関東大震災を当時の新聞はどう伝えたのか

連載:関東大震災100年・これからの100年 第5回

センター長・教授
目黒公郎
2022年12月1日

 

 現在、朝日新聞のデータベース(朝日新聞記事データベース聞蔵)を活用して、「関東大震災を当時の新聞はどう伝えたのか」を分析しているが、今回はそのごく一部をご紹介する。関東大震災では、交通施設や電話回線などのライフライン施設に発生した甚大な被害により、新聞各社では記事の制作が困難になった。図1 にも示すように、朝日新聞は、東京(東京朝日新聞)での新聞の発刊ができず、震災後の1 か月間は主として大阪(大阪朝日新聞)で発刊した。用いたデータベースには、1923 年から1999
年までに朝日新聞で掲載された11,400 を超える「関東大震災」関連の記事が収録されているが、記事数全体の9 割は1930 年までの記事である。また、全体の約5 割は発災から約2 か月間に集中している。
 各記事には、朝日新聞が付けた17 の文字列(災害・事件・事故、社会、政治、経済など)から成るカテゴリー1 と157 の文字列(自然災害、自然災害、交通・通信、火災など)なら成るカテゴリー2 の文字列に加え、約39,000 語のキーワードが付加されている。このキーワードの出現頻度を発災からの時間の経過とともにカウントすると、図2 に示すような結果が得られる。
 時期によって記事数自体は大きく変動するが、いずれの時期においても、「関東大震災」と「地震」の2 つが抜きんでて多い。しかし、それ以下のキーワードは時期によって変化している。発災直後にみられる「戒厳令、暴利取締令、非常徴発令、遊難民」などのキーワードからは、被災地の混乱状況が推察される。また関東大震災の後には、大規模な延焼火災で多数の家屋が焼失し、住家を無くした人々への火災保険の問題が議論されるが、それらの様子も発災から1 週間後から1 年後くらいの間に多数出現するキーワード「関東大震災火災保険問題」から見て取れる。帝都復興に関わるキーワードが頻出するのも同様に、発災後1 週間後から1 年後であり、この時期に盛んに議論されるとともに、その骨子が形成されたことがわかる。一方で、大量の震災廃棄物が発生しているので、これらの処理に当たっては、環境上の問題も確実に出ていたと思われるが、環境に関する記事の記載はほとんどない。この背景には、現在に比べて環境に対する認識が当時は著しく低かったことがあると考えられる。
 現在はこれらのデータに学術的な研究成果を加え、その後に発生した伊勢湾台風災害、阪神・淡路大震災、東日本大震災などの大規模災害と比較して、大災害の発生時に起こる様々な物理的・社会的現象の抽出とその全体像の把握を試みている。

図1 東京と大阪の朝日新聞が掲載した「関東大震災」関
連の記事数

 

図2 朝日新聞の「関東大震災」関連記事における時期別のキーワードの出現回数