避難情報の放送史―災害時、ラジオ・テレビは避難をどう呼びかけてきたか

特集:CIDIR教員の教育

学際情報学府 博士後期課程(修士課程修了)
入江 さやか
2022年6月1日

 1925 年に日本でラジオ放送が始まって、まもなく100 年を迎える。その2 年前、1923 年に起きた関東大震災における情報途絶がラジオ放送導入を加速した。また、1959 年の伊勢湾台風を契機に制定された「災害対策基本法」では、放送局が国や都道府県の「指定公共機関」と定められた。その後も数々の災害を教訓に、放送は改善を繰り返してきた。日本の放送はこの100 年、災害とともに歩んできたといっても過言ではない。だが、残念なことに日本の災害放送を歴史的な視点から考察した「通史」は存在しない。
 一方、「災害放送」の内容は、発災前の防災情報から被害情報、さらには復旧・復興情報までと幅広い。しかし、その中で、国民の生命に直結する最も重要なものは「避難情報」である。
 そこで私は、2020 年度から東京大学学際情報学府修士課程において、日本の放送における「避難情報」の原型はどのような形であったか、政府・自治体との関係性、NHK と民間放送局などメディア間の関係性の中で、放送における「避難情報」の伝え方がどのような変遷を遂げてきたかを歴史的な視座に立って明らかにする研究に取り組んだ。
 放送における「避難情報」の変遷をたどる過程で、さまざまな知見が得られた。1925 年のラジオ放送開始から太平洋戦争終結まで、放送局は日本放送協会(以下、NHK)のみであった。NHK には独自取材を行う記者はおらず、避難につながる放送は気象台が発表する警報などに限られていた。戦後になると各地で設立された民間放送局が、防災報道の形成に先駆的な役割を果たす。1953 年の九州豪雨や1955 年の新潟大火において、地方の民放は系列の新聞社の取材網を活用し、機動的な取材を展開、ラジオ中継で河川の決壊や火災の延焼状況などを放送して住民の避難を促し、
取材力で劣るNHK を圧倒した。
 1959 年の伊勢湾台風においても、名古屋に拠点を置く中部日本放送(CBC)が独自取材で得た多様な情報を用いて防災報道を展開した。ただ、自治体が避難の指示を出さない限り、住民に避難を呼びかけられないという限界があったことも明らかになった。伊勢湾台風ののち、災害対策基本法で放送局が「指定公共機関」に位置付けられると、放送局は防災機関としての自覚を強めた。1964 年の新潟地震では、NHK 新潟放送局は自治体からの情報を待たずに避難の指示などの放送を行った。なお、本研究の過程で、新潟地震発生直後からのNHK 新潟放送局の放送原稿や安否情報の資料、地震発生当日のラジオ放送を録音したソノシート(写真)の存在が確認された。これらの資料の内容は、本研究が初出である。
 このようにNHK と民放の競争によって災害報道や避難の呼びかけは発達してきた。1960 年代以降、ラジオからテレビの時代に移行していく過程で、NHK がソフト・ハードの両面から災害報道体制の整備を進め、徐々に優位に立っていった。
 災害放送の歴史的研究は、放送研究、災害情報いずれの分野においても「傍流」的な存在であるが、本研究において「避難情報」を軸に資料を探索し、時系列で整理していく作業の中で多くの発見があった。関谷直也先生の指導やゼミのみなさんの支援もあり、修士論文に対して学際情報学府の専攻長賞をいただいたが、課題も多く残っている。これを第一歩として、博士課程でさらに研究を深めていきたい。

NHK 新潟放送局のラジオ放送を収録した
ソノシート(NHK 放送文化研究所蔵)