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東京大学 大学院情報学環 総合防災情報研究センター

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特集:カスリーン台風から何を学び、どう評価するのか

大規模水害


 首都圏防災への社会的関心は、長年にわたって首都直下型地震に偏重してきたが、ここ最近になって気象災害についての関心が高まりを見せている。生活実感として感じる猛烈な暑さと高い湿度。大気が不安定と天気予報が報じるなかで、毎日のように全国のどこかで予測不能の豪雨が突如発生し、九州北部では激甚な豪雨災害が発生した。海水温の高い状態が続き、巻き上がる膨大な水蒸気が激しい豪雨をもたらし、台風の発生を促すなか、記録的短時間大雨情報の発表回数は7月だけで全国で51回と急ピッチでその数を伸ばし、台風の月間発生数は8と過去最多に並んだ。こうした最近の状況にあって、洪水災害に対する漠然とした不安が首都圏住民に芽生え始めている。
 最近の豪雨災害の激甚化のなかで、首都圏においてあり得る事態として最も深刻な水害は、利根川や荒川といった河川の大規模氾濫と東京湾の高潮災害である。巨大台風が接近して河川上流域に膨大な雨が降り、水位を高めた河川が首都圏近郊で破堤氾濫した70年前のカスリーン台風のような事態や、さらに深刻な事態は河川水位が高い状態にあるタイミングで台風が東京湾に襲来し、高潮災害を併発する事態である。
首都圏のなかでも荒川下流域の江東デルタ周辺地域は、地盤沈下が進み広大な面積が海面下となっている。この河川と海に囲まれた海面下の地域は、俯瞰的に見れば薄皮一枚の堤防で守られた地域であり、堤防という土の連続構造物が一カ所でも破堤すれば、海面下の地域を満たすまで容赦なく水が流入して地域を水没させる。ひとたび水没すれば自然排水はあり得ず、堤防を仮締めした後、人為的な排水作業に数週間の時間が必要となる。
 この地域に暮らす住民は250万人以上と膨大であり、この避難対策は従来の防災の枠組みでは対処できない困難な問題を有している。なんと言っても最大の課題は、膨大な避難交通をどのように処理するのかという問題である。この問題を可視化するために筆者らが行ったシミュレーションによると、地域内の住民が避難を開始すると、瞬時に域内の道路はすべて車と人によって埋め尽くされ身動きができないフリーズ状態に陥る。それを回避するためには避難交通の時間的分散と空間的分散を図ることで、避難交通の集中を減らす必要がある。
 しかし、ここで直ちに2つの大きな問題が生じる。まず空間的分散を図ることは、従来の避難対応である自治体内避難の枠を超えて広域避難が必要になり、受け入れ先の協力を得て水没する複数の区が連携した避難計画を策定する必要が生じる。しかし、わが国の防災は自治体単位の防災が基本となっており、このような各区が連携して、かつ広域的な避難受け入れ体制を整える広域避難対応は、前例もなければ法的な裏付けも整備されていない。
 また、時間的分散を図ることは、早いタイミングで住民避難が開始されることを意味し、それに対応して早期の避難の呼びかけが必要となる。しかし早いタイミングでの避難情報は空振りの可能性が高くなり、特に避難に十分な時間を確保できるほどの早い段階においては、正確な高潮予測情報を出すことは技術的に難しい。しかし一方で避難の呼びかけが遅れれば、台風の接近により避難することが困難となり、水没する地域に多くの住民が取り残される深刻な事態が生じる。
 ここで想定する事態の人的被害の大きさを考慮すれば、空振りに伴う社会的な影響や経済活動への影響を受け入れてでも、その可能性がある限り早いタイミングでの広域避難の開始が必要となるが、誰がどのような状況をもって広域避難が必要な事態と判断するのかという問題が生じる。この問題は技術的な問題とともに、わが国の危機管理の根幹に関わる問題であり、行政としての議論の行方と、国民の認識の深まりのなかでの落ち着きどころを注目したい。
 この首都圏大規模水害・広域避難問題への行政対応は、現段階においてはまだ緒に就いたばかりである。江東5区においては各区長をメンバーに広域避難連絡協議会が設置され、5区が連携して対応策を協議し始めた。これまでの成果として、5区共同で広域避難の呼びかけを行うこと、広域避難に対応できるハザードマップを作成すること、また各区民に広域避難の必要性を認識して頂くよう共同で普及啓発活動を行うことなどが決められた。また、国の動きとしては、平成28年度には内閣府中央防災会議に広域避難に関するワーキンググループが設置され検討が議論されている。広域避難問題は、当該自治体だけの議論では対処できる問題ではなく、都道府県や国も含めて議論を深める必要がある。気象災害の極端化が進むなか、一刻も早い議論の成果を期待したい。

 (東京大学情報学環 総合防災情報研究センター 特任教授 片田敏孝)