の委員になったから。当時、田中先生は文教大学情報学部専任講師で38か39歳、私は本学生産技術研究所(生研)の助手で30か31歳であった。私としては編集に謙虚に励んだつもりだが、田中先生は「随分ズケズケと物を言う生意気な若造だ」と思ったそうだ。次にお会いしたのは、1999年8月のトルコ・コジャエリ地震の被害調査でご一緒した時。一緒のホテルで寝泊りしたのでよく覚えている。そしてまた時間が経過し、2006年に廣井脩先生がお亡くなりになり、先生の資料をコアに災害情報に関する研究センターを、情報学環(学環)と地震研究所と生研が協力して設立する話が出た。私は、当時の前田正史生研所長の指示で研究センター設立の企画書を作成した。2007年には人事の話が出て、当時の吉見俊哉情報学環長とお会いして人選の話をした。そして、2008年4月に総合防災情報研究センター(CIDIR)が正式に立ち上がり、田中先生はセンター長に、私は生研からの運営委員になった。そして2010年4月には総長戦略ポストを得て、私は情報学環の基幹教員になった。この度の田中先生の定年退官に際し、CIDIRをここまで牽引してこられた先生のご尽力に深く感謝するとともに、CIDIRニュースレターの読者の皆様には、田中先生が卒業された後のCIDIRの活動に、これまでと変わらぬご理解とご支援をお願いします。