newsletter39号テキスト1

東京大学 大学院情報学環 総合防災情報研究センター

cidir_logo2012.jpgcidir_logo2012.jpgcidir_2012gmanu00.jpgcidir_2012gmanu01.jpgcidir_2012gmanu01.jpgcidir_2012gmanu02.jpgcidir_2012gmanu02.jpgcidir_2012gmanu03.jpgcidir_2012gmanu03.jpgcidir_2012gmanu04.jpgcidir_2012gmanu04.jpg

HOME > 刊行物のご案内 > nl39テキスト版p.01

newslettertitle.jpg

特集:鷹野先生のご退職に寄せて

鷹野さんのこと

 地震研に私が入ったのは1988年春でした。それ以来2015年に退職するまでずっと観測系に所属していて、情報センターの鷹野さんと同じ部署になることはありませんでした。地震学で観測系と情報系が密接な関係をもつのは当然ですが、それでも1990年頃までは、これらが連携して動くことはまれでした。その風向きが変わってきたのは1990年代でした。気象庁がそれまで大学等の専売特許であった高感度地震観測網に進出してきたことにより、それぞれの地域に張り付いて微小地震観測を続けてきた大学も危機感をもつようになってきました。また日光地域での合同観測や兵庫県南部地震の合同余震観測が、大学間の観測協力を促しました。一方でインターネット回線の普及が進み、大学間のデータ交換も拡大してきました。生き残りのために、それぞれの大学で囲い込んでいた地震波形データをもっと共有・流通していこうという機運が高まってきたのです。地震研の情報センターは、全国の大学の観測情報の流通や利用を促す立場であり、それを先頭に立って地道に進めていたのが鷹野さんでした。共同利用研として全国の大学の研究者にサービスする使命を持つ地震研には計算機やネットワークの維持運用のための専門家が不可欠で、情報科学のバックグラウンドを持つ鷹野さんが招かれていたわけです。
 このような中、1996年頃に登場した衛星テレメータシステムが、大学の地震観測とデータ流通を大きく変えることになりました。これは全国の大学観測点の地震観測データを通信衛星を使ってリアルタイムで収集し、各大学へ全国配信するものでした。つまり全国のデータの観測・交換・流通を一挙に実現したわけで、これは地震研の観測系と情報センターが協力しつつ、全国の大学を巻き込んで進めることが不可欠でした。このシステムが気象庁や防災科研とのデータ交換をもたらし、さらには今世紀に入ってから地上の高速光通信網の発達に乗ってJDXnetへと発展します。これらのシステム開発運用に携わる中で、私にとって鷹野さんは常に頼もしい存在でした。この一連のシステム変革が、同時に観測関係者の意識の変革-データ流通を当然のことと受け入れる-をも促すことになったと思います。
 その後、鷹野さんは防災やIT強震計の分野でもおおいに活躍されますが、地震研の情報センターを(しばしば裏方として)長年にわたって支えつつ、地震データ流通・利用システムの発展に尽くしてこられたことこそ、もっとも評価すべきであると私は信じています。

(卜部 卓)