伝わらない被災地の姿〜厚真町支援の現場から

特集:2018年度の災害を振り返って

東北大学災害科学国際研究所 定池祐季
2019年3月1日

 2018年9月6日3時7分、北海道胆振東部地震が発生した。この災害では、土砂災害、地盤への影響などにより、北海道における人的被害が死者42名、重傷者44名、中等傷8名、軽傷723名、家屋被害は全壊463棟、半壊1,589棟、一部損壊13,040棟にのぼっている(2019年2月8日時点)。
 9月8日、2013年より防災教育で関わっている厚真町に向かった。役場庁舎の周辺は報道陣でごった返していた。厚真町役場では定期的に報道発表を行っていたが、それでも報道関係者は役場の奥に入り、職員の手を止めていた。役場庁舎の裏手にある「総合福祉センター」は避難所になっており、より多くの報道関係者がうろうろしていた。その中に遺族や自宅を失った人も含まれているにもかかわらず、カメラやマイクが犯罪者を追いかけ回すかのように避難者を取り囲む姿には大きな違和感を感じた。そして、避難所などには張り紙が増えていった(写真)。

 厚真町では、9月8日から「北海道胆振東部地震に係る避難所運営連携代表者会議」(のちに「連携会議」)が開催され、各避難所の状況の共有、対応の決定、情報共有などが行われていた。主な参加者は、避難所派遣の役場職員・応援職員、関係機関、支援団体、筆者などであり、その中で話し合われた内容は食事、衛生、支援の受け入れなど多岐にわたった。初期は報道対応、不審者情報の共有についても多くの時間が割かれた。
 今回建設された応急仮設住宅は寒冷地仕様であったものの、当初は結露、冬が深まるにつれて水道管の破裂が続出し、カビも発生し始めた。厚真町では定期的に「仮設住宅入居者支援会議」を開催し、役場関係部署、社会福祉協議会、応援保健師、支援団体、筆者などがこのような日常の困りごと、生活再建に関わる心配事、行政の動きなどを共有し、状況の改善に努めている。支援対象者は「仮設住居入居者」に限らず、災害によって困りごとを抱えているであろう全ての住民であり、緊急性の高いと予想される町民から順に、訪問などのアプローチを行っている。深刻な例に行き当たることもあり、「支援からこぼれ落ちている人がいないだろうか」という不安はつきない。役場や社協では、「できる限りの活動をしたい」「でも通常業務すら戻せていない」「人手が足りない」というジレンマと戦いながら活動を続けている。
 筆者が関わっている厚真、安平町、むかわ町を見た限りでは、3町共通して、長期派遣の応援職員が少ないことに驚かされる。北海道・総務省経由で応援を要請しても、その成果は芳しくなく、厚真町では新年度も継続する技術職員は1名のみである(2月8日現在)。新規採用、臨時職員、再任用といった形で、自前で確保しようとしているが、次々に増える仕事、蓄積する職員の疲労を考えても明らかに不足している。通うごとに顔色の悪くなっていく町職員の姿を目にするのは、とても辛い。学校は臨時教員、加配の教員を自前で確保する必要があり、筆者宛に「誰か心当たりはありませんか?」と問い合わせがある。災害の規模や事情は異なるものの、他の被災地とは異なる状況に愕然としている。
 「○ヶ月」といった節目、大きな変化・出来事がなければ、被災地について報じされる機会は激減していく。ましてや北海道では、発災後まもなく「元気です北海道」というキャンペーンが始まり、現在は官公庁が進めている有様だ。被災地では、当初より「私たちは北海道ではないのか」「被災地が切り捨てられる」「元気だと誤解されて、必要な支援が届かなくなる」といった心配の声が聞かれた。実際、それらが現実になっているようにも見受けられる。多くの被災地で「忘れられるがの怖い」という声を聞く。その言葉の中には「報じられる機会が少なくなり、関心を持たれなくなる」以上に、世の中から切り離されているような感覚や、世の中と異なる被災地の変化のスピード、じりじりと苦しくなる被災地の状況が伝わらない苦悩も含まれていることを痛感している。